早雲寺をあとにして、箱根路を辿る一行です。

箱根湯本駅近辺の喧騒とは違って、長閑というか、閑静な雰囲気の中を東海道は箱根の山へと続いていきます。

江戸時代を思わせるバス停名を通ります。このあたりも湯治客で賑わっていたのでしょうね。
【正眼寺】

鎌倉時代からのお寺とのことです。曽我兄弟に関連するもの(仏像、供養塔など)が多く残っているそうですが、敷地の外から本堂を拝ませていただいて先を急ぎました。幕末、山崎の戦いの際に遊撃隊に火をかけられ本堂は焼失したそうです。現在の本堂は実業家・今村繁三の別荘を昭和初期に移築したものだとか。

道端に源泉の湯。
これ、ペットボトルに入れて持ち帰れば、我が家にいながら箱根の温泉に入れるわけか…。湯船を満たすのは無理にしても、「温泉の素」的に少しだけでも。でも、あいにくそこに思いが至ったのは、このブログを書いている最中(まさに今)だったのでした。

この辺り、江戸時代は湯本茶屋という名の集落でした。それまでは湯本村だったのが、寛永年間に湯本村から分離し独立した村となりました。幕府の街道整備の一環だったようです。これにより、湯本-湯本茶屋-須雲川-畑宿と続く村々が成立しました。
【湯本茶屋の一里塚】

一里塚に到着。背後の木に覆われるように石碑が建っています。うっかり見落としてしまいそう。日本橋から22番目の一里塚ですが、痕跡は見当たらず石碑のみでした。


昔も、ここ、湯本茶屋を出てからが、いよいよ本格的に「箱根の山は天下の険」に臨む、という感じだったのでしょう。我々HIZAKURI隊も気合を入れて歩を進めます。
-H-
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