大連と旅順を結ぶ大動脈である旅順南路は、日本租借時代に日本人の設計によって作られました。
全長47キロメートルの、遼寧省では初となったアスファルト道路です。
当時は「旅大道路」と呼ばれていました。
135万円の予算を投じ、1922年から3年をかけて完成させた大規模公共事業でした。
このうち、最大の難工事だったとされるのが旧老座山トンネル(現在の黄泥川トンネル)です。
1924年(大正13年)に完成した旧老座山トンネルは、今も現役で活躍しています。
東側(大連側)のトンネル入口です。
黄泥川と龍王塘の間、老座山の下を通っています。
遼東半島の山独特の固い花崗岩の岩盤を穿つのは困難を極めたものと思われます。
トンネルの長さは254メートルです。
幅は7メートル弱しかないので、対面通行ができません。
今は東から西に向かう一方通行のトンネルとして利用されていますが、当時はどのようにオペレーションされていたのでしょうか。
当時の旅順の観光ガイドを見ると、大連発の旅順行き往復観光バスは、往路は旅順北路を、復路はこの旅大道路を利用していたようです。
西側(旅順側)のトンネル出口です。
トンネル上部に掲げられているの「黄泥川洞」の表示は、当時は「老座宜風」と書かれていたそうです。
西側は「黄承対月」だったそうです。
旅順を詣でる人たちを静かに見守ってきた、近代交通史の証人です。
全長47キロメートルの、遼寧省では初となったアスファルト道路です。
当時は「旅大道路」と呼ばれていました。
135万円の予算を投じ、1922年から3年をかけて完成させた大規模公共事業でした。
このうち、最大の難工事だったとされるのが旧老座山トンネル(現在の黄泥川トンネル)です。
1924年(大正13年)に完成した旧老座山トンネルは、今も現役で活躍しています。
東側(大連側)のトンネル入口です。
黄泥川と龍王塘の間、老座山の下を通っています。
遼東半島の山独特の固い花崗岩の岩盤を穿つのは困難を極めたものと思われます。
トンネルの長さは254メートルです。
幅は7メートル弱しかないので、対面通行ができません。
今は東から西に向かう一方通行のトンネルとして利用されていますが、当時はどのようにオペレーションされていたのでしょうか。
当時の旅順の観光ガイドを見ると、大連発の旅順行き往復観光バスは、往路は旅順北路を、復路はこの旅大道路を利用していたようです。
西側(旅順側)のトンネル出口です。
トンネル上部に掲げられているの「黄泥川洞」の表示は、当時は「老座宜風」と書かれていたそうです。
西側は「黄承対月」だったそうです。
旅順を詣でる人たちを静かに見守ってきた、近代交通史の証人です。