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中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

旧三田用水猿楽口分水 新坂橋の欄干 - 令和まで生き延びた奇跡

2020-09-25 | 東京を歩く
先日、渋谷区代官山の坂道を歩いていると、ふとこんな古びた欄干の跡が目に入ってきました。



片側だけ残っています。

代官山駅の北側200メートルほどの場所です。すぐ東側は東横線の地下線路出入口です。





アスファルトに埋まりかかっていますが、親柱には「大正13年」(1924年)、「新坂橋」という文字が確認できます。
当時、ここに川が流れていたということになりますが、こんな傾斜地に流れていた川とは何だったのでしょうか。

帰って調べてみたところ、ここは三田用水の分水路だったようです。

文献によると、1719年に開削され、猿楽口分水と呼ばれていたようです。

旧山手通りを流れていた本流から北東側に水を引き、北側を回り込んで恵比寿を通り、渋谷川に合流していたようです。
ということは、残っている欄干は上流側だったことになります。

三田用水の廃止は1974年とされています。

この橋が架かっていた分水路の廃止はそれより前だった可能性もありますが、仮に1974年と仮定しても50年近くが経過します。
代官山ヒルズなどこの開発著しい先端商業エリアの中心で、役割を失った欄干がよくぞ取り壊しを免れて残ってきたものです。
この数㎥の空間だけ、時の流れが止まっていたかのようです。



この巡り会いには感動しました。

滅多に足を運ぶことのない代官山で、たまたまこの道を歩き、出会った偶然に感謝しなければなりません。

「あんた、今までよく頑張ってきたなあ」

2つの親柱をさすりながら声を掛けました。

大正生まれの新坂橋の欄干は、その役目を終えても昭和、平成、令和に至る激動の時代を隠棲的にしぶとく生き抜き、アスファルトに飲み込まれそうになりながらもその気高い姿を今に伝えています。

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