瀋陽の中国医科大学付属第一病院内にある旧南満医学堂です。


南満医学堂は満鉄が経営する医療機関として1911年に設立しました。
中国東北部では初となる高等医療教育機関でした。
初代校長は河西健次が務めました。河西は日露戦争にも軍医として従軍した医師でした。
その後1922年に満州医科大学に昇格し、1948年に現在の中国医科大学になります。
後に日本大学の学長・理事長を務めた佐藤運雄は、設立時にここの教授として教鞭を振るいました。
ここで多くの日本人・中国人医師が育ち、租借地の医療保健レベルの向上に繋げてきました。

私が訪れたのは2016年10月でしたが、建物は利用されていないようでした。
保存状態は良好なので、再利用は可能と思われます。

瀋陽市第一次不可移動文物に指定されています。


南満医学堂は満鉄が経営する医療機関として1911年に設立しました。
中国東北部では初となる高等医療教育機関でした。
初代校長は河西健次が務めました。河西は日露戦争にも軍医として従軍した医師でした。
その後1922年に満州医科大学に昇格し、1948年に現在の中国医科大学になります。
後に日本大学の学長・理事長を務めた佐藤運雄は、設立時にここの教授として教鞭を振るいました。
ここで多くの日本人・中国人医師が育ち、租借地の医療保健レベルの向上に繋げてきました。

私が訪れたのは2016年10月でしたが、建物は利用されていないようでした。
保存状態は良好なので、再利用は可能と思われます。

瀋陽市第一次不可移動文物に指定されています。









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