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中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

紫禁城内廷 乾清宮

2024-01-27 | 北京を歩く
乾清宮は内廷後三宮のひとつで、内廷の中心的な宮殿です。北京中軸線上に位置します。





1420年に造られ、その後何度か火災による焼失と再建を繰り返し、今の建物は嘉慶帝邸時代の1798年に建てられたものです。

皇帝の日頃の執務や謁見受け、生活の空間であったほか、清代には元旦や万寿節などの祝祭日にここで盛大が宴席が催されたそうです。





有名な「正大光明」の扁額は三代皇帝の順治帝の揮毫です。長城を越えて明を滅ぼし、中原の覇者となった愛新覚羅の若き皇帝が書いたものです。



雍正帝以降の皇帝が次期皇帝の者の名前を書いたメモをこの扁額の裏に隠し置いたというのも有名な話ですが、そのことは側近のどこまでが知っていたのでしょうか。

浅田次郎先生は小説「中原の虹」でこの4文字について、登場人物である鎮国公載沢の見解として、お世辞にも上手な字であるとは言えない、幼い順治帝は異国語だった漢字を懸命に学び、この簡単な4文字をおそるおそる書いたのだろう、という見方を示していました。

なるほど、そう言われてみればそのようにも見えますし、想像力を掻き立てられます。





小説では、この乾清宮で宣統帝溥儀が袁世凱の謁見を受けるシーンがありました。

袁世凱は溥儀から湖広総督の勅命を受けたのち、皇族内閣を解散して自分を総理大臣にして全権を与えてほしいと切り出します。

袁世凱の突然の訴えに戸惑う親王らを尻目に、幼帝の溥儀は突如幽霊となって玉座の上に現れた西太后の声に操られて袁を内閣総理大臣に指名し、親王皇族の異議を認めぬ、と堂々と言い放って周囲を驚かせます。

なんとも愉快なシーンでした。

「蒼穹の昴」は、乾隆帝が78歳になった老絵師のカスチリョーネを呼んで2人きりで満洲語で話し合ったのもここでした。

これは創作であるとしても、乾清宮はさまざまな歴史の舞台になってきた紫禁城の重要な施設のひとつです。



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