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集中力の法則

2009-11-03 | Weblog
第6章 集中力の法則 「集中力を高めるトレーニング」あさ出版より
法則1
集中力は心のエネルギーの爆発である。
 何やら冒頭から、岡本太郎風のセリフになってしまい、おおよそ科学的らしからぬことになってしまったが、注意集中力の問題には、科学だけではいかんともしがたい部分があることも、あらかじめ心にとめておいてほしい。
 さて、機会でも、人間でも、およそ動くものは何でも、エネルギーが必要である。自動車にはガソリン、帆船には風、水車には水、そして人間の心には注意集中、という次第である。
 エネルギーをたくさん使えば速く強力に動くことができる。速く強力に動き回るためにエネルギーをたくさん注ぎ込みたいのだが、使えるエネルギーには限界がある。そこで、できるだけ少ないエネルギー消費で最大の効率を、ということになる。
 この効率を上げるにはどうすればよいかをいくつかあげてみよう。
 まずは、エネルギーを限られたことだけに使うことである。同じエネルギーの量なら二つのことに使うより、一つのことにそのすべてを使えば、倍の力が出ることは小学生でもわかる簡単な算術である。10個の英単語を覚えるよりも、5個の英単語を覚えるほうがよく覚えられる。
 次は、自動車で言えばエネルギーの交換効率、燃費を上げることである。わずかな集中力で、たくさんの事が覚えられたり、楽に問題が解ければありがたい。
 このように、集中力コントロールには、注意エネルギーの配分コントロールと、交換効率コントロールの二つがある。いずれも、意識的にできるときと、できないときとがある。
 もちろん、エネルギーの量にも、人によって豊富な人と少ない人がいることは言うまでもない。それは、どうにもならないことのようでもあるし、がんばれば多少のエネルギーを入れる器を大きくすることは可能である。しかし、それにも限界がある。その限界の中で、じょうずに集中力をコントロールしていく技術の数々を本書で紹介してきたつもりである。

法則2
集中力は能動的部分と受動的部分とがある。
 集中力に限らず、人間は自分の心を完全にはコントロールできない。だからこそ、心のコントロールを願い続けてきた。自分で自分のコントロールができたら、というのは人類の夢と言ってもよい。集中すべきとき集中でき、リラックスすべきときにリラックスできたらすばらしいことである。
 催眠研究の世界的権威である九州大学の成瀬教授は次のような興味深い実験を行った。
「195379654」「478231635」・・・といった9桁の数字を中学生に記憶させる。普通に覚えさせると、最初の桁がもっともよく覚えられて6桁~7桁目となるにつれて、次第に成績が悪くなり、最後の2桁は少し成績があがる。これは、初頭効果・終末効果といい、すでに説明したとおりである。
 ところが、もっとも成績が落ちる7桁目を赤でよく目立つようにしておくと、その桁の成績が高くなる。目立つところには、自然と注意が向けられるからである。これは、受動的注意集中と呼ばれる。もっとも、あらかじめ7桁目を特によく覚えておくようにと指示しても、これと同じような効果が得られる。これは、自ら注意をコントロールして7桁目に向けた結果であり、能動的注意集中と呼ばれる。
 能動的注意集中は自分でがんばればできるわけであるから大いにやったらよい。自分の好きなものを選び、じっくりと大事なところに注意を集中したらよい。イメージを頭の中に描くのも、緻密な論理を展開するにも、この能動的注意集中が必要である。
 これは成瀬教授によると、心の体操によって訓練できる。たとえば、ヨガ、座禅、瞑想、催眠法などである。ただ、筆者の立場としては、これらによって集中力が養成されるとは考えたくない。むしろ、これらは集中力の乱れを通常に戻すのに、効果があるのではないかと思う。
 では、受動的注意集中のほうはどうなのかというと、これは、自分ではどうにもならない。だから、受動的なのである。しかし、集中力コントロールを考えるときには、この受動的注意のコントロールは、能動的注意集中のコントロールよりもはるかに簡単に効果が期待できる。
 なぜなら、注意力が自然と発揮できるような環境の設計をすればいいからである。本書では、むしろこちらを強調してきたつもりである。つまり、やるべきことだけを目立たせる、応答する環境を設計する、早朝を利用するなど、すべて自然に注意集中ができる環境とは何かを考えてきたつもりである。

