メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ユリシーズ

2020-02-09 10:40:13 | 映画
ユリシーズ (Ulisse/Ulysses、1954伊、103分、カラー/スタンダード・サイズ)
監督:マリオ・カメリーニ、原作:ホメーロス「オデュッセイア」、製作:ディノ・デ・ラウレンティス、カルロ・ポンティ
カーク・ダグラス(ユリシーズ)、シルヴァーナ・マンガーノ(ペネロペ、キルケ二役)、アンソニー・クイン(アンチノオ)、ロッサナ・ポデスタ(ナウシカア)
 
この分野の映画はあまり見たことないが、これはまずまずの娯楽映画である。もっともこのストーリー、神話で荒唐無稽なところも多く、またそうならざるを得ないだろう。部分的にはオペラでも扱われているが、そっちの方が向いているかもしれない。
 
ユリシーズがトロイを攻め、有名な木馬、カッサンドラの予言、イタカへの帰還の途中にポセイドンの怒りにふれ、その息子にとらえられ、逃げ出した挙句に、セイレーンの魔力で遭難、魔女キルケにとらえられるが、脱出し、見知らぬ国で助けられ王女ナウシカアに見初められる。
一方、ユリシーズの帰還が遅れている郷里では妻ぺネロペが再婚を迫られ、アンチノオなど何人かが力比べをして決めることになるが、そこにユリシーズが現れて、というストーリー。映画台本にはピッタリである。
 
このころのイタリアは力あったのか、なにしろ製作がラウレンティスとポンティである。とはいえ、その後のこの種の作品からすると、ちょっとちゃちなところがある。やはりベンハー、スパルタカスあたりからが、映画として満足感を与えたのだろうか。
 
特にポセイドンの息子によって洞窟内に閉じ込められたところなど、特撮の技術がまだ残念、CGレベルは要求しないとしても。またシネマスコープが求められたのは自然のなりゆきだったのだろう。
 
さて、1月にNHK BSで1月に録画しておいたのだが、その後カーク・ダグラスの訃報(103歳)があり、感慨もあった。このひとギリシャ・ローマものに合うイメージはあるけれど、この話で苦難の末たどり着くという感じにはもう一つかなと思う。苦労してくたびれた英雄というイメージには、、、
 
ここは何といってもシルヴァーナ・マンガーノで、冒頭のクレジットが最初で、それも納得できる。24歳でまだ若い、妖艶であるが、気品もあり、この二役、他に考えられないだろう。
 
私の高校時代、西洋史の先生だったかの口からこの人の名前を何度か聴いた記憶があって、よほどインパクトがあったのかと思った。私が映画で見たのは「ベニスに死す」(1971)のタジオの母親役が最初、輝きと存在感が印象的だった。
 
ナウシカアのロッサナ・ポデスタ、色気が強いイメージがあったが、ここではまだ20歳くらいか、可憐さのある役をこなしている。
アンソニー・クイン、この役では特に見せようもなくもったいない。
 

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阿部謹也 「ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界」

2020-02-07 11:00:20 | 本と雑誌
ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界  阿部謹也 著 ちくま文庫
1988年に文庫化された本書、日経読書欄の記事で、版元がツイッターで紹介したところ、それが評判となりかなりの部数が出たという。それで久しぶりに再読してみようと思った次第。
 
実はこれが1974年に単行本で出てまもなく読んでみた。確か中世の絵をあしらったなかなか雰囲気のある装丁だったと思う。その後引っ越しのおりだろうか、かなり多く処分した中に入っていたのだろう。ちょっと残念。もうあれから半世紀弱経ったのか。
 
若いころだったから、ブリューゲルやボッスの絵、マーラーの「子供の不思議な角笛」「嘆きの歌」などの世界につながるものとして興味を持ったのだと想像する。有名なグリムについては特に意識はしていなかったと思う。
 
あらためて読んでみると、これが笛吹き男と、鼠を退治した時の約束・報酬、子供の消失が組み合わさり、それが必ずしも1284年にハーメルンでこの形であったことかどうかは別として、様々な場所、時点で似たようなことがあった、あるいは様々な、忘れられない記憶が、変容、発展していったもの、ということが受け取れる。
 
それはドイツとその周辺の政治情勢、宗教情勢など、また階級構造とそれからはじき出された人たちの状態を無視しては語れないことが理解される。特に後者では、遍歴芸人の実態とその利用のされ方、また庶民のどうしようもない生活がわかってくる。それは中世から続いたユダヤ人の問題であったり、近代芸術になるはるか以前の音楽などの位置づけ、意味につながってきたりする。
 
そうしてみると、本書でも言及されてるが、ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に出てくる職人などは、庶民といってもかなり上のものだということがわかる。
 
著者はたまたまかの地である資料を発見し、そこからこの世界に入っていったわけだが、本書でも如何に資料というものが貴重だということがよくわかる。日本でも、最近は資料の発掘が著しく、今後に期待できる。
  
本書、特に前半はスムースに読み進むことができた。著者がいかにこの世界をものにしているか、文章力があるか、を示すものといえるだろう。

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パラサイト 半地下の家族

2020-02-04 10:00:15 | 映画
パラサイト 半地下の家族(2019韓国、132分)
監督:ポン・ジュノ
ソン・ガンホ(半地下一家の主)、チャン・ヘジン(妻)、チェ・ウシク(息子)、パク・ソダム(娘)、イ・ソン・ギュン(金持ちの家の主人)、チョ・ヨジョン(その妻)、イ・ジョンウン(金持ちの家の家政婦)、パク・ミョウンフン(家政婦の夫)
 
