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HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

旧陸軍第一師団歩兵第三聯隊兵舎跡 - 軍事遺跡と現代建築の融合

2020-09-05 | 東京を歩く
六本木の国立新美術館内にある旧陸軍第一師団歩兵第三聯隊兵舎跡を見学してきました。



1928年(昭和3年)の竣工だそうです。

2001年までは東京大学生産技術研究所としてほぼ完全な姿で残っていたようですが、国立新美術館の建設によって取り壊され、一部だけが保存されています。



当時、兵舎の平面は、丸みを帯びた四角形で、2つの中庭を持つ「日」の字型でした。
上野の東京国立博物館本館と同じ作りです。

かなり広い面積を持った建築物だったようですが、保存されたのは兵舎の南側に当たる一角のみで、全体の5、6%ほどでしょうか。
たったこれだけか、という印象がなくもないですが、残っただけでも重要な価値があると考えるべきでしょう。

西側にはカーブになっている部分が少しだけ残っています。

現在は国立新美術館の別館として利用されていますので、入場することも可能です。

歩兵第三聯隊は明治7年に編成された精鋭部隊で、日清戦争や日露戦争にも従軍しました。
日清戦争では太平山(現在の遼寧省営口市)や田庄台(同じく遼寧省盤錦市)の攻撃に参加、日露戦争では、南山の戦い(2015年12月8日の日記)や旅順攻囲戦、奉天会戦に参加しました。





末広がりになっているエントランスが特徴的です。

表側は老建築ですが、裏側に回ると総ガラス張りで近代的なデザインです。



国立新美術館といえば黒川紀章の最後の作品ですが、この別館も黒川の設計でしょうか。
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東京砲兵工廠内トロッコの跨線橋跡

2020-08-25 | 東京を歩く
北区/板橋区の旧陸軍の兵器弾薬工場跡地巡りの続きです。

このエリアには東京第一陸軍造兵廠と東京第二陸軍造兵廠という2つの製造拠点があったわけですが、そこを結ぶトロッコ(電気軌道)が通っていました。

線路は残っていませんが、埼京線に掛かっていた跨線橋の橋台が残っているという情報があったので、探してみました。

この線路は日露戦争後の1905年から1910年頃にかけて敷設され、戦争が終わるまでの間使われたそうです。

十条台橋の南側です。



わかるでしょうか?

線路の両側にコンクリートの出っ張りがあります。
ここを土台にして橋脚が立ち、その上に橋が架かっていたわけです。

言われなかったら気が付かないと思います。
言われてみて、ああ、なるほどと。

この跨線橋の古写真を探してみましたが、ないようです。
観光地でもありませんし、軍の施設だったので、無理もないでしょう。
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旧千住郵便局電話事務室 - 震災後建築の傑作

2020-08-05 | 東京を歩く
北千住近くを歩いていたとき、偶然こんな趣のある近代建築を見かけました。





千住消防署の向かいです。
外壁がスクラッチタイルで装飾されています。



スクラッチタイルは1930年前後の建築物に使われていることが多いようですので、この頃でしょうか。

何枚か写真を撮っておき、家に帰って調べてみました。

この建物は千住郵便局電話事務室と呼ばれた通信施設で、1929年の竣工だそうです。

設計者は山田守(1894- 1966年)という逓信省所属の技術者だそうです。

山田守は、永代橋(江東区・中央区、隅田川)、聖橋(御茶ノ水、神田川)、萬代橋(新潟市、信濃川)という日本を代表する名橋の設計にも関わったとありますので、橋梁建築の造詣も深かったようです。

現存する山田設計の戦前の建築物は少ないそうですので、これは貴重な建物に出会いました。



2階建てで、屋上には後から増設されたと思しき建屋が乗っかっています。

交差点に面した玄関のカーブがとても優美です。



丸窓も印象的です。
これも当時の流行です。

この建物はNTT東日本が管理しているようですが、現在、使われていないようです。
この先、どうなる運命なのでしょうか。

せっかく戦災を逃れて今まで使われてきた近代産業遺産です。
願わくば、長く保存してほしいものです。



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陸軍板橋火薬製造所跡地 旧140号家 - 解体やむなしか

