大連の西崗区榮華街は、1910年代から窯業関連の施設が集まっていた場所ですが、前回の訪問時にこのような石組の工場跡らしき施設を見かけました。


これは満鉄窯業試験工場と、後に設立される大連窯業株式会社の一部だったようです。
古い建物を骨格だけ利用してリノベーションしたようです。
僕が駐在していた時には、この場所は衝立で封鎖されていたので、建築物を直に見ることができませんでした。

中国語の文献によると、この建物は1912年に満鉄中央試験所が建設した窯業実験工場だったそうです。
満鉄中央試験所は1908年に発足しています(2013年12月5日の日記)。
満鉄は旺盛な建築需要に応えるため窯業の発展をめざして試験所内に窯業課を設置し、各種の窯業製品を試作しました。
それがここであったと。
1920年には満鉄窯業試験工場と改称します。
1925年7月には大連窯業株式会社が設立され、満鉄がその全株式を所有しました。
1930年代の古地図によると、この一帯は「大連窯業会社」と記されているので、この会社のことでしょう。
大連窯業株式会社のあった一帯は高層住宅が経っていますが、この建物だけが残されてきたようです。
別の中国語のサイト(リンク1)(リンク2)によると、この建物は2011年時点でレンガの骨組みだけが残された廃墟になっていました。
その後、取り壊しを免れて再建が行われたようです。
今の姿になったのは最近だと思います。

満鉄が1928年に昭和天皇に献上したガラス花瓶(2019年12月2日の日記)も、この工場群で製作されたものと思います。



これは満鉄窯業試験工場と、後に設立される大連窯業株式会社の一部だったようです。
古い建物を骨格だけ利用してリノベーションしたようです。
僕が駐在していた時には、この場所は衝立で封鎖されていたので、建築物を直に見ることができませんでした。

中国語の文献によると、この建物は1912年に満鉄中央試験所が建設した窯業実験工場だったそうです。
満鉄中央試験所は1908年に発足しています(2013年12月5日の日記)。
満鉄は旺盛な建築需要に応えるため窯業の発展をめざして試験所内に窯業課を設置し、各種の窯業製品を試作しました。
それがここであったと。
1920年には満鉄窯業試験工場と改称します。
1925年7月には大連窯業株式会社が設立され、満鉄がその全株式を所有しました。
1930年代の古地図によると、この一帯は「大連窯業会社」と記されているので、この会社のことでしょう。
大連窯業株式会社のあった一帯は高層住宅が経っていますが、この建物だけが残されてきたようです。
別の中国語のサイト(リンク1)(リンク2)によると、この建物は2011年時点でレンガの骨組みだけが残された廃墟になっていました。
その後、取り壊しを免れて再建が行われたようです。
今の姿になったのは最近だと思います。

満鉄が1928年に昭和天皇に献上したガラス花瓶(2019年12月2日の日記)も、この工場群で製作されたものと思います。










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