メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

廃墟の美術史

2019-01-18 21:20:06 | 美術
終わりのむこうへ:廃墟の美術史
2018年12月8日(土)- 2019年1月31日(木)
渋谷区立松濤美術館
 
廃墟ときいて、何か滅びの美学のようなものかと思ったが、そうでもなくて、廃墟になる前のものの上に時間が、風雪が、争いが、その他いろいろな力、経過をへての結果であり、それらに対するイマジネーションであり、また未来に向かって廃墟への道が想像されることもあり、と様々な作品がならんでいる。
 
見る方は、作品が意識したもの、包含しているものを想像することが、そう困難ではないのも、気づかされた。
西欧の17世紀あたりのものは風景画といってもいいものが多いが、考えてみればそれも立派な人工物から風景の一部になったものであって、意識してみると不思議にいろんなことが想像される。ロベール、ピラネージ、コンスタブルなど、そしてルソー、キリコ、マグリットあたりになると、現在から廃墟への何かなんだろうか。
 
日本の画家でも、何人かの著名な画家にこのテーマがあり、それらは西欧のものから触発されたものばかりではなく、それぞれが何か廃墟への道についてのイマジネーションといったらいいだろうか。
 
しばらく前にその展覧会を見た不染鉄の「廃船」(1969)はもっとあとの東北大震災を想起させた。
またポール・デルヴォーの廃墟とヌードの組み合わせの数点は不思議な時間を感じさせた。
 
現代のもので印象的だったのは大岩オスカールの「動物園」、「トンネルの向こうの光」の二点、自然のあるいは人工的な災害による破壊、崩壊が、いずれも大画面に、ダイナミックな構成だが、静謐さもあわせていて、これは実物の前に立つ甲斐がある。
  
ところでこれらの作品はずべて国内にあるもので、今回のような視点でこれだけのものを集め、こういった世界を提示したことは、まさに見事なキュレーションである。

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