hiyamizu's blog

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森於菟『耄碌寸前』を読む

2011年05月27日 | 読書2
森於菟(もり・おと)著、池内紀(おさむ)解説『耄碌寸前』2010年10月みすず書房発行、を読んだ。

森鴎外の長男である於菟の生母は一年余りで離縁され、於菟は祖母に育てられる。13歳のとき鴎外一家と同居をはじめが、父の若い再婚相手と祖母との不仲に巻きこまれ、父鴎外との接触を禁じられるなど苦労する。
「父の名をはずかしめたくないので、己の能力の限界を知った私は文学よりもむしろ基礎医学の研究生活を選んだ」と解剖医学の第一人者となった。40代後半、遠く離れた台湾の教授となってから徐々にエッセイを書き始め、家族に優しい父鴎外が家庭の不和に苦労する話などを紹介した。

本書は、自らの生い立ちと観潮楼の盛衰を重ね合わせた「観潮楼始末記」。周囲に病名を明かさず黙々と仕事していたが、父の死因は肺結核であったことを明かす「鴎外の健康と死」など、日本の解剖学史のエピソード、シェパード犬飼育の苦労など、自制と諧謔にとんだエッセイ21編よりなる。

72歳のとき書かれた冒頭の表題作「耄碌寸前」。
私は自分でも自分が耄碌しかかっていることがよくわかる。記憶力はとみにおとろえ、人名を忘れるどころか老人の特権とされる叡智ですらもあやしいものである。・・・私は・・・青年たちに人生教訓をさずけようとも思わない。ただ人生を茫漠たる一場の夢と観じて死にたいのだ。そして人生を模糊たる霞の中にぼかし去るには耄碌状態が一番よい。

つらつら思うに人生はただ形象のたわむれにすぎない。人生は形象と形象とが重なりあい、時には図案のような意味を偶然に作り出しては次の瞬間には水泡のようにきえてゆく白中夢である。・・・私は自分がようやく握れた死の手綱を放して二度と苦しむことがないように老耄の薄明に身をよこたえたいと思う。


老妻の小言におそれをなし、大学の研究室へ出てもまだボーとしている於菟教授は、死体置き場の扉を開け、首なし死体などの挨拶をうけると、たちまち元気になるという。
日本での解剖学の創始時期、教材用死体を集めるのに苦労する話がすさまじい。警察から検死を頼まれた死体の骨格を抜き取り(盗みとり)、詰め物をして包帯でグルグル巻きにして警察に返したという。塩漬け死体の首だけが無くなる怪事件などホラーで、笑える話が一杯だ。



森於菟(もり・おと)
1890年(明治23年)東京生まれ。父は森鴎外、母は鴎外の先妻・赤松登志子。
1913年東大医学部卒業。1918年東大理学部卒業。
台湾・台北大学医学部長を経て、1967年死去。
著書に『父親としての森鴎外』など。



池内紀
いけうち・おさむ
1940年、兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。
1966~96年、神戸大、都立大、東大でドイツ語、ドイツ文学の教師。その後は文筆業。
1978年『諷刺の文学』亀井勝一郎賞
1994年『海山のあいだ』マガジンハウス・角川文庫・講談社エッセイ賞
1999年訳書、ゲーテ『ファウスト』毎日出版文化賞
2001年『ゲーテさん こんばんは』桑原武夫学芸賞
2000/2002年訳書『カフカ小説全集』日本翻訳文化賞など



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

30年ほど前の著書を元本として編集したものなので、現代とはずれたところがあるのは仕方ない。著者の過剰とも思える謙遜もいやみではなく、品があって、粋で、話ぶりは洒脱だ。鴎外に関する話は、『父親としての森鴎外』の方が詳しいが、解剖学、シェパードの話など鴎外を離れたエピソードも面白い。

時代に置き忘れ去られ、いかにも地味で古く、売れない本を編集しなおして出版したみすず書房に感謝する。しか
し、しかたないだろうと思ってはいるが、やはり184ページで2600円は高い。図書館で借りて読んだ私が言うことでもないのだが。

エッセイの書き出しