メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

理想の結婚

2006-12-03 19:12:05 | 映画
「理想の結婚」(An Ideal Husband)(1999年、英、100分)
監督: オリヴァー・パーカー、原作: オスカー・ワイルド、脚本: オリヴァー・パーカー
ジェレミー・ノーサム、ケイト・ブランシェット、ルパート・エヴェレット、ミニー・ドライヴァー、ジュリアン・ムーア、ジョン・ウッド、ピーター・ヴォーン
 
オスカー・ワイルド作同名の戯曲を、おそらくかなり忠実に映画化したのではないかと思われる。
1895年のロンドン、新進政治家のロバート・チルターン(ジェレミー・ノーサム)は評価も高くなってきており妻ガートルード(ケイト・ブランシェット)に感謝している。
彼の妹メイベル(ミニー・ドライヴァー)と30代で独身を謳歌しているゴーリング卿アーサー(ルパート・エヴェレット)はくっつきそうでなかなかうまくいかない。
そんな中で、ウイーンから久しぶりに姿を現したチーブリー夫人、どうもアーサーと過去にわけありでガートルードと学校でいっしょだったらしいのだが、ロバートの過去の汚点を知っており、彼をゆすりにかかる。
 
その後は、この5人による、よくある間違いと誤解の喜劇で、その中でアーサーの父親も加わった皮肉、箴言など、にやりとさせるせりふ、やり取りが面白い。
原作を読んだことはないが、よく出来た芝居なのであろう。
理想と現実、それに対する寛容、そして世紀末のイギリス政界事情、細部もなかなかである。
ただし、同じワイルドでも前に書いた「理想の女(ひと)」(2004)に比べると、原作を変更してでも映画としての面白さをそこに加えたとは言いがたく、印象も地味なのは致し方ない。といっても一見の価値はある。
 
もっとも1回では、嘘の上塗りの連続あたりのところがよくわからない。2回見て少しわかったが、ちょっと矛盾があるかも知れない。それが寛容ということなのだろうとは思うのだが。
 
ここでドラマを動かしていく軸となるのはアーサーとチーブリー夫人で、だからルパート・エヴェレットとジュリアン・ムーアの虚々実々のやり取りが見もの。ジュリアン・ムーアは憎たらしさ一杯でさすがだが「ハンニバル」(2001)のクラリス役より随分老けたつくりである。
 
 
ルパート・エヴェレットがこの映画では一番得な役だが、それに安住せず、もてるものの笑われキャラという役どころは見もの。あの傑作「ベスト・フレンズ・ウェディング」のジュリア・ロバーツの友達(ゲイ)のかっこ良さからすれば当然、プロデューサーはこれを評価したのかもしれない。
 
ジェレミー・ノーサムの役は、この種のドラマによくあるように元々あまり味わいあるように書かれていないので、そこそこだが、それでいい。
 
 
妻役のケイト・ブランシェット、この役にぴったりで、美しく、聡明、最後は寛容を知るというイメージに合っている。あの「アビエイター」(2004)でのキャサリン・ヘップバーン役に通じるところもある。ここでは特にせりふがないときの表情がいい。
 
 
メイベル役のミニー・ドライヴァーはうまいが、この役もう少し容貌がきれいな人がやった方がよかったという評は、彼女には悪いが当たっている。イギリス人の感覚はそうでもないのかもしれない。
   
   
アーサーの父親(ジョン・ウッド)、アーサーの執事(ピーター・ヴォーン)、この人たちの言動がおそらくイギリスのこの階級特有のあるいはそれが皮肉られるときのものなのだろう。
オープニングの、アーサーが愛人と過ごした後の朝、女性が裸でベッドを離れ画面から出て行く、とそれに合わせるように執事がベッドの方を向いてアーサーを起こしにいき、新聞を「読んであげる」ところなど。
 
ところで「理想の女」の原作は「ウィンダミア卿夫人の扇」だったが、この「理想の結婚」にもちょっとだけウィンダミア卿が登場する。
「理想の女」(オリジナルはA Good Woman)という邦題には当時違和感を感じたが、「理想の結婚」が先に公開されていることから、そうなったのだろう。
一方なぜ直訳して「理想の夫」としなかったのかという疑問もあるだろう。ただ「理想の結婚」、「理想の夫」と並べてみると、おそらく日本人の感覚では「理想の夫」という映画に行こうという気はあまりおきないのではなかろうか。

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