六本木の国立新美術館内にある旧陸軍第一師団歩兵第三聯隊兵舎跡を見学してきました。

1928年(昭和3年)の竣工だそうです。
2001年までは東京大学生産技術研究所としてほぼ完全な姿で残っていたようですが、国立新美術館の建設によって取り壊され、一部だけが保存されています。

当時、兵舎の平面は、丸みを帯びた四角形で、2つの中庭を持つ「日」の字型でした。
上野の東京国立博物館本館と同じ作りです。
かなり広い面積を持った建築物だったようですが、保存されたのは兵舎の南側に当たる一角のみで、全体の5、6%ほどでしょうか。
たったこれだけか、という印象がなくもないですが、残っただけでも重要な価値があると考えるべきでしょう。
西側にはカーブになっている部分が少しだけ残っています。
現在は国立新美術館の別館として利用されていますので、入場することも可能です。
歩兵第三聯隊は明治7年に編成された精鋭部隊で、日清戦争や日露戦争にも従軍しました。
日清戦争では太平山(現在の遼寧省営口市)や田庄台(同じく遼寧省盤錦市)の攻撃に参加、日露戦争では、南山の戦い(2015年12月8日の日記)や旅順攻囲戦、奉天会戦に参加しました。


末広がりになっているエントランスが特徴的です。
表側は老建築ですが、裏側に回ると総ガラス張りで近代的なデザインです。

国立新美術館といえば黒川紀章の最後の作品ですが、この別館も黒川の設計でしょうか。

1928年(昭和3年)の竣工だそうです。
2001年までは東京大学生産技術研究所としてほぼ完全な姿で残っていたようですが、国立新美術館の建設によって取り壊され、一部だけが保存されています。

当時、兵舎の平面は、丸みを帯びた四角形で、2つの中庭を持つ「日」の字型でした。
上野の東京国立博物館本館と同じ作りです。
かなり広い面積を持った建築物だったようですが、保存されたのは兵舎の南側に当たる一角のみで、全体の5、6%ほどでしょうか。
たったこれだけか、という印象がなくもないですが、残っただけでも重要な価値があると考えるべきでしょう。
西側にはカーブになっている部分が少しだけ残っています。
現在は国立新美術館の別館として利用されていますので、入場することも可能です。
歩兵第三聯隊は明治7年に編成された精鋭部隊で、日清戦争や日露戦争にも従軍しました。
日清戦争では太平山(現在の遼寧省営口市)や田庄台(同じく遼寧省盤錦市)の攻撃に参加、日露戦争では、南山の戦い(2015年12月8日の日記)や旅順攻囲戦、奉天会戦に参加しました。


末広がりになっているエントランスが特徴的です。
表側は老建築ですが、裏側に回ると総ガラス張りで近代的なデザインです。

国立新美術館といえば黒川紀章の最後の作品ですが、この別館も黒川の設計でしょうか。



































































































