旅順太陽溝の旅順師範学校の学生寮「益軒塾」だった建物です。
「塾」ですが寮です。

これも帝政ロシア時代の建築物です。
寮にしてはとても小型です。2階のロフト風の部分を使ったとしても、収容できたのは10人程度でしょうか。
場所はいわゆる「師範村」の中央付近です。寮生の大浴場や大食堂の裏側なので、何かと便利だったかもしれません。
寮の名前になった益軒とは、貝原益軒(かいばら えきけん、1630-1714)です。
江戸時代初期の本草学者、儒学者です。
貝原益軒は筑前の生まれです。
京都で本草学や朱子学等を学び、35歳時に地元に戻って藩内で朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応、「黒田家譜」や「筑前国続風土記」の編纂を務めました。
「塾」ですが寮です。

これも帝政ロシア時代の建築物です。
寮にしてはとても小型です。2階のロフト風の部分を使ったとしても、収容できたのは10人程度でしょうか。
場所はいわゆる「師範村」の中央付近です。寮生の大浴場や大食堂の裏側なので、何かと便利だったかもしれません。
寮の名前になった益軒とは、貝原益軒(かいばら えきけん、1630-1714)です。
江戸時代初期の本草学者、儒学者です。
貝原益軒は筑前の生まれです。
京都で本草学や朱子学等を学び、35歳時に地元に戻って藩内で朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応、「黒田家譜」や「筑前国続風土記」の編纂を務めました。








