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HIZAKURI

旧東海道踏破の覚書、ただし日本橋から箱根まで

お菊さんは平塚出身だったのだ

2013年11月23日 | 平塚宿-大磯宿-小田原宿

怪談「番町皿屋敷」の悲劇のヒロイン・お菊さん。実は此処、平塚宿の出身だったそうです。現在、平塚駅に程近い紅谷町公園の一画にお菊塚があり、伝承を後世に伝えています。

かの有名な番町皿屋敷。でも正確なストーリー、知らなかったりしませんか?そこのあなた。
ということで、いい機会なので調べてみました。平塚宿の伝承と比べてみると-。
怪談・番町皿屋敷は主にWikipediaと聞きかじり、平塚の伝承は主にお菊塚の案内板を参照しました。

↑小さな公園(紅谷町公園)の入り口に案内標識。

【事件発生日時】
怪談版…1653年正月2日
平塚版…1740年2月

【事件現場】
怪談版…江戸牛込御門内五番町
平塚版…江戸(のどこか)

【奉公先】
怪談版…火付盗賊改・青山主膳
平塚版…旗本・青山主膳

【家族】
怪談版…兄-四谷大木戸に住む侠客(盗賊)・向坂甚内
平塚版…父-平塚宿の役人・真壁源右衛門

【事件概要】
怪談版…
青山家の家宝の皿10枚のうち1枚を割ってしまった(紛失したとも)お菊は、激怒した主膳に中指を切り落とされ監禁される。お菊はその部屋を抜け出し井戸に身を投げて絶命。
平塚版…
主膳が怨むところあってお菊を斬殺。または、主膳の家来が自分になびかないお菊を恨み、青山家家宝の皿を隠しお菊が紛失したと主膳に密告したため、お菊は手打ちにされたとも。

【後日譚】
怪談版…
その後生まれた主膳の赤ちゃんには中指がなかった。そして、夜な夜な、お菊の幽霊が井戸に現れ「い~ちま~い…に~ま~い…」と数を数えるようになった。この事件は幕府の知るところとなり、主膳は家禄を没収され親戚にお預けとなった。
平塚版…
お菊の遺骸は長持ち詰めにされ、馬入の渡しで父・源右衛門に引き渡された。源右衛門は刑死人の前例により墓を作らず、栴檀の木を植えて墓標代わりとした。この話が後日、番町皿屋敷の素材となったという。

↑紅谷町公園。此処の片隅にお菊塚があります。

怪談・番町皿屋敷の元ネタ(「皿屋敷弁疑録」)が世に出たのは1758年のことだそうです。平塚の伝承によるお菊の死から約20年。この間に別の要素も加わって怪談として成立していったのでしょうか。

舞台となった番町は「番町七不思議」というものが存在するほど、或る意味ミステリースポットだったようです。長らく更地になっていたから「皿(更)屋敷」と呼ばれた…なんて、或る本にも書いてあったように、江戸とはいえ、怪談に相応しい物寂しい場所だったのかもしれませんね。

↑お菊塚。お墓は晴雲寺に。

実は類似の皿屋敷伝説・怪談は全国各地にあるそうです。探してみたら、案外自分の住んでいる場所にもあったりして?

↑お菊さん by 広重。

ちなみに東海道御用達絵師・広重もお菊さんを描いていました。お菊さんが焼継師(割れた茶碗を修繕する職人)に、割ってしまった皿を差し出している場面です。焼継師も幽霊から仕事を頼まれるとは思ってもいなかったでしょうね。なんともユーモラスで庶民的なお菊さんです。

-H-





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