人間は努力、あるいは努力感をもって何かをすることを嫌う。
だから習慣化できるものはそうするし
自動化できるものはそうする。
ところが、ひとたび、病人になると、この自動化が崩壊する。
たとえば、今朝の自分。
・起きようかもう少しねてようか
・100回体操は、今日はやめておこうか、
・今日は80回でいいか、それともがんばるか
という次第。
これが朝から晩まで生活の至るところで発生する。
一つのことをやるのに、かつては必要がなかった努力(感)を必要とする。
したがって、起床時間が長いと、疲れるので、ひたすら寝る。
もっともこれにも、寝るか寝ないかの判断コストがかかる。
かくして、病人は、疲れるのである。
だから習慣化できるものはそうするし
自動化できるものはそうする。
ところが、ひとたび、病人になると、この自動化が崩壊する。
たとえば、今朝の自分。
・起きようかもう少しねてようか
・100回体操は、今日はやめておこうか、
・今日は80回でいいか、それともがんばるか
という次第。
これが朝から晩まで生活の至るところで発生する。
一つのことをやるのに、かつては必要がなかった努力(感)を必要とする。
したがって、起床時間が長いと、疲れるので、ひたすら寝る。
もっともこれにも、寝るか寝ないかの判断コストがかかる。
かくして、病人は、疲れるのである。