半地下に住む貧しい一家の息子が友人の伝手で金持ちの家庭教師になったところから、その姉もそこの家庭教師、母親は元からいた家政婦を追い出して入り、父親もにわか高級車運転手になりすまし、全員が家族だとはわからないようにして、金持ち一家をだましてとりいる。これがパラサイトかと思ってみていると、実は元の家政婦は豪邸の地下に夫を隠して食わせていて、これもパラサイトである。
 
そのあとこの二つのパラサイト組の間の争い、主人一家にわからないようにすりぬけるスリルといった、いわば詐欺師のコンゲームが続く。
最近のこういう映画はそうなのかと思ったのだが、まったくてんこ盛りのジェットコースター映画。そのカット、スピードは秀逸といえば秀逸で、こういう映画としてはかなり長いのだが、飽きさせない。
 
ただ、こういう詐欺師コンゲームものでは、やられる方がもっとワルで、そのため見る方はカタルシスを感じるというところがあるけれど、ここにはそれはない。もしかしたら韓国ではこのくらいの金持ちになれば、やっつける理由は説明するまでもないということなのかもしれない。
 
俳優では、主人・夫のソン・ガンホがこの国では名優らしいが、やはり存在感がある。また妻のチャン・ヘジンと元の家政婦のイ・ジョンウンがなかなか演技派で見せる。話の上では主役の息子チェ・ウシクはまずまず。金持ちの妻役チョ・ヨジョンはほんとにきれいで、画面、話しの中で華となっている。
 
これカンヌでパルムドール受賞、米アカデミー賞(もうすぐ)の有力候補ということだが、フランスはこういうもの好きかもしれないが、後者についてはそれほどかな、と思う。
とはいえ、娯楽映画としてはかなりレベルは高いだろう。
 
映画館に行ってみるのは何年ぶりだろうか、スクリーン、入館システムなど、かなり変化を感じた。

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わが谷は緑なりき

2020-02-01 14:58:48 | 映画
わが谷は緑なりき(How Green Was My Valley、1941米、118分)
監督:ジョン・フォード、製作:ダリル・F・ザナック、音楽:アルフレッド・ニューマン
ウォルター・ピジョン(グリュフィード牧師)、モーリン・オハラ(アンバート)、ドナルド・クリスプ(モーガン)、ロディ・マクドウォール(ヒュー)
 
タイトルはなんとなく知っていたが、どうも地味で良心的そうな古い映画ということで、特に手は伸びなかったけれど、WOWOWがおそらくアカデミー賞が近いということから放送したらしいのを録画してみた。
 
おそらくヴィクトリア朝(話の中に女王が出てくるから)の時代、ウェールズの炭鉱町、モーガン一家は父と息子4人が炭鉱で働いている。家族ほかには妻と長女(アンバート)、年の離れたまだ小さい息子(ヒュー)。
 
物語は成長したヒューの回想という形でできている。こういう街だから、生活は豊かではないが、それでもそんなに悪くない一軒家で、父親は大事にされている。このあたり、アメリカの感覚が反映しているのかもしれない。
 
炭鉱だから、雇い主との抗争、ストライキ、落盤事故等があり、その中で頭の出来がよく一家でただ一人学校にいくことになったヒュー、しかし隣街の学校で、同級生や教師にいじめられる。だが街の大人たちがヒューにボクシングを教え、ヒューは仕返しをする。このあたり、ザナック、フォードのサービス精神が生きているのかもしれない。
 
正義感あふれ、アンバートと互いに憎からず思っているが、炭鉱主の息子の彼女に対する求愛をどうにも出来なかった牧師、そして落盤事故で父モーガンが取り残されたとき、ヒューと牧師は助けに入る。姉は結婚が破綻し戻ってくる。そしてなんとか一家はまた再生する。
 
そう、まとも過ぎていて、どこまで見ていく気がするかと思ったのだが、そこはザナックとフォード、やはり映画作りにたけていて、特に画面の展開がうまい。ちょっとつらいシーンでも長撮りはせず、シーンがうまく変わっていく。そうでなければ全体で2時間近くは(特に当時はこれでもかなり長い方だ)持たない。
 
思いついたのだが、これ西部劇などの画面構成、展開と共通するのではないか。このところ主にジョン・ウェインものをNHK BSでよくやるのでそれで気がついているのだけれど。
 
さてジョン・フォードのルーツはアイルランドらしい。アメリカ移民、特に西部にいる人たちとしては、ウェールズ出身者と共通するところがあるかもしれない。
 
街のシーン、モノクロとはいえ背景が今一つか、と思ったら、これロケではなく、ハリウッドのセットらしい。そりゃ1940年あたり、イギリス本国で大きなロケは出来なかっただろう。
 
ところで、この映画を見たあと、はてこれとちょっと似ている話の映画があったな、と思った。
そう「リトル・ダンサー」(2000)である。やはりイギリスの炭鉱町、こっちはボクシングが得意な少年がバレエダンサーとしてトップに上り詰める話である。

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