三枚橋を渡り、箱根湯本に入ります。

ここ、箱根は昔からの温泉場。奈良時代に温泉場が開かれたとの伝承が記録されているそうです。戦国時代には、この地を支配した北条氏が入湯に関するお触れを出していて、また、秀吉は小田原攻めの際、温泉で疲れを癒していたとか。
江戸時代になると、「箱根七湯」として各地からの湯治客で賑わいました。湯本はその箱根七湯のひとつ。東海道とは別に七湯道が整備され、湯本から塔之澤、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯と7箇所を21日間かけてめぐる七湯廻(ななゆめぐり)が流行ったそうです。おお、なんて贅沢な…。
江戸初期までは、温泉に行くのは湯治(温泉治療)が主目的でしたが、それが徐々に物見遊山・観光的なものになってゆき、江戸後期にはガイドブック的なものまで発行されるほどだったとか。箱根の関所の手前で楽しめる(=手形の発行や関所での取り調べなど面倒を受けないで済む)ということで、お手軽な観光旅行先だったのでしょうね。
そうそう、温泉の湯は樽に詰めて将軍様へも献上されていました。日本人の温泉好きに身分の上下は関係ないってことで。

さて、箱根の温泉が人気となり、観光客が各温泉場に宿泊をするようになると、お隣、小田原宿が湯本村に対してクレームをつけてきたそうです(東海道の旅人に対して、温泉場での強引な客引きも目立ったようですが…)。
「おうおう、天下御免の小田原宿の縄張りで、無許可営業をするたぁ、ふてぇ野郎だぜ!」
確かに幕府は宿場保護のために、建前上、宿場以外での旅人の宿泊を認めていませんでした。
天下の名城をバックにした小田原宿
vs
温泉客の熱い支持を受ける湯本村
幕府の裁定に持ち込まれた結果、温泉場での宿泊は公的に認められるようになりましたとさ。めでたしめでたし。

で、我々一行もゆっくりと温泉につかって疲れを癒したいところですが(隊員の中には温泉セットを持参した者もいたとかいないとか…)、ここではお昼を食べるだけで我慢することに。


お蕎麦屋さん「はつ花」は1934年創業。
隊長が、湯本でお昼を食べるなら、こりゃ、はつ花しかない!と意気込んで連れて行ってくれました。運よく待たずに入れましたが、そのあとから混みだしてきて、店の外には並んで待っているひとも。
隊員一同の日頃の行いが良いからかな。
さ、腹ごしらえもできたところで、次は早雲寺を目指します。
-H-
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