栃木市に行ってみました。初めての訪問です。
栃木市は江戸と日光とつなぐ日光例幣使街道の宿場町として、古くから栄えてきたそうです。
恥かしながら例幣使という言葉を初めて聞きましたが、江戸時代にはそういう官吏が存在したそうです。簡単に言えば天皇のメッセンジャーでしょうか。

市内には今も多くの見世蔵や土蔵、洋館が残っており、当時の繁栄ぶりを感じさせます。北関東にはこういう街があるのですね。
蔵の街大通りはこうした旧家がたくさん残っていました。ここがメインストリートでしょうか。

このレトロな洋館はとても風情があります。

大連や旧満洲でも見かける、いかにも大正時代の風情です。
好古壱番館というそば屋さんのようですが、元々は1923年に建てられた安達呉服店とよばれる店だったそうです。

好古というので秋山好古に所縁があるのかと思いきや、「こうこ」と読むようです。
都内にはこれほど老建築がまとまって残っている場所はありません。
関東大震災と戦火の影響が少なく、戦後人口集中による急速な都市開発が行われなかったこの地だからこそ、保存されてきたのだと思います。

好古壱番館は国の登録有形文化財に登録されていました。
初めて訪れた栃木市は、なかなかおもしろい場所でした。
栃木市は江戸と日光とつなぐ日光例幣使街道の宿場町として、古くから栄えてきたそうです。
恥かしながら例幣使という言葉を初めて聞きましたが、江戸時代にはそういう官吏が存在したそうです。簡単に言えば天皇のメッセンジャーでしょうか。

市内には今も多くの見世蔵や土蔵、洋館が残っており、当時の繁栄ぶりを感じさせます。北関東にはこういう街があるのですね。
蔵の街大通りはこうした旧家がたくさん残っていました。ここがメインストリートでしょうか。

このレトロな洋館はとても風情があります。

大連や旧満洲でも見かける、いかにも大正時代の風情です。
好古壱番館というそば屋さんのようですが、元々は1923年に建てられた安達呉服店とよばれる店だったそうです。

好古というので秋山好古に所縁があるのかと思いきや、「こうこ」と読むようです。
都内にはこれほど老建築がまとまって残っている場所はありません。
関東大震災と戦火の影響が少なく、戦後人口集中による急速な都市開発が行われなかったこの地だからこそ、保存されてきたのだと思います。

好古壱番館は国の登録有形文化財に登録されていました。
初めて訪れた栃木市は、なかなかおもしろい場所でした。

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