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HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

大連 旧東郷橋

2023-03-29 | 大連を歩く
大連の民主広場北側に、かつて東郷橋とよばれていた跨線橋がその姿をとどめています。

勝利橋(旧日本橋)の600メートルぐらい東側、新生街の一番奥まった場所です。

当時の東郷町の延長線上にあった橋なので、東郷橋と名付けられたのだろうと思います。

この橋は一般人は通行できず、大連船舶重工の南東側の通用門として使われています。

僕が駐在していた頃は橋の入口に警備員が立っていて物々しい雰囲気があり、なおかつ西側からも東側からも接近できる場所がありませんでした。



橋の南詰です。

両側に警備詰所があり、いかつい門柱があり、今も物々しい雰囲気は変わっていません。

しかし、今回訪問した時には当時建設中だった東側の高層ビルが完成していて敷地に立ち入りができるようになっていました。

東側から橋の全体像を見ることができるようになっていました。

初めて撮影に成功しました。



この南詰の両側にある半円形の詰所は日本租借時代からあったものでしょうか。そう思わせるようなデザインで、だいぶ古そうです。

当時からこの詰所があったということは、当時から通行に何らかの制限や監視をしていたということになります。
橋の向こうにあったのは満鉄の造船所です。







特に個性的なデザインでもなく、装飾もなく、ごく普通の鉄筋の橋です。





凝った装飾で気品のある旧日本橋と違って、こちらは橋として最小限の機能を持たせたような感じがします。



鉄骨がだいぶサビで浸食されています。築100年越えと推定しましたが、耐久性は大丈夫でしょうか。

西隣の旧日本橋が大連のシンボル的な扱いを受けて多くの古写真が残っているのに対して、こっちは驚くほど地味で、何も残っていません。

橋がつくられた当時は跨線橋でしたが、今は橋の下に線路はありません。高低差を埋めるだけの役割しか果たしていません。



文献が見当たらず、いつ作られたものなのかもわかりません。1928年発行の古地図には載っていますので、少なくともこの頃にはあったようです。

日本租借時代に線路を越えて造船所や露西亜町に方面に向かう用事があった人たちにとっては便利な近道として重宝されたのではないでしょうか。

東郷橋という立派な名前を与えられたにもかかわらず、当時の在留邦人からはそれほど注目されず、近代になっても現地の中国人の歴史研究者の研究対象にもならずと、なかなか寂しい晩年を過ごしている老橋です。
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