メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ヴェルディ「椿姫」(グラインドボーン)

2015-02-06 21:26:03 | 音楽一般
ヴェルディ:歌劇「椿姫」
指揮:マーク・エルダー ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、演出:トム・ケアンズ
ヴェネラ・ギマディエワ(ヴィオレッタ)、マイケル・ファビアーノ(アルフレード)、タシス・クリストヤニス(ジョウジュ・ジェルモン)
2014年8月5日 グラインドボーン歌劇場 2014年10月 NHK BS
 

このところ椿姫の映像を見る機会が多い。もちろん傑作だし、人気も高いが、ある意味で再評価なのかもしれない。
ずっといろいろ見てきて、これは男と女、男の父のドラマというよりはヴィオレッタの生涯、その思いに集中した作品であり、それを前提にした舞台が望ましいと考えるようになった。最近の演出、演奏もその傾向が強い。
 

このギマディエワのヴィオレッタはなかなか聴かせるし、見入ってしまう。ヴィオレッタは高級娼婦であり、一途で純情な女でもあるわけで、風貌、演技、歌唱がそろうということは、実は難しいのだけれど、彼女はぴたりであった。
あまり大げさな動きをするわけでもなく、歌唱もきれいなロングトーンが魅力で、それをうまく使い、ヴィブラ―ト控えめで劇的な表現が出てくるから聴いていて疲れない
 

アルフレードとその父ジョルジュはまずまずだが、役柄がいま一つ感情移入できないものだから、これでもいい。長年聴いていると、ジョルジュ・ジェルモンという人は本当にとんでもない人で、あの「プロヴァンスの空と海、、、」なんてアリアに以前聴き入っていたのは、ヴェルディの作曲はともかく、なんだったんだろうと、今では思う。
 

ジェルモンがヴィオレッタを訪ね、なんとか息子と別れてくれ、それ相応のことはするからと、懐から札(小切手?)をヴィオレッタに差し出すが、彼女はそれを振り払う。落ちたあとそれをジェルモンに拾わせる演出はそういう役柄を強調するためだろう。あまりこんなこと考えていると、楽しめないけど。
 

マーク・エルダーの指揮は手堅いが、ところどころ、たとえば中盤にヴィオレッタが一人でアルフレードへの思いを爆発させるところで通常の倍以上に低音を効かせる。ライブならこういうことは効果的だし、やっていいだろう。
 

演出では、パーティ場面など普通より小さく暗めの高級ナイトクラブみたいなところ、郊外の邸宅もほとんど背景なし、ヴィオレッタに注意集中させるということからすれば、はずれてはいない。
 

なお、グラインドボーンの劇場、音楽祭は始まってからちょうど80年とかで、創設者ジョン・クリスティ、音楽祭の特徴、これまでの歩みなどをまとめた番組があわせて放送された。イギリスの玄人好みのちょっと地味な音楽祭というイメージを持っていたが、新人を積極的に起用するという原則もあるようで、これははじめて知った。

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