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本格コーヒーを飲むと

2007-05-15 | Weblog
今日、3時に本格コーヒーを飲んだ
それが効いたのか、いつもの時間に床に入っても
眠れない。
しかたないので、これを書いている。
最近、コーヒーを飲むのをひかえている。
飲んでも、アメリカンよりもっと薄いものを少々
したがって、時折、本格ものを飲むと、実においしいし
頭に効く。
やはり、コーヒーはほどほどが良さそう。

不審者

2007-05-15 | 安全、安心、
1-11  海保・宮本「安全・安心の心理学」新曜社刊より
不審者


**4行あく

           ムムム意外に難しい不審者発見
●「不審な人を見かけたら110番」
 我が家の近辺を散歩していると、こんな標語をあちこちで見かける。不審者でない自分のほうが、不審者に見られないかと緊張してしまうような時もあり、一人笑いしてしまうこともある。
ところで、本当に、不審者を見つけて110番する人はどれくらいいるのであろうか。
問題は2つある。一つは、不審人物であるという判断の問題。もう一つは、110番電話をするという行動の問題。判断も難しいが、さらに判断と行動の乖離もあるので、残念ながら、標語がすんなりと実践されることにはならない。そうかと言って、あとから、
「そう言えば、挙動が不審だった」では遅い。**注1

●不審人物と思わせるもの
 昔、カリフォルニア州のUCLAに在外研究に出かけた時のこと。空港についたとたん、まわりは不審人物だらけという感じで非常に不安になったことを思い出す。滞在中も、向こうから大男が歩いてくると、なんとなく不審者のように思えて、避けるようしたことも何度かあった。
ある人物に不審を感じるのは、一つは、容貌である。たとえば、海外に出かけたりすると、人種による容貌の違いに直面する。それまで頭の中あった人物認識の鋳型や特徴があまり使えない。見慣れない容貌の人ばかりとなる。さらに、風袋もある。その場にふさわしくないみすぼらしいラフな風袋は不審を抱かせる。カリフォルニアスタイルは、本当にすべての人々の風袋が不審を抱かせるようなものであった。
もうひとつ、不審人物と思わせるのは、挙動である。その時その場にふさわしい自然な挙動というのがある。そうでない挙動は、不審を抱かせる。

●110番を躊躇させるもの
不審人物であるとの判断をしても、ただちに110番とはならない。なぜか。
一つには、自分の判断に自信がないからである。人物判断の難しさは誰しもが知っている。「怪しいと思っていた人が、実は、安全パトロールをしている人だった」「家を覗いている人が、実は久しぶりに帰省したその家の息子だった」などなど。
本当に不審な人を見つける確率は、実はかなり低い。容貌、風袋もあまり当てにはならない。挙動も、自分には不審に見えても、その人には何か特別な理由があるのかもしれない。
行動を躊躇させるもう一つの要因はーーーそして、これがかなり強力な要因だと思うのだがーーー「恥ずかしさ」と「面倒さ」である。もし不審人物でなかったら、誤った110番通報をしてしまった自分が恥ずかしいとの思いである。恥をかくより、ここは黙っていようとなってしまう。また、実はなんでもない事を警察まで巻き込んで大げさにしてしまうことに伴う面倒さも、110番通報をためらわせる。
そして究極の障壁は、警察の対応である。最近はかなり状況が変わりつつあるように思うが、事件になれば警察の対応は迅速かつ強力なところがあるが、犯罪が起こるかもしれない予防段階への対応は必ずしもそうではない。電話をするほうも、確信のある判断ではない弱みもあり、つい行動を抑制してしまう。
子供に防犯ベルを持たせるようになったが、これで安心とはいかない。ベルを鳴らす決断を子供にさせるには、こうした110番通報の躊躇と同じような障壁があることに留意する必要がある。

●気楽に110番、それとも
犯罪は突発的に起こることも、ある程度予兆があって起こることもある。予兆の一つが、不審人物の発見である。犯罪発生前に、その人を見つけて排除できれば言うことはない。
今どこでもしきりにやっているのが、ゾーン規制である。ビル、航空機、さらには、学校などに不審者が入れないようするのである。コストがかかるが、それだけに効果は抜群である。やや緩いゾーン規制としては、住宅地などでも入り口を一カ所にしてしまうようなやり方もある。
 子供を守るために、学校や親に向けての情報開示もそれなりに効果がある。いつどこでどんな不審者が目撃されたとか、痴漢が出現したとか、空き巣が発生したとかいう情報を、インターネットや自治会などの広報網を通じて流す。できるだけ身近な区域に限定しての情報開示がよい。これも、次第に整備されてきている。** 注1
ただ、不審者情報が集まりやすいように、気安く通報できるようにしておかないと、1年も2年も前の情報がむなしく公開されているということになってしまう。
最も自然体で効果のあるのは、地域住民の連帯である。連帯があるところには、不審者は簡単には紛れ込むことができない。しかし、「隣は何する人ぞ」が普通の地域社会ばかりになってきてしまった。その気安さは捨てがたいところがある。それに安住し過ぎてしまったところを狙われているのが、昨今の犯罪事情の背景にあることは間違いない。プライバシーや個人中心にも配慮しながら、しかし、住民全体の安全、安心にも強い地域社会の新しい連帯の形を構築しなければならない時がきている。
先般のマンション耐震構造偽装事件で、それまでお互いに無関心だった住民どうしが、結束して事に当たる姿がしばしば放映された。その姿は感動的ですらあった。事が起こる前に、こうあってほしいものである。(K)


***注1 不審「者」はなかなか面倒な話になるが、不審「物」のほうは、たとえば、爆発物らしきものが、ただの買い物の置き忘れだったといった類の話(虚報)になるだけである。
***注2 たとえば、06年4月19日付け朝日新聞によると、茨城県教委が設置したHPの不審者情報の掲示板へのアクセスが連日千件もあるとのことである。掲示板なので、外部からも書き込めるのが情報を充実させることにもなっている。

今日の小さいドジ

2007-05-15 | Weblog
たっぷりと寝た。
最近は目覚ましを使わない自然覚醒にしている。
起きて時計をみたら、5時。
しまったと思い、炊飯器にご飯をしかけて
パソコンを立ち上げた。
バーの時計をみると、3時30分。
時計をみると、止まっていた。