旅順太陽溝の文明街と文明街南巷のT字路に建つこの老建築は、旅順工科大学の常盤寮と、旅順師範学校の学生寮「藤樹塾」だった建物です。


国立国会図書館で閲覧した両校卒業生による記念誌の掲載情報を元に特定したのですが、おそらくロシア時代の竣工で、利用された順番は設立年次の早い(1922年設立)工科大学・常盤寮が先で、後発(1936年設立)の師範学校・藤樹塾の方が後だと思われます。
あるいは、同時期に両校の学生が一緒に暮らしていた、という可能性もあるでしょうか。

坂道に建つ2階建てです。旅順師範学校の寮の中では大きい方に入ります。
玄関は西側を向いています。

現在は空き家になっているようです。
師範学校の寮の名前になった藤樹とは、中江藤樹(1608-1648年)のことでしょうか。
中江藤樹は、今の滋賀県出身の江戸時代初期の陽明学者です。
27歳時に脱藩して地元の近江国小川村(現在の高島市)で私塾・藤樹書院を開きました。身分の上下に囚われない平等思想の持ち主で、武士だけでなく農民、商人、職人にまで広く浸透し、「近江聖人」とも呼ばれたそうです。
ここで最後の寮生が暮らしたのは今から76年前です。
この日記でご紹介するのがあと10年早かったら、卒業生のどなたかの目に留まったかもしれません。
すでに旅立たれた卒業生の思い出とともに、この先も残ってくれることを祈ります。


国立国会図書館で閲覧した両校卒業生による記念誌の掲載情報を元に特定したのですが、おそらくロシア時代の竣工で、利用された順番は設立年次の早い(1922年設立)工科大学・常盤寮が先で、後発(1936年設立)の師範学校・藤樹塾の方が後だと思われます。
あるいは、同時期に両校の学生が一緒に暮らしていた、という可能性もあるでしょうか。

坂道に建つ2階建てです。旅順師範学校の寮の中では大きい方に入ります。
玄関は西側を向いています。

現在は空き家になっているようです。
師範学校の寮の名前になった藤樹とは、中江藤樹(1608-1648年)のことでしょうか。
中江藤樹は、今の滋賀県出身の江戸時代初期の陽明学者です。
27歳時に脱藩して地元の近江国小川村(現在の高島市)で私塾・藤樹書院を開きました。身分の上下に囚われない平等思想の持ち主で、武士だけでなく農民、商人、職人にまで広く浸透し、「近江聖人」とも呼ばれたそうです。
ここで最後の寮生が暮らしたのは今から76年前です。
この日記でご紹介するのがあと10年早かったら、卒業生のどなたかの目に留まったかもしれません。
すでに旅立たれた卒業生の思い出とともに、この先も残ってくれることを祈ります。









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