2020-07-25 | 東京を歩く
板橋区加賀1丁目の旧陸軍板橋火薬製造所群の一角に、レンガ造りの古そうな平屋建ての建築物が残っています。





石神井川の北側です。



はがれ落ちた壁からレンガが覗いています。
竣工は明治の終わりか大正の初め頃でしょうか。

資料によると、この建物はかつての東京第二陸軍造兵廠の旧140号家だったそうです。

1921年時点ではボイラー室、1934年には試験室として利用されていたようです。





最近まで愛歯技工専門学校の一部として利用されていたようですが、ネットで調べてみると、この学校は2019年3月で閉校しています。
今は使われている様子がありません。

中の様子を見てみました。





ここだけ時の流れから取り残されたような、映画のセットのような廃墟感がただよっています。

1世紀前、この空間で最先端の兵器の開発が行われていました。
陸軍板橋火薬製造所跡は、2017年に国史跡の指定を受け、今後史跡公園として整備されることになっていますが、この旧140号家は対象エリアの外ですので、保存の対象ではないと思われます。

この後どのように利用されるのか不明ですが、解体を免れることはできない運命でしょうか。

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墨田区押上 旧逓信省のハンドホール蓋

2020-07-15 | 東京を歩く
久しぶりにマンホール/ハンドホール蓋の話です。

この日記でもたくさんご紹介してきたように、遼東半島では今でも戦前のマンホール蓋/ハンドホール蓋がたくさん残っているのですが、東京ではなかなか戦前の蓋を見かける機会がありません。

先日、久しぶりにそれらしいものを見つけました。





正確な年代は不明ですが、おそらく、戦前の逓信省のものだと思います。
場所は墨田区押上3丁目、十間橋近くの歩道です。



この辺りは空襲で大きな被害があった場所ですが、この蓋は災いを免れたようです。
歩道に嵌められていることも幸いしたのか、保存状態も良好です。
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昌平橋架道橋 - 都心に残る明治生まれの現役産業遺産

2020-06-25 | 東京を歩く
JR神田駅と御茶ノ水駅の間に、昌平橋架道橋という鉄道用の鉄橋があります。



外堀通りと交差する場所で、JR中央本線が通っています。

この鉄橋は、なんと明治時代に掛けられたものだそうです。
竣工は1908年(明治41年)ですので、なんと築112年ということになります。



橋桁の中央付近に、こんなプレートが付いています。



読めるでしょうか。

「HARKORT. DUISBURG-GERMANY 1904.」とあります。

この橋桁は、1904年にドイツ・デュースブルクのハーコート社が製造したものです。

1904年といえば日露戦争が始まった年です。
これは驚異的な頑丈さです。

どこかのローカル線の架道橋ならまだしも、ここは国内有数の過密ダイヤで知られる中央線です。

この間、震災も空襲もありました。
博物館に展示されていてもよさそうなものです。

JRが丁寧にメンテナンスを施してきたのだとは思いますが、よくぞ令和の現代まで酷使に耐えてきたものです。





JR東日本のサイトによると、中央本線の神田-高尾間の1日平均利用者数は約69万人(2018年)だそうですから、少なく見積もっても、これまで延べ100億人以上の乗客の往来を支えてきたと考えられます。

1世紀の時を超えて都心で働き続ける、明治生まれの大ベテラン現役産業遺産です。





昌平橋は1928年竣工です。戦前の名建築が隣同士で共演しています。
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国指定史跡 陸軍板橋火薬製造所跡

2020-06-15 | 東京を歩く
板橋区加賀1丁目の加賀公園とそれに隣接する旧野口研究所、旧理化学研究所板橋分所は、かつて火薬製造所があった場所です。

江戸時代は加賀藩前田家の下屋敷でした。
1876年に明治新政府が板橋火薬製造所を設立しました。

その後、陸軍造兵廠の火工廠となり、1940年には東京第二陸軍造兵廠板橋製造所になりました。
日露戦争で使われた弾丸や火砲の一部もここで製造されたのでしょうか。

一帯には、今も施設の遺構が残っています。



加賀公園にあるこの高さ数メートルの高台は、加賀藩下屋敷時代に作られた人工の山です。

この山は、明治時代の初めから、発射場の標的として利用されたそうです。
今も山の中を掘れば実験で使われた弾丸が出てくるでしょうか。



現場に建ててあった説明書きによると、この直線は、トロッコの線路敷の跡だそうです。



当時、トロッコはここから十条や王子の陸軍の工場を結び、物資を運搬しました。



これは昭和初期に建造された弾道検査管です。

野口研究所側(写真の向こう側)から弾丸を打ち込んで、速度などを検査したそうです。
戦後は何の利用価値もなかったはずなのに、こうして今まで残されてきたのは奇跡的です。
かなり珍しい軍事遺跡です。



