それでは小田原宿の本陣4軒、江戸側(東側)から一挙にご案内と参りましょう。

【清水金左衛門本陣】

建坪…240坪
宿泊大名…尾張徳川家、島津家、細川家、井伊家など
代々、当主は清水金左衛門を名乗ったようです。隣接する脇本陣が「小清水」と呼ばれたのに対して、本陣は「大清水」と呼ばれました。清水金左衛門家は北条氏時代からの家柄で、町年寄を勤める小田原宿の有力者だったそうです。
現在、本陣跡には「明治天皇小田原行在所址」の石碑が建っています。明治天皇は1868年10月8日に初めて此処に宿泊され、その後、何と5回もお泊りになられたとか。さぞ立派な「本陣」だったのでしょうね。しかしながら、本陣を示す標柱や石碑はありません(案内板の文中には記載あり)。また地図上でも、清水本陣ではなく「明治天皇宮ノ前行在所跡」と表記されていることもあるようですので、ご注意を。
【片岡永左衛門本陣】

建坪…152坪
宿泊大名…松山松平(久松)家、津山松平家など
2軒目は片岡本陣。
こちらも、本陣跡というよりは明治天皇の行在所として紹介されています。明治天皇が此処に宿泊されたのは1878年の北陸・東海行幸の際でした。本陣跡の石碑には「明治天皇聖蹟」、地図上でも同じ名称で記載されていることが多いようです。

【窪田甚四郎本陣】

建坪…222坪
宿泊大名…紀州徳川家、黒田家、毛利家など
窪田家は、清水金左衛門家とともに、城主・大久保氏への年始挨拶が許されている家柄だったそうです。
現在、窪田本陣を示す案内板や標柱は一切ありません。山崎タイル店のあたりが跡地とのネットでの事前情報を頼りにたどり着きました。かつての有力者の家も時代の流れには逆らえず…でしょうか。
【清水彦十郎本陣】

建坪…202坪
宿泊大名…松江松平家、高須松平家、戸田家など
いちばん西側に在ったのが清水彦十郎本陣。
こちらも本陣跡を示すものは何もなし。外郎の反対側あたりと見当をつけました。
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以上が、小田原宿の本陣4軒です。
もし、本陣をめぐってみようという方がいましたら、清水金左衛門本陣、片岡永左衛門本陣は地図上では「明治天皇宮ノ前行在所跡」「明治天皇聖蹟」となっていることが多いようなのでご注意を。
窪田甚四郎本陣、清水彦十郎本陣は、あとかたもなく、地図上からも抹殺(?)されているので、事前に調べていきましょう。ネット上でもなかなか情報に出会わないのですが、先に「小田原宿なりわい交流館」へ立ち寄ると、当時の宿場の見取り図が壁に貼ってありますので、とても参考になります(私もお世話になりました)。
ちなみに、我々が最後まで彷徨い求めたのは片岡本陣でした。HIZAKURI隊がバイブルと崇める地図では、外郎の反対側に「明治天皇本町行在所跡」と記されていますが、どんなに、どんなに、どんなに、探してもそれらしきものは見当たらず。裏道にもまわってみたり。
結局、街かど博物館・小西薬局の店主に
「御免なすって、あっしら旅の者でございやすが…」
とお尋ねして、ようやくたどり着いたのでした。
ダメじゃん、地図そのものが違ってるんじゃ。
噂によると(あくまでも噂です)、地図には意図的に間違いや、ありもしない道が書き込まれていることがあるとも(不正コピーされたらすぐわかるように…らしいです。ホントかな?)。
HIZAKURI隊、見事にトラップに引っかかった?
結果的にみんなでウロウロしていたのは清水彦十郎本陣だったのでした。
あ、地図は正規に手に入れたものなので、念のため。
我々がこの日、最終目的地としていた板橋見付を断念したのは、この「片岡本陣探して大迷走」での時間と体力のロスに原因があるとの声も。誰だ、誰だ?本陣を全部見たいなんて言い出したのは?
それにしても、前回も書きましたが、小田原市が小田原宿を整備してアピールしているのはわかるのですが、何と言うか…もう少し…なんですよね。仮にも本陣跡地、もっとわかりやすい案内があってもいいような気がします。
やはり小田原城が観光の目玉で、所詮、小田原宿は裏番組的な扱いなのでしょうか?
-H-
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