法則3
集中力で「がんばれば」では発揮できない
 「一所懸命がんばれば集中できる」「集中できる自身さえあれば」「鉄のような意思さえあれば集中できる」「やりとげようとする意欲が集中を生む」「集中力は気合である」などのいわば精神主義的用語による説得は、集中力に限らず心のコントロールを考えるときにはしばしば耳にする。
 どれをとっても格別間違ったことを言っているわけではない。本書でも、ほんの少しではあるが、この種のセリフを使ってはみた。確かに人間はこれで動くことがあるからである。
 しかし、どれ一つとっても、具体的にはどのようにやればいいのかさっぱり見当がつかない。「がんばれば」といっても、「どのようにがんばったら」いいのであろうか。「熱意を持て」と言われても、熱意が湧いてこないで困っているのに、と言いたくなる。
 こうした説得効果があるのは、説得された人が自分なりにもっと具体的な行動や環境設計はどうすればよいのかをよく知っていて、それを知らない、したがって、どうしていいのかわからない人のほとんどの人は途方に暮れてしまうというのが、実際のところではないだろうか。
 この精神的用語、あるいは精神主義は、心理学にとっても、人間の心のコントロールにとっても大変便利でしかもわかりやすい。だから安易に使いたくなるし、納得したような気になる。しかし、次のようなことには注意してほしい。
 まず、そのことばが実際には具体的な世界での具体的なことを言っているのだ、ということがわかっているかどうかである。「友達を大事に」(精神主義的セリフ)は「友達には嘘をつかない」「借りたお金は必ず返す」(行動的セリフ)に翻訳されるはずである。もし、できないとすれば、あなたにとってそれはあまり意味のないことになる。
 精神主義的用語を具体的なことばにするコツは、因果関係を考えるとこである。熱意があるから集中できるのか、集中できるから熱意がわいてくるのかを考えてみるのである。そして、その原因を自分自身で操作できるかを執拗に考えてみるのである。
 精神主義的用語や精神主義が怖いのは、自分の心を漠然としてホンワカした言葉でわかったつもりにさせてしまうとこである。一種の「めくらまし」言葉としてあなたがあなた自身をごまかすのに使ってしまうと、自分自身をしっかりと冷静に眺めることができなくなってしまう。集中力に限らず、それは自分の心のコントロールにとっては大敵である。
 なにはともあれ、精神主義的な甘言に翻弄されないことが大切だ。

法則4
集中力は環境・課題・心身状態で変わる
 集中力コントロールは、どのような環境のもので何をするか、そしてその時のあなたの心とからだの状態はどうなっているかによって異なってくる。集中に最適な環境と思っていても、からだが極端に疲れていては集中力は発揮できない。心身が充実しているときに簡単な仕事では、気抜けがして集中できない。環境と課題と心身状態が微妙に影響しあっているのである。
 もう一度、ここでこれからの3つの要因を整理してみよう。
 環境には、証明、音、机の配置、部屋の空調などの物理的環境と、親や兄弟、友達や同僚、上司などの人的環境とがある。このいずれも集中力コントロールにとって大事である。
 課題は、それこそ千差万別である。集中力との関係で言えば、「むつかしいかやさしいか」「おもしろいかつまらないか」「単調か変化があるか」「まとまっているかばらばらか」が問題になる。やさしいもの、変化のあるもの、まとまっているものには、それほど苦労な区集中力が発揮できる。問題は、そうではないときにどうするかである。
集中力コントロールを考えるときには、一番のくせものが心身状態である。集中力はそもそも心のある種の状態である。その心の状態をもうひとつの心の状態でコントロールすることが問題になるのだから話しはややこしくなる。
 からだの状態についても、心とからだとは、にわとりが先か卵が先か、つまり集中力がなくなったから疲れたのか、疲れたから集中力がなくなったのかは、はっきりとどちらとも言えないところがある。
 この3つを組み合わせると話はとてつもなく複雑になるので、そのすべてにわたって述べることはできない。あなたの創意によってあなたなりの方法を考えていただきたいところである。

法則5
集中力は限界があることを知っておく

 集中力には、2つの意味で限界がある。
 一つは、エネルギー量の限界である。石油でも、原子力でも、およそエネルギーにはどんなものでも限界があり、いつかは枯渇する。注意のエネルギーも例外ではない。供給量の限界に加えて、それをためるのにも限界がある。容量制限である。ちょうと、ダムのようなもので、ダムに流れ込む雨の量にも限界があるし、大きさにも限界がある。
 もう一つは、集中のエネルギーを一点に集め、それを一点にとどめておく力の限界である。図を見てほしい。いずれも反転図形と呼ばれるものであるが、じっと見ていると見えるものが反転するはずである。一方だけ見ようとして注意を集中しても別の見え方は生じてしまう。
 いずれの限界の、固定したものと考える必要はない。ある程度までは訓練によってこの限界を拡大することはできる。禅や瞑想、メンタル・トレーニング、一点凝視などがそれであり、また、環境の設計によってもこの限界を越えることができる。
 しかし、そのいずれにも限界がある。朝から晩までたえまなく集中し続けるのは人間にとって自然なことではない。自然ではないことをずっと続ければ害になる。
 特に、注意集中が外から強制されるときは、注意しなければならない。注意力コントロールは、個人の力量にゆだねられるくらいの環境がちょうどいいのである。これまでに述べてきた方法の数々は、子供や部下の注意集中をコントロールする技術として使うこともできるが、十分にこの点への配慮をしてほしいものである。
 そして、集中力について考えるのと同じくらい、あるいはそれ以上に大事なことは、いかにリラックスするかである。リラックスのコントロールができれば、おのずと集中力は発揮できる。この点も、随所で強調してきたつもりである。

法則6
集中力は馴れによって節約できる
 われわれは、毎日の生活を快適に過ごすために、たくさんのことをしなければならない。
 歯を磨く、食事をする、服を着る、電車に乗るなど、これらのことすべてに、いちいち注意のエネルギーを集中していては身が持たない。
 ところが、生活習慣の違う外国にいって生活をしてみると、つまらないことに貴重な注意のエネルギーを使わざるをえない。例えば、電話ひとつにしても、どこにお金を入れるのか、「もしもし」の代わりになんと言えばよいのか見当がつかないので、一所懸命に頭を使うことになる。電話だけでなく、スーパーでの買い物にしても事は似たようなものである。だから馴れない外国での生活は気が疲れる。
 注意の集中は、ここ一番のがんばりがいるとき、慣れないことや大事なことをするときにだけ発揮し、どうでもいいところでは省エネを実行することが快適に生活し長生きするコツである。
 注意は心のエネルギーである。一度使ってしまえばなくなってしまい、補給するのに時間がかかる。だから大事に使いたいのである。また、使わなければ、どこかで、一度に集中的に吐き出すことも可能で、ためておけば、それだけたくさんの集中力が充電できる。
 幸いなことに、我々は日常生活のほとんどを無意識のうちにこなしている。歯を磨くのに注意のエネルギーを割く必要はない。箸を動かすのにいちいち注意を配分するのは、自分で始めて食事ができるようになる2歳頃の話である。
 何度も同じところに電話していれば番号を覚えてしまい、改めて調べる必要がなくなる。手紙も、一定の書き方を覚えてしまえばスラスラとかけてしまう。ワープロでも、指の動かし方に熟達してしまえばそれだけのものを考えるほうに集中できる。相当難しい仕事でも、慣れてくればどんどん無意識のうちに自動的にこなせるようになる。注意力を改めて注ぐこともない。
 慣れること、熟達することは、注意エネルギーを有効活用する鍵だが、実はこれが一番難しい。たしかに同じことを数多く繰り返せばよいのであるが、そのためには、最初の注意の全エネルギーを割かなければならないからである。
 見たり、覚えたり、学んだりする機能を鍛えるということは、こういうことなのである。つまり、最初は、10の努力が必要であったのが、次第に8になり、5になり、やがては2の努力で十分になる。そして、残った注意のエネルギーを、より大事なことに使えるようになってくれば人生が楽しくなり、人生の勝利者になれることもうけあいだ。

法則7
集中力は多すぎても少なすぎてもよくない
 集中力は、できるだけたくさん発揮できればできるほどよいと考えがちであるが、必ずしもそうではない。結論を先に言ってしまうなら、仕事や勉強の内容によって、必要とされる集中力のレベルは異なり、そのレベルに合った、それなりの集中力を発揮することが、もっとも効率的な生活できることになる。
 あまり注意を集中する必要がないのは、次のような場合である。
① いつも同じことをする場合・・・流れ作業でひとつの部品をハンダづけするなど。
② 手順がいつも決まっていることをする場合・・・朝起きてから家を出るまでなど。
③ 熟練したことをする場合・・・字を書くなど。
④ アイデアや構想を考えている場合・・・次の新商品の開発など。
 一方、注意を集中する必要のあるのは、次のような場合である。
① 慣れないことをする場合・・・久しぶりにバスに乗ったときのお金の払い方など。
② 何か変わったことが起きた場合・・・自動車を運転していて割り込みがあったときなど。
③ いくつかのことを同時にやる場合・・・テレビを見ながら電話の対応をするときなど。
④ 普段以上の力を発揮したいとき・・・勉強で一番をとりたいときなど。
注意の集中は、必要なときに必要なときだけ発揮できたときに、気分的にもっとも充実感を持つことができる。必要とされる量と発揮される量との間にギャップがあると、気分的に乗らない状態となり、ひいてはとんでもないミスにつながる。
電車の運転手や重要な判断に馴れている起業のトップでも、「どうしてあんなベテランが」というような間違いをしでかすときがある。それは、運転や判断が、その人にとってはあまりに日常的で注意を払う必要がほとんどなくなっているため、注意のエネルギーが余って、ちょっと注意を引く周囲の状況に注意が引きつけられてしまったためである。
逆に注意が足りない場合のミスについては、誰でも経験しているはずである。ボンヤリしていて信号を見落とした、ボケーッとしていて塀にぶつかったなど。さらに、たくさんのことを一度にやらなければならなくなり、注意のエネルギーが足らなくなったときにミスもある。一度に7人から食事の注文をとったりするとき、いろいろのミスが起こるのもそのためである。
かくして、ミスを起こさず、しかも飽きも感じない、ストレスも感じない充実した生活が送れるのは、自分が注ぐ注意集中の量と仕事や勉強が要求する注意集中の量とが、ちょうどバランスを保っているときということになる。

法則8
集中力は性格によって発揮の仕方が違う

人は百人百様である。この世の中に全く同じ顔の人がいないように、まったく同じ性格の人もいない。
にもかかわらず、顔でも性格でも、どこか似たところを他人に見つけたがるものである。そして、似たところを見つけるとどういうわけか安心する。自分は何者であるか(自我アイデンティティ)を見つけたいというのは、本能に近い欲求のようである。
ここで、人の性格によってそれぞれ集中力のアドバイスの内容が違ってくるので、才覚を4つのタイプにわけてどういう集中法がいいのかを述べたい。
謹厳 実直氏 仕事を生真面目にこなすことで定評がある。いつもわき目も振らず仕事をし、仕事の後での一杯にも付き合いはするが、自分の型を崩すことはしない。こんな人には、集中力をいかに発散して、リラックスした生活をしたらよいかを説くことになろう。集中しすぎの弊害を一番こうむりやすいからである。
俊敏 粗忽氏 仕事は速いが、よく誤りをする。腰が軽くて人付き合いもいい。どことなく愛敬があるが、仕事の深みはいまひとつである。こんな人には、一点集中力の素晴らしさを教えてあげたい。
鈍重 遅延氏 人のことはあまり気にせず、じっくりマイペースで仕事をする。能力はある人だと、いつの間にか周囲から気になる存在とされる。こんな人には瞬発力のすごさを教えてみたいものである。
丁寧 素直氏 丁寧さを素直さがとりえ。間違いのない仕事をするので、周囲の信頼を得ている。しかし、企画立案などではあまり冴えたアイデアは出さない。こんな人には集中思考の発揮の仕方について伝授したいところである。
 
さてあなたは、この4人の誰ともっとも似ているかを、まず考えてほしい。そして、本書が「俊敏 粗忽氏」によって書かれたものであることを知って、その上でなおかつ、自分の集中力コントロールの方法として参考になるものがあればいかしてほしい。
もっときめの細かい集中力の本を書こうとすれば、人の性格別の集中力コントロールの仕方について書くのがよさそうである。機会があれば試してみたい。

法則9
集中力は緊張することではない。
 集中すると緊張するし、緊張すると集中力が発揮できる。確かに集中と緊張とは同時に起こることが多い。しかし、集中と緊張は同じではない。
 たとえば、自動車の運転。道路の状態に気を配る一方では、目的地にどれくらい近づいたのか、ガソリンはまだあるか、夕食はどうするかなど、いろいろなことに気を配らなければならない。ひとつのことだけに集中するわけにはいかないのが、自動車の運転である。
 しかし、緊張はしていなくては大変なことになる。子供が飛び出してきたら一瞬のうちにブレーキを踏まなければならないし、緊張が低下していていねむり運転になってしまっては、どうにもならない。
 これに対して、禅では、集中していて、しかもゆったりとした気分、弛緩した状態になれる。なぜなら、座禅中の脳波をとってみると普通はボンヤリしているときに出てくるアルファ波が出現してくるからである。
我々でも本当におもしろいことや、興味を持ってやれる仕事や勉強中に、気持ちが乗ってくるとこうした状態になれるようである。仕事してやる、やってやる、大発見をしてやろうなどという気負いがなくなり、時間にとらわれることもなく、集中しようとがんばることさえ必要のないくらい集中している。こんな状態が、あなたの生活の中にあるだろうか。
 さて、こうして見てくると、ここでも、「集中-拡散」と「緊張-弛緩」と組み合わせた4つの状態があることがわかる。 
 集中・緊張の状態がもっとも体験的にわかるので、集中力のことを考えるときはついこの状態だけを頭に浮かべてしまうが、図に示すように、集中力をめぐってはいろいろの状態があることも覚えておいたほうがよい。




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2 コメント

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Unknown (桜香)
2009-11-03 08:56:19
岡本太郎ふう………
この書き出しに惹かれますです



岡本太郎連想

神奈川県立文学館でしたか


太郎の母
岡本かの子の著書が展示されていました


文学史や小説でしか垣間見ませんが


かなりの情熱(爆発?)的人生を送った女性
そのイメージさながらの装丁


表紙………
『岡本太郎』
とありました


息子から母への思いが凝縮


ちいさな表紙絵にパワーを感じました


天才!と感じ入りました


せんせいの原稿
パワーがみなぎっています


天才|です(^o^)/



EHにはエラーがみなぎって…………………

はい
(`∇´ゞ
おもひだしました
『力はパワーだ!!!!』

パワフル\(^O^)/ (green)
2009-11-04 02:47:30
more powerful \(^O^)/

一番好きな、他の誰かにお勧めしたい本
☆№1★です(^-^)◎

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