この陸軍板橋火薬製造所跡は、2017年に国史跡に指定されました。

今後、板橋区が史跡公園として整備し、保存されることになっています。

史跡公園は2024年に完成予定だそうです。
どのような公園に整備されるのか、楽しみにしたいと思います。


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北区 旧東京第一陸軍造兵廠本部

2020-05-25 | 東京を歩く
北区十条台にある中央公園文化センターは、かつて東京第一陸軍造兵廠の本部でした。



地上3階、地下1階、1930年の建築です。

戦後は米軍に接収され、駐留米軍の施設として利用されました。
戦後も米軍が管理を続け、なんと1971年まで使われた後、ようやく返還されたそうです。





1981年から現在の文化センターになりました。
公共施設ですので、中に入ることができます。



中央部を強調した水平と垂直のシンメトリーで真っ白な正面のファサードが目を引きます。
風格があってかっこいいですね。

壁は建設当初は茶色だったそうですが、後に白色に塗装されたようです。
米軍の好みだったということでしょうか。「王子のホワイトハウス」などと呼ばれていたかもしれませんね。
近寄ってみると、たしかに塗装されたような肌感があります。





縦長の窓枠は当時のままでしょうか。

映画やドラマの撮影に便利そうです。
東京第一陸軍造兵廠は、この王子や十条一帯に多くの武器工場を構えました。
今の街の姿からは分かりませんが、ここは軍都だったわけです。

築後90年を迎える重要な歴史建造物です。

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北区立中央図書館 - よみがえった東京第一陸軍造兵廠

2020-05-05 | 東京を歩く
北区立中央図書館は、大正時代(1919年)に建設された旧陸軍の武器工場をリノベーションして利用されている公共施設です。







軍事遺跡を図書館として甦らせるとは、北区は実に大胆というか、粋な仕事をするものです。

図書館は2008年築ですので、エントランスは一見近代的ですが、一旦中に入ると歴史を感じさせる赤いレンガ積みが目に入ってきます。



室内は空間利用に工夫が施されていて、図書の配置や利用者の動線に配慮されているほか、赤レンガが栄えて見えるように設計されているようです。

近代的な図書館と帝都の遺構が時の流れを越えて見事に調和して、独特のおしゃれな空間を作り出しています。

こういう文化財の保存方法もあるのですね。

建築当時ここでせっせと武器を製造していた陸軍の工員は、まさか100年後に図書館として平和的な利用をされているとは想像もしなかったでしょう。





僕は調べ物をするのでよく図書館に行くのですが、これまで利用したことのある都内の中央図書館(新宿区、渋谷区、品川区、中央区、港区、文京区、千代田区、台東区、足立区、江東区、荒川区、江戸川区、墨田区、葛飾区)の中で、北区立中央図書館のデザインの個性は群を抜いています。

こんな図書館が近くにある北区民が羨ましいと思います。
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旧玉の井の私娼街 - 「墨東綺譚」の舞台を歩く

2020-04-25 | 東京を歩く
永井荷風の代表作「墨東綺譚」の舞台を歩いてみました。

作品の舞台は向島区寺島町です。今ではこの地名は使われていません。
今の墨田区東向島5丁目付近です。

当時、玉の井と呼ばれていたこの一帯は、大正時代の終わりから1958年まで、私娼街として栄えました。
それまで浅草に集まっていた銘酒屋(銘酒を売る看板を掲げながら、ひそかに私娼を抱えて売春をした店)は、関東大震災(1923年)を機にこの地に移転してきたとされています。

墨東綺譚は1936年(昭和11年)の作品です。

荷風は日中戦争を間近に控えた東京の下町に毎日のように通い、狭い路地を丹念に歩き、この物語を完成させました。
荷風が表現した「ラビラント」の雰囲気は今も残っているでしょうか。

東向島は、路地が複雑に入り組んだ住宅街です。

この一帯は1945年3月の東京大空襲で壊滅的な被害を受けましたので、当時の建物はほとんど残っていません。
これだけ住宅の密度が高ければ、空襲を受けたらたちまち延焼してしまうだろうな、と思わせます。

