「卍」(まんじ) 谷崎潤一郎 (1886-1965)
作者が1928年から1930年にかけて雑誌に書いた、どちらかというと、才気を発揮した娯楽小説に近いものである。
舞台は関西で、一組の夫婦、、その妻が絵画学校で知り合った独身の美人女性、女性につきまとう若い男、この四人の物語。女性二人の同性愛からはじまるなんとも驚く展開が繰り広げられる。
物語の決着がついたのち、妻が作者にことの顛末を語るという形式にしていて、全編大阪弁である。この形はうまいというかずるいというか、こうでなれば大阪弁で通すのも不自然だし、標準語であればなにか淫靡すぎる感じになってしまっただろう。
谷崎は晩年に「鍵」、「瘋癲老人日記」で、日記、カタカナという手段で、それだからこそ書けたという大きな効果を出している。「卍」ではその手段が作者への語りであって、当人が告白として一人称で書いた形であれ、作者による三人称の形であれ、そういう場合の自意識を読者に感じさせる問題から逃れてしまっている。そこが面白いと同時に、よく考えてみると、文学としてはずるいといえる。
とはいえ、面白ければいいではないか、と作者にいわれれば、それはそうだ。
こういう男女のどろどろは少し前の「痴人の愛」にも見られるし、戦中の「細雪」の四女の話を書く上での準備に結果としてなっているのかもしれない。
ただ「細雪」はなんといっても、次女が戦中の男女を問わない近代人の問題を内包しているという傑作であって、それと比べると一度読んでしまえば、なんか奇妙な世界だな、ということでそこから想像が膨らむということはない。
大阪弁の語り、会話は面白い。
この卍というタイトル、特に説明はないけれども、四人のからみあいということだろうか。