メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ワーグナー「タンホイザー」

2017-08-18 21:04:51 | 音楽一般
ワーグナー:歌劇「タンホイザー」
指揮:ジェイムズ・レヴァイン、演出:オットー・シェンク
ヨハン・ボータ(タンホイザー)、ミシェル・デ・ヤング(ヴェーヌス)、エヴァ=マリア・ヴェストブルック(エリーザベト)、ペーター・マッティ(ヴォルフラム)、ギュンター・クロイスベック(領主ヘルマン)
2015年10月31日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2017年5月WOWOW放送
 
久しぶりのタンホイザーである。なによりなのは指揮がレヴァインであること、昨年放送された「マイスタージンガー」で、やはりこの人が病癒え復帰したからこそ、あんなに充実したワーグナーの管弦楽が鳴ったと感じたのだが、今回はさらに深く重厚なものとなっている。
 
この物語の構成は、主人公タンホイザーを中心に世俗的な官能の世界への耽溺、悔悟、聖なるものと高貴な女性を崇め求める騎士の世界、迷いと巡礼、女性の自己犠牲による救済、といったワーグナーの世界によく登場する要素の組み合わせである。組み合わせのバランスは悪くなくて、音楽は充実しておりしかもなじみやすいから、最後まで興味を持って聴くことができる。
ただ、話として共感できるかといえば、いくら中世ドイツの話だとしても無理を感じる。
 
音楽としても、舞台としても、よくできているのは第一幕のヴェーヌスとタンホイザーの官能の場面であり、特に今回の演出では、ヴェーヌスのもとにタンホイザーがフィナーレの直前に帰っていこうとしたのも、単に誘惑を断ち切れなかったからではないと感じられる。前記のマイスタージンガーのところでも感じたのだが、この観念的な志向がドイツをああいう風に導いたのではないか。もっともタンホイザーの場合は個人の問題に限った話だけれど。
 
歌手ではタンホイザーのヨハン・ボータが、張りのある声で歌いあげもよく、そして出番が長い中、最後までスタミナも衰えず、見事だった。マイスタージンガーのヴァルターよりこっちの方が向いている。この翌年故人になってしまったのは残念である。
 
そしてヴェーヌスのミシェル・デ・ヤング、ここでは単に弱い人間を引きずり込むというだけではない。このような官能がなければ人間として成立しないと思わせる。作者が十分に一幕を割いただけのことはある。
 
そして最近ますます充実してきたメトの合唱、タンホイザーではとりわけこれが活きる。

演出はオットー・シェンク、この人がまだ若ころ、あのクライバー指揮の「バラの騎士」が最初の経験だが、ここでも魅力ある舞台を作って見せてくれる。第一幕の女たちの舞踏の見せ方、第二幕の騎士たちの歌合戦とエリーザベトでは背景の柱の向こうに見える外光があのストレーレル演出のヴェネティアものに通じる心地よさがある。
 
それにしてもジェイムズ・レヴァイン、演奏時72歳だが、傷めた腰・背中への配慮らか、指揮台の後ろばかりでなく前も倒れ込まないようにバーで囲まれている。その中の動きのダイナミックなこと、表情にある気合、見ていて気持ちいい。

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