道路は当時のままですが、今の建物はほぼべてが戦後建て直されたものです。

作品の中で描かれているどこか猥雑な雰囲気は残っていないようです。



この辻は、雨の降る梅雨時、「わたくし」とお雪が出会ったと推定される場所です。
当時、賑本通りと呼ばれた道です。

この場面は、このように描かれています。

にひろげる傘の下から空と町のさまとを見ながら歩きかけると、いきなり後方うしろから、
「檀那、そこまで入れてってよ。」
といいさま、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。


さらに歩いてみます。



ここは、お雪の家があった溝際の一角だと思われます。

其家は大其正道路から唯とある路地に入り、汚れた幟のぼりの立っている伏見稲荷の前を過ぎ、溝に沿うて、猶なお奥深く入り込んだ処に在る



この細い道が、物語に出てくる溝(どぶ)のあった場所です。

今は暗渠化されています。小説では、当時はここに大量の蚊が発生したことが描かれています。

当時、この細い路地を歩くと、左右の家から娼婦が首を出して声を掛けてきたのでしょうか。

今はそうした猥雑さは微塵も感じませんが、この狭い道幅でカーブの多い路地は見通しが悪く、たしかに迷宮と呼べそうな風情はあります。



右手前は伏見稲荷があった場所です。
今は八百屋になっていました。
路地の入口には、「ぬけられます」との看板が掛かっていたと思われます。

伏見稲荷の前まで来ると、風は路地の奥とはちがって、表通から真向に突き入りいきなりわたくしの髪を吹乱した。



この道が大正通りです。
小説では浅草から転居してきた銘酒屋が多かったと紹介されています。
今はいろは通りと呼ばれています。



ここはお雪が通った歯医者があった場所です。

「それはすまなかった。虫歯か。」
「急に痛くなったの。目がまわりそうだったわ。腫れてるだろう。」と横顔を見せ、
「あなた。留守番していて下さいな。わたし今の中歯医者へ行って来るから。」
「この近処か。」
「検査場のすぐ手前よ。」
「それじゃ公設市場の方だろう。」
「あなた。方々歩くと見えて、よく知ってるんだねえ。浮気者。」
「痛い。そう邪慳にするもんじゃない。出世前の身体だよ。」
「じゃ頼むわよ。あんまり待たせるようだったら帰って来るわ。」
「お前待ち待ち蚊帳の外……と云うわけか。仕様がない。」




ここは曹洞宗東清寺です。

当時は大正通り沿いにあった玉の井稲荷は移設され、東清寺の中にあります。



今の玉の井稲荷の社殿は建て替えられて新しくなっていますが、この拝殿の両脇に鎮座している一対の石造りのお稲荷様は荷風が通った当時のままでしょうか。
風化しており、古そうです。





これは満願稲荷です。

大正通りの北側に少し入ったところです。路地の奥の見つけにくい場所にあります。



ここには荷風が書いた1936年当時の玉の井の地図が掲げられていました。

旧玉の井はいかがでしょうか。

現在、この地に昭和初期の街並みはほとんど残っていませんが、荷風が作品で残した秀逸な風景描写のおかげで雰囲気をイメージすることはできます。

自分の脳内の合成写真をオーバーラップしながら「ラビラント」を迷ってみるのも一興かと思います
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王子 旧醸造試験所第一工場 - 妻木頼黄設計の老建築

2020-04-05 | 東京を歩く
北区王子に、明治期の名建築家・妻木頼黄が設計した建築物が現存しているという情報を得たので、見学に行ってみました。
飛鳥山公園の西側です。





風格のある3階建てのレンガ造りです。
国の重要文化財(建造物)に登録されています。

この建物は、1904年、大蔵省の醸造試験所第一工場として建てられたそうです。
妻木は大蔵省の技術者でしたので、この建物の設計を任されたのでしょう。

妻木の代表作品といえば、横浜正金銀行本店(現:神奈川県立歴史博物館)ですが、これも1904年です。
同じ年に建てられたわけですが、優美さが際立つ横浜正金銀行本店に対し、こちらは質素な作りです。





工場ですから、デザインより機能性を重視したのだと思います。

これまでこの日記でご紹介してきた横浜正金銀行大連支店(2013年12月3日の日記)や横浜正金銀行北京支店(2019年8月5日の日記)も妻木の作品です。どれもが印象の残る名建築です。

