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HIZAKURI

旧東海道踏破の覚書、ただし日本橋から箱根まで

十間坂で考えた

2013年10月13日 | 藤沢宿-平塚宿

円蔵寺を出発し、平塚宿を目指すHIZAKURI隊。
途中、十間坂という地名があります。その道端でふと見つけたのが↓この古そうな標識。

↑江戸時代の道標か?はたまた未知の標柱か?

いつ頃のものかはもちろんわかりません。文字も判別しがたいのですが、最初に「十」と読める文字があることから、「十間(坂)」と刻まれていたのでしょうか?でも、次の文字は「間」には見えないんですよね。
そもそも、地名ではなく全く別の標識なのかもしれないのですが、あえて地名が刻まれた道標だと勝手に仮定して、あれこれ瞬間的に妄想しました。

で、辿り着いた結論。
「十間」ではなく「十軒」と刻まれているのでは?

そうなると、四ツ谷が四ッ家、二ッ谷が二ッ家であったように、此処も茶屋なり旅籠なりが10軒在ったことから、そもそもは「十軒坂」だったのではないのかなぁ?
十間といえば、約18メートル。坂道にしては短いし。

どう?


帰ってから調べてみると。

十間坂の地名の起源は、十間の坂道だったから。ん?そのまんまだ。
また、かつては小高い丘(砂山)で、十の素晴らしい景色が望めたから十景坂と言われたとも。そして十景坂が、のちのち十間坂に。

十軒坂はダメですか?

我ながら名推理だと思っていたのですが、まぁ、こんなことを考えながら歩くのも、また楽しいものです。

参照 ; ディスカバチャリ太ホームページ


街道沿いには江戸時代を髣髴とさせる家屋なんかも随所にあって、あとは、どれだけ想像を膨らませられるかですね。
歩くだけではなくイマジネーションを働かせよ、HIZAKURI隊諸君!

-H-








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