メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

イングリッシュ・ペイシェント

2006-11-25 19:00:13 | 映画

「イングリッシュ・ペイシェント」(The English Patient)(1996 、米、 162分)
監督・脚本: アンソニー・ミンゲラ、原作: マイケル・オンダーチェ、撮影:ジョン・シール、音楽: ガブリエル・ヤーレ
レイフ・ファインズ、ジュリエット・ビノシュ、クリスティン・スコット・トーマス、ウィレム・デフォー、コリン・ファース、ナヴィーン・アンドリュース、ジュリアン・ワダム、ケヴィン・ウェイトリー
  
以前見たとき、細部がよくわからなかったのだが、今回吹き替えでも見て、その映像の魅力とともに重層的なストーリーも理解できた。よどみなく、細部の面白さにあふれた、きわめて美しい作品。
ブッカー賞のベストセラーを原作とするらしい。
 
第2次世界大戦時の北アフリカの砂漠で複葉機が銃撃され、重傷を負った男(レイフ・ファインズ)が遊牧民に救われた後にイタリアの連合軍に収容される。男の顔は原型をとどめていないのだが、少し話をしたところで「イギリス人の患者」と呼ばれる。過去を思い出せないのか、意識して思い出さないようにしているのか不明な状態。
 
そして移動中に彼は動かすのが危険な状態になり、担当の看護兵ハナ(ジュリエット・ビノシュ)は近くで見つけた無人の古城で看病を続けることになる。患者はどうもコスモポリタン、教養人のようで、持っていた、いろいろなメモ、絵、写真などがはさんであった本はヘロドトスのもの。
 
この本と、患者が語りだしそれにつれて思い出していくこと、その過去の物語、映像が、やはり戦時の今と交錯しながら、動き出す。
 
その過去だが、植民地の雰囲気漂うカイロや北アフリカの砂漠、イギリス人を中心とする地理や考古学など砂漠愛好家のグループでこの患者アルマシーはパイロットのジェフリー(コリン・ファース)、貴族的な妻キャサリン(クリスティン・スコット・トーマス)と知り合い、アマルシーとキャサリンは愛し合うようになる。カイロの街、パーティ、砂漠旅行、映画の魅力がたっぷりである。
 
そして戦争になり、ドイツ軍とのからみなどがある。しかしそれは患者の回想と、カイロで彼らにかかわり生き延びてこの古城に入り込んできたカラヴァッジョ(ウィレム・デフォー、好演!)の話から、最後までかかってわかるという形をとる。
 
そして、この古城に多く仕掛けられている爆弾の処理にやってくるインド人将校キップ(ナヴィーン・アンドリュース)、彼とハナは次第に心を通じ合う。
 
一見、アルマシーとキャサリンの北アフリカを舞台にした壮大な愛の物語、予告編のそういう触れ込みのように見えるが、見ていると、この話を紐解いて、ゆっくりいろいろな細部を見せるのに患者の回想、その思い出し方を使っているのがわかってくる。患者の位置が見るものの位置だろう。
 
そして次第にこの物語の主人公は、実はハナなのではと思えてくるのだ。彼女が監督の視点だろうか。

物語の主導権を握るのは、過去の北アフリカではキャサリン、現在ではハナ、つまり二人の女。必ずしもそうだからというのではないが、戦時でも登場人物は皆、個人の事情、個人と個人の関係が第一であり、この日常が丁寧に描かれているということが、映画を広がりと奥行きあるものにしている。
そうであっても戦争は着々と進行していくのであって、それをカイロのニュース映画上映シーンを入れることによって、うまく示している。
 
撮影はカイロ、砂漠、そしてイタリアの田舎、いずれも見事。
冒頭の洞窟はうっとりするし、キャサリンの肌、布地の襞、砂漠の文様が相互にすっと移ったりするとはっとする。
キップがハナをつれていく教会で、彼が発炎筒を彼女に持たせて滑車に吊り上部のフレスコ画を見せるところはなど、これは想像力のたまものだが、なんということか。

北アフリカの音、祈り、音楽(北アフリカ、当時のジャズ、場面と情感に沿ったクラシック)、これらの選曲とアレンジ、タイミングは完成度が高い。

レイフ・ファインズは、北アフリカ時代の山っ気がある男と患者両方の一筋縄ではいかない役だが、記憶に残る癖のある(いい意味で)演技。これからすれば「ナイロビの蜂」は当然か。

キャサリン役のクリスティン・スコット・トーマス、美人というタイプではないが、最初の砂漠で物語を話すところから、アマルシーがひきつけられていくのは当然と思わせる。話し方、しぐさ、衣装などの全体が、アマルシーとの激しいシーンはもとより、セクシーである。

コリン・ファースは、人がいいが単純で寝取られるという典型的な役にぴたりとはまっている。「高慢と偏見」(BBC TV)や「ブリジット・ジョーンズ」などのダーシー役とは随分違うのも面白い。

ハナ役のジュリエット・ビノシュ、この人がこの作品を最後に仕上げたといっていいだろう。
患者、キップ、カラヴァッジョとのかかわり、そうやって過去を拾い集め、看護という立場だからかどうかはわからないがそれらを平等にあつかう、それが人々それぞれの日常を際立たせる。

映画でも、ハナがアマルシーに宛てたキャサリンの手紙を読み終わったとき患者は死に、全ての物語は彼女に集約する。
この城を去るときに、部屋に戻ってきて患者の本を持っていく、このシーンに「ハナはすべての物語を語るものになった」ということが象徴されている。
 
ジュリエット・ビノシュは控えめな演技を持続し、背も小さく、役柄から衣装も軍服と夏のワンピース一つくらい、髪もメイクも考えれば、目立つ要素は無いのだが、この人と役に見るものも深く入っていってしまい、、、なんという大きさ、、、そしてセクシーだ。

ちょっと面白いところを二つ
古城の瓦礫の中にあった傾いたピアノをハナが見つけ、弾き始めるとそこへキップが来て離れろといい、ドイツ兵がしかけていった爆弾を見つける。ピアノなどは一番あぶないのだというと、これはバッハだからまさかこれで、とハナは冗談で返す。
このバッハの曲がなんと「ゴールドベルク変奏曲」。ハナはカナダ出身ということだから、観客の中には「グレン・グールド」の名前を浮かべる人もいるだろうし、作り手もそのつもりだろう。
 
ハナが古城に住みだしころ、庭の石畳で退屈しのぎに「ケンパッ」をしている。そして後半、先に書いたようにキップに導かれてフレスコ画を見に行くとき、庭にキップが置いたいくつもの小さな火が進路を示している中、飛び出してまず2回この「ケンパッ」をやり弾むように走って行く、見事。

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