お疲れ様!平塚宿到着です!!
馬入の一里塚からは、ほぼ一直線で平塚宿江戸見付へ。平塚宿は、東西に直線に伸びた東海道に沿う形で宿場が形成されていたとのことですが、すでに馬入川から真っ直ぐに道は続いています。

見付は、宿場の出入り口で防御の役目も果たしていたようですが、復元された見付の規模が当時と同じだとしたら、どの程度の効果があったのでしょうか?城門のような大きな門があるわけでもないようですし。
ま、徒党を組んで見付を突破し、宿場に乱入しようとする賊なんて、そもそもいなかったとは思いますが。見張り役が(見張り役は見付に常駐していたの?)不審者の尋問や、宿場内外の警備をしていた場所くらいのイメージでいいのかな?
それよりも、「ここから内側が宿場だよ!」と視覚的に示す目印的な役割が大きかったとも。
江戸時代後期には、あまり重要視されていなかった施設、なんて解説もありました。

見付も、一里塚と同様に道路拡張などによって撤去されたものがほとんどのようです。江戸時代の遺構が市街地で生き残るのは、やっぱり難しいものですね。
此処から先がいよいよ平塚宿。
本陣1軒、脇本陣同じく1軒、問屋場2ヶ所、そして旅籠54軒。
屋数は443軒、人口2,114人…(江戸後期)。
その平塚宿の探索は、次回のお楽しみということに。
-H-
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