旧醸造試験所第一工場は、通称、赤レンガ酒造工場と呼ばれていたようです。

醸造試験所では、醸造技術の研究や試験、清酒やビールなどの酒類の品質の改良などが行われてきたそうです。

つまり、僕が日頃から美味しく飲んでいる酒も、ここで研究された成果が応用されているはずです。
これは重要です。大酒飲みの僕は感謝しなければなりません。

建物が竣工した1904年といえば、日露戦争が行われた年です。
幾多の震災や空襲に耐え、よくここまで残ってきたものです。

説明によると、躯体の煉瓦壁の一部に中空部分を設けて外部の温度変化の影響を受けにくくし、リンデ式アンモニア冷凍機と呼ばれる空調設備を備えるなど、ドイツのビール醸造施設を応用した設計がなされているそうです。



レンガは調和の取れた小口積になっています。
これも理由があるのだと思います。

旧醸造試験所第一工場は、毎年秋の東京文化財ウィークの時期に一般公開されるようです。
今年は見学に来てみようと思います。
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原宿駅と高輪ゲートウェイ駅 - 山手線の新旧駅舎を訪ねる

2020-03-25 | 東京を歩く
高輪ゲートウェイ駅が開業しました。

山手線では49年ぶりとなる、話題の新駅です。

一方、山手線では原宿駅のレトロな駅舎が解体されることが決まっています。
今年は山手線にとって記念すべき年になりそうです。

そこで、新駅の開業を祝いつつ、原宿駅に別れを告げ、オリンピックを直前に控えたこの瞬間を記憶に刻むべく、山手線1周をジョギングしながら30駅を巡ることにしました。

高輪ゲートウェイ駅が開業したのは3月14日、旧原宿駅舎が役目を終え、新ターミナルに移行するのは3月21日ですので、この両駅が共に現役として働くのは1週間しかありません。
そこで、1周ジョグは3月15日に決行することにしました。
初挑戦です。

山手線は、1周すると42キロほどあるようです。
ちょうどフルマラソンぐらいの距離です。
僕の週末のジョギングは長くても1日20キロぐらいですから、2倍の距離です。

11時20分に秋葉原をスタートして、反時計回り(外回り)コースを辿りました。

東京では前日に桜の開花が宣言されましたが、気温は10度前後でまだまだ冷え込みます。
何度か道に迷いながら、14時頃に原宿に到着しました。



原宿駅は1924年の竣工です。

おなじみのかわいい木材建築です。
サイズ感といいレトロ感といい、ちょっと旅順駅を思わせます。





僕は20代の頃にこの近くに住んでいましたので、よくこの駅を利用しました。
携帯電話のない時代、よくこの駅で待ち合わせをしたことを思い出します。

しかし、まじまじと駅舎を観察したことはありませんでした。

よく見ると、駅舎には小さいステンドグラスもありました。



知りませんでした。
控えめな色合いなので目立ちませんが、気品を添えています。
当初からこの色だったのでしょうか。

駅はいつもそこにあるものと思ってきたので、役目を終えるとなると名残惜しくなります。

15時台には恵比寿ガーデンプレイスに立ち寄り、休憩がてらタワー38階の展望スペースから東京の街を眺めてみました。
天候が良く、遠く前見通すことができました。



眼下は恵比寿駅。ビールを運ぶために作られた駅でした。向こう側は渋谷です。



芝や高輪、品川方面です。



六本木方面です。



川崎方面です。中央のビル群は武蔵小杉です。

休憩を終えて再び走り始めます。
徐々に足がしびれてきました。

16時30分、ようやく高輪ゲートウェイ駅に到着しました。



開業2日目の新駅です。
新型コロナウイルスの影響で開業イベントが中止になったようですが、それでも多くの鉄道ファンで賑わっていました。





近代的な開放感のあるデザインです。
原宿駅とは96歳の年齢差です。

新しい東京のランドマークに相応しい風格があります。

17時50分、なんとか秋葉原に戻ってきました。

山手線1周、所要6時間30分でした。

レースでもないのに40キロ以上走ったのは初めてのことです。

オリンピックの年に、忘れられないよい経験になりました。
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王子稲荷 - 乃木夫妻が通った神社を参拝する

2020-03-15 | 東京を歩く
北区岸町の王子稲荷神社を参拝してみました。



この神社は、平安時代以前の創建とされ、かなり古い神社のようです。

サイトを見ると、東国三十三ケ国稲荷総社の格式を持つ神社と紹介されています。

簡単にいうと、関東エリアに数多存在する稲荷神社の親分的な存在ということでしょう。



乃木希典夫妻は、この神社に月参りするほど崇敬が篤かったと伝えられます。
このため、乃木神社には赤坂王子稲荷神社としてこの神社が勧請されています。1962年のことです。

以下4枚は赤坂王子稲荷神社の写真です。
新しい神社らしい佇まいです。









乃木希典夫妻といえば、乃木神社の祭神です。

乃木神社は、1923年創建と神社の世界では新参者ですが、元々の乃木大将人気に加えて最近は乃木坂46人気も乗っかりましたので、今や全国区の知名度を誇る人気神社です。

一方、大先輩の王子稲荷はどうでしょうか。
江戸時代には人気を誇ったようですが、千年余の歴史や関東稲荷の総本山という看板を持ちながらも、どうも影が薄いようです。

王子稲荷はこの人気の逆転現象をどう見ているでしょうか。
乃木神社にジェラシーを感じていても不思議ありません。

乃木夫妻が王子稲荷を厚く信仰した理由は不明ですが、何しろ乃木夫妻は住まいのあった港区乃木坂から10km以上離れたこの神社までわざわざ毎月通ったということですので、相当強い信仰心があったと思われます。

乃木坂であれば、すぐ近くに豊川稲荷があります。日枝神社もあります。
でも、乃木夫妻は王子稲荷まで足を運んだのです。

乃木は、日露戦争で奇跡的な勝利を得られたのは、王子稲荷のご加護のおかげだと思っていたかもしれません。
王子稲荷もそのつもりになっていたかもしれません。乃木はおれが勝たせてやったのだと。

しかし、王子稲荷は人気で後塵を拝しています。
理不尽だと感じていても不思議ありません。

一方、王子稲荷には、江戸時代の人気ぶりを示す資料が残っています。

浮世絵です。

王子稲荷は歌川広重をはじめとした江戸時代の画家から好んで描かれました。



歌川広重 名所江戸百景「王子稲荷乃社」(1857年)



歌川広重 東都三十六景「王子稲荷」(1862年)



歌川国貞「王子稲荷初午祭ノ図」



歌川広重 名所江戸百景「王子装束ゑの木大晦日の狐火」(1857年)

大晦日には、稲荷のお使いの狐が神社近くの榎の下に集まり、身なりを整えてから初詣をしたという言い伝えがあるそうです。

再び王子稲荷神社の写真に戻ります。





山門から本殿にかけて階段25段ほどの段差があります。
武蔵野台地の崖線でしょうか。

この神社は古くから風光明媚な神社として市民の人気を集めたそうですが、この段差が一役買ったのかもしれません。
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浅草十二階の痕跡

2020-03-05 | 東京を歩く
かつて浅草に凌雲閣という高層建築物がありました。

竣工は1890年で、関東大震災で半壊し、1923年に解体されました。

明治後期の日本初の高層展望塔でした。

12階建だったので、「浅草十二階」と呼ばれたそうです。

古写真でよく見かけますが、何ともインパクトのある佇まいです。
当時は相当目立っていたでしょう。今の東京スカイツリー以上の存在感を放っていたのではないでしょうか。
想像力を掻き立てられます。

一昨年、旧址の工事中に基礎のレンガが出土したというニュースがありました。

とても興味深い発見です。



現場に行ってみました。



発掘現場に新築した建物の一部に、浅草十二階のレンガが使われていました。





これが浅草の粋というものでしょうか。

人気スポットの近代建築の痕跡ですから、現場を保存するのは無理としても、よくぞこのような形で残してくれたものです。

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下馬 野砲兵第一連隊兵舎跡

2019-12-25 | 東京を歩く
目黒区下馬に、野砲兵第一連隊が使っていた木造兵舎は今も残っているというので、見に行ってみました。

三軒茶屋駅の南側400メートルぐらいの場所です。




これです。

こんな目黒と世田谷の境界付近の一等地に、このような老建築が残っているとは驚きです。

明治以降、この一帯は駒沢練兵場のほか、野砲兵第一連隊、野戦重砲兵第八連隊、近衛野砲兵連隊の駐屯地だったそうです。

周囲には空き家となって取り壊しを待つ低層の都営下馬アパートがありますが、これらも戦後、兵舎を取り潰して建設したものだそうです。

これらのうち、この建物ただ一棟がこれまで取り壊しを逃れて今まで残ってきたようです。

現在、旧兵舎は在日韓国民団東京世田谷支部の東京世田谷韓国会館として利用されています。

さながら、映画のセットのようです。






一体いつ頃建設されたのでしょうか。

都内に残る戦争遺跡の中でも異彩を放つ建物です。

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