天津の旧イタリア租界にある天津電力科学技術館です。

この建物は1904年に建てられたベルギー商天津電車電灯公司の事務所でした。
ベルギーの資本と産業界が開発した路面電車と電力供給会社です。
同社は中国本土の都市では最も早い時期の都市公共交通企業でした。中国とベルギーとの協力文書には直隷総督だった袁世凱が承認したのだとか。本社はブリュッセルにあったそうです。
天津市初の路面電車の路線の建設を行い、1906年に総延長5km余りの運行を開始しました。中国でも最も早い時期の公共交通路線となりました。
その後路線を拡大し、1927年には6本もの路線を開通させました。


当時天津では初めて導入された蒸気タービン交流発電機は華北で最大の発電能力を持ち、天津が近代中国で2番目の大都市として電力を供給するようになったそうです。
同社が担った2大業務のうち、電力事業は1943年から日本軍が引き継ぎました。
ベルギーは天津に租界を置いた列強の中では存在感が低い国でしたが、この路面電車と電力という分野においては大きな存在感を示していたようです。
天津の路面電車は戦後も市民の足として活躍し、1994年まで存続したそうです。

この建物は1904年に建てられたベルギー商天津電車電灯公司の事務所でした。
ベルギーの資本と産業界が開発した路面電車と電力供給会社です。
同社は中国本土の都市では最も早い時期の都市公共交通企業でした。中国とベルギーとの協力文書には直隷総督だった袁世凱が承認したのだとか。本社はブリュッセルにあったそうです。
天津市初の路面電車の路線の建設を行い、1906年に総延長5km余りの運行を開始しました。中国でも最も早い時期の公共交通路線となりました。
その後路線を拡大し、1927年には6本もの路線を開通させました。


当時天津では初めて導入された蒸気タービン交流発電機は華北で最大の発電能力を持ち、天津が近代中国で2番目の大都市として電力を供給するようになったそうです。
同社が担った2大業務のうち、電力事業は1943年から日本軍が引き継ぎました。
ベルギーは天津に租界を置いた列強の中では存在感が低い国でしたが、この路面電車と電力という分野においては大きな存在感を示していたようです。
天津の路面電車は戦後も市民の足として活躍し、1994年まで存続したそうです。









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