旅順の椅子山の麓に、ドラマの撮影所があります。
「闖関東」と呼ばれる長編ドラマ作品の撮影に利用された場所で、大連闖関東民族文化村と呼ばれています。
19世紀後半から20世紀前半の街並みを再現したセットのようです。
一般客にも公開されていますので、出掛けてみました。
「闖関東」とは、19世紀後半から20世紀前半に行われた中国人の大型民族移動を指す言葉です。
この時期、遼東半島には山東半島から数多くの漢民族が海を渡って移り住んできました。
この民族移動が始まる以前は、清朝・乾隆帝の政策により、遼東半島は満州族やモンゴル族などの少数民族しかいない人口希薄地だったそうです。
漢民族は締め出されていたのですね。
それがロシア軍の満州地域への南下を受けて開放策に転じ、移民を奨励したところ、山東半島から大量の漢民族が押し寄せた、というわけです。
たしかに、今も大連には山東省にルーツを持つ人がほとんどです。
こういった歴史が背景にあるのですね。
僕はあいにくドラマを観たことがないのですが、「闖関東」は、当時の時代背景や市民の暮らしぶり、苦悩などを描いた作品なのだと思います。
ドラマを観てから来れば受け止め方もだいぶ違うのでしょうが、あまりの長編のために躊躇してしまい、観るチャンスを失ってしまいました。
敷地内には100年以上前の街並みが再現されています。
旅順は、老建築が数多く残る太陽溝の辺りでもときどきドラマの撮影が行われている現場を見かけることがあります。
旅順は、歴史的、地理的に独特の街並みや地形といった資産を持っています。これらを生かして映画産業の街として町興しをするのもひとつの方法かもしれません。
こんな室内のセットもありました。日本租借時代を再現したようです。
んんっ・・・?
「闖関東」と呼ばれる長編ドラマ作品の撮影に利用された場所で、大連闖関東民族文化村と呼ばれています。
19世紀後半から20世紀前半の街並みを再現したセットのようです。
一般客にも公開されていますので、出掛けてみました。
「闖関東」とは、19世紀後半から20世紀前半に行われた中国人の大型民族移動を指す言葉です。
この時期、遼東半島には山東半島から数多くの漢民族が海を渡って移り住んできました。
この民族移動が始まる以前は、清朝・乾隆帝の政策により、遼東半島は満州族やモンゴル族などの少数民族しかいない人口希薄地だったそうです。
漢民族は締め出されていたのですね。
それがロシア軍の満州地域への南下を受けて開放策に転じ、移民を奨励したところ、山東半島から大量の漢民族が押し寄せた、というわけです。
たしかに、今も大連には山東省にルーツを持つ人がほとんどです。
こういった歴史が背景にあるのですね。
僕はあいにくドラマを観たことがないのですが、「闖関東」は、当時の時代背景や市民の暮らしぶり、苦悩などを描いた作品なのだと思います。
ドラマを観てから来れば受け止め方もだいぶ違うのでしょうが、あまりの長編のために躊躇してしまい、観るチャンスを失ってしまいました。
敷地内には100年以上前の街並みが再現されています。
旅順は、老建築が数多く残る太陽溝の辺りでもときどきドラマの撮影が行われている現場を見かけることがあります。
旅順は、歴史的、地理的に独特の街並みや地形といった資産を持っています。これらを生かして映画産業の街として町興しをするのもひとつの方法かもしれません。
こんな室内のセットもありました。日本租借時代を再現したようです。
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