日本租借時代、星ヶ浦公園(現星海公園)には満鉄の初代総裁だった後藤新平の銅像が建っていました。
1930年に建立されました。
現在、銅像は撤去されていますが、円形の台座が残っています。

古写真と比較するとよく分かります。





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円形の台座に数メートルおきに配置されている半球状の花崗岩の突起物は当時のままのようです。


ここが円の中心です。


鼻眼鏡とフロックコート姿の後藤新平の銅像はここの高さ5メートルの位置から星海湾を見下ろしていました。
銅像は彫刻家の朝倉文夫による作品でした。同型のものが奥州市の水沢公園に建っているそうです。
後藤は星海湾の方向を向かって立っていました。

銅像が建てられた1930年は後藤が大連を離れた22年後で、この世を去った翌年です。
つまり、建立は同人の生前の満洲開発の功績を讃えてという意味があったのだと思いますが、当時の大連のコミュニティでは大きな尊敬を集めていたということでもあったのだろうと思います。
1930年に建立されました。
現在、銅像は撤去されていますが、円形の台座が残っています。

古写真と比較するとよく分かります。





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円形の台座に数メートルおきに配置されている半球状の花崗岩の突起物は当時のままのようです。


ここが円の中心です。


鼻眼鏡とフロックコート姿の後藤新平の銅像はここの高さ5メートルの位置から星海湾を見下ろしていました。
銅像は彫刻家の朝倉文夫による作品でした。同型のものが奥州市の水沢公園に建っているそうです。
後藤は星海湾の方向を向かって立っていました。

銅像が建てられた1930年は後藤が大連を離れた22年後で、この世を去った翌年です。
つまり、建立は同人の生前の満洲開発の功績を讃えてという意味があったのだと思いますが、当時の大連のコミュニティでは大きな尊敬を集めていたということでもあったのだろうと思います。









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