goo blog サービス終了のお知らせ 

HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

野田の近代産業歴史建築群

2020-10-10 | 東京を歩く
醤油の街として知られる千葉県野田市には、醤油産業の発展とともに明治期以降に建てられた古い建築物がたくさん残っています。

8月の週末、コロナ禍でしたが、マスクをして見学に出掛けてみました。

吉川市から野田橋を渡って野田市に入ると、歴史を感じる古そうな建築がたくさん目に入ってきました。

興風会館(1929年竣工)です。







風格のある4階建てのホールです。

映画や講演会、演奏会などの文化施設として利用されてきました。
ルネサンス様式っぽいモダンなファサードです。半円の窓にも遊び心があってリズミカルな気品を伝えています。

設計者は大森茂(1894-1934)という建築家だそうです。35歳時の作品ということになります。

キッコーマンの創立者として知られる茂木家と高梨家を中心に立ち上げられた興風会によって建築されました。

建築は昭和初期ですので、相当目立っていたと思います。
当時の野田経済の好調ぶりが伝わってきます。



築後90年以上を経過していますが、古さはあまり感じませんので、しっかりとメンテナンスをしてきたのだと思われます。
長年、野田のランドマークとして市民と醤油関連企業の誇りとプライドを表現してきたのではないでしょうか。ひときわ存在感を放っています。

訪問日は閉館だったので中の様子を見学することができませんでしたが、いつか入ってみたいものです。

次は旧野田商誘銀行(1926年竣工)です。



この建物も重厚で存在感があります。
野田の醤油醸造家たちが設立した銀行だったそうです。

2階建てのアールデコです。
正面には四角と丸の2種類のオーダーが配されていて、古典主義の雰囲気もあります。





黄色っぽい石積みが無機質なようで重厚感を伝えています。

野田商誘銀行は、後に千葉銀行に吸収されました。

現在は銀行ではなく、株式会社千秋社というキッコーマン系列の会社が使っているようです。

次はこの野田商誘銀行の支配人だった茂木七郎治邸です。





まるで映画のセットのような、時代劇に出てきそうな作りです。

次はキッコーマン第一給水所(1923年竣工)です。







かつてはここに給水塔があり、地下から原料の水を汲み上げていたそうです。

次は旧野田高等尋常小学校(1928年竣工)です。







現在は野田市立中央小学校として、現役で活躍しています。







昭和初期にこんな立派な鉄筋コンクリートの3階建ての小学校が建てられたのですから驚きます。玄関の門柱は当時のものでしょうか。
玄関から校舎に敷かれた石畳は風格のある社寺のようです。

最後に、キッコーマンの創業家である旧茂木佐平治家住宅(1924年竣工)です。







現在は茂木市民会館として市民に開放されています。

訪問時は、地元のボランティアガイドさんが丁寧に案内をしてくれました。
説明に聞き入ってしまったためか、写真を撮るタイミングを失ってしまいました。
テレビドラマやAQUOSなどのCMの撮影でも使われたことがあるそうです。

野田市の近代産業歴史建築群は、老建築好きにとっては穴場のスポットでした。
都内からの日帰り旅に最適の場所です。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。