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ぶらぶら街歩き日記です。北京編4年目です。

甘井子 旧博愛病院 - 現存する孟天成ゆかりの病院

2017-05-31 | 大連を歩く
老甘井子の市街に、日本租借時代に建てられた古い病院があります。

台湾人医師だった孟天成(1882~1966)が手掛けた旧博愛病院です。


1942年築とされています。

孟天成が作った病院といえば、1917年に東関街に建てた旧博愛病院(現在の大連市第二人民医院)が知られていますが、孟はその後も民生街(1932年)や宏済街(1934年)に分院や新館を建築し、1942年にこの甘井子分院を作りました。


1942年といえば戦渦が激しくなってきた時代ですので、この時期の建築物は貴重です。

孟がなぜこの時期、この地に病院を構えたのか定かではありませんが、甘井子は旅順や大連市内に比べて開発が比較的遅かったことが関係しているかもしれません。


孟が大連で建設した病院のうち、今も建物が残っているのはこの甘井子分院だけです。


今は大連市職業病防治院の入院部として利用されています。

孟天成は台湾に生まれ、台湾総督府医学専科学校を卒業し、日本赤十字会台湾支部医院などの勤務を経て1911年に満鉄病院の医師として大連に赴きます。29歳のときでした。

その後、大連満鉄病院などで勤務した後、瀋陽の南満医学堂でさらに医学を学び、再び大連に戻りました。1916年のことです。
そして翌17年、博愛病院を建設します。

院長だった孟天成は戦後まもなく、博愛病院を大連市政府に譲渡します。
病院は大連市公安総局医院と名前を変えましたが、孟は院長として引き続き市民の医療に当たりました。

当時、孟天成が大連市民の医療に傾けた情熱は、時代を経た今も引き継がれています。
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