夕べの雲: 庄野潤三 著 講談社文芸文庫
初出は1964~65、日本経済新聞夕刊
庄野潤三(1921-2009)について、いくつかの作品名は知っていたが、読むのはこれがはじめてである。「夕べの雲」は作者がある程度実績を重ねてから発表したもので、評判もよく何か賞をとったと記憶している。
おそらく著者の身辺に近い世界を描いたものだろう。私小説といってよいのかどうかは置いておくが。
小田急線が多摩川をわたって川崎市に少し入っていったあたり生田の高台に家を建て、住むことになった中年の男、いつも家にいて自身何をしているのか書かれていないが、おそらく作者自身だろう。妻と中学生の女子、小学生とその前の男子が家族で、季節のうつろいのなかで子供たちの通学、家庭生活、周囲の自然とのつきあいが描かれていく。妻が「細君」とかかれているのはこの時代らしい。
おそらく書いている人の職業は作家であり、書いた作品が今読んでいる小説なのだろう。
多くは子供たちの動きと変化に関する発見で、読んでいるこちらもなるほどと思ったり、ほほえましく感じる。しかし、小説に勝手に求めるところからすると、新聞小説として毎日少し読む以上とは思えないのだが。
もっとも第三の新人の一人とされた作者、その世代からすると、戦中の、そして戦後しばらくの経験を経た人としては、貴重なもの、見え方だったのかもしれない。作者の子供世代にあたる私としてはそう考えるしかない。
この作品、たしか江藤淳が文芸時評(朝日)か「成熟と喪失」でだったか、高く評価して、人生の暗さへの洞察に支えられた明るさ(人生への肯定感)を指摘したと記憶している。
そう構えて読めば、そう読めないこともないかもしれない。
作者の著作をそれも「夕べの雲」を手にとったのはこのところいくつかまた読んでいる須賀敦子からである。意外にもこの「夕べの雲」は須賀がイタリア語に翻訳していて、そういうなりゆきからか、彼女は生田を訪れたこともあったようだ。
イタリア人の生活のおそらく根底にある生の肯定感、それは表面的な現れ方は異なれど通じるところがあるのかもしれない。
勝手な想像だが。
初出は1964~65、日本経済新聞夕刊
庄野潤三(1921-2009)について、いくつかの作品名は知っていたが、読むのはこれがはじめてである。「夕べの雲」は作者がある程度実績を重ねてから発表したもので、評判もよく何か賞をとったと記憶している。
おそらく著者の身辺に近い世界を描いたものだろう。私小説といってよいのかどうかは置いておくが。
小田急線が多摩川をわたって川崎市に少し入っていったあたり生田の高台に家を建て、住むことになった中年の男、いつも家にいて自身何をしているのか書かれていないが、おそらく作者自身だろう。妻と中学生の女子、小学生とその前の男子が家族で、季節のうつろいのなかで子供たちの通学、家庭生活、周囲の自然とのつきあいが描かれていく。妻が「細君」とかかれているのはこの時代らしい。
おそらく書いている人の職業は作家であり、書いた作品が今読んでいる小説なのだろう。
多くは子供たちの動きと変化に関する発見で、読んでいるこちらもなるほどと思ったり、ほほえましく感じる。しかし、小説に勝手に求めるところからすると、新聞小説として毎日少し読む以上とは思えないのだが。
もっとも第三の新人の一人とされた作者、その世代からすると、戦中の、そして戦後しばらくの経験を経た人としては、貴重なもの、見え方だったのかもしれない。作者の子供世代にあたる私としてはそう考えるしかない。
この作品、たしか江藤淳が文芸時評(朝日)か「成熟と喪失」でだったか、高く評価して、人生の暗さへの洞察に支えられた明るさ(人生への肯定感)を指摘したと記憶している。
そう構えて読めば、そう読めないこともないかもしれない。
作者の著作をそれも「夕べの雲」を手にとったのはこのところいくつかまた読んでいる須賀敦子からである。意外にもこの「夕べの雲」は須賀がイタリア語に翻訳していて、そういうなりゆきからか、彼女は生田を訪れたこともあったようだ。
イタリア人の生活のおそらく根底にある生の肯定感、それは表面的な現れ方は異なれど通じるところがあるのかもしれない。
勝手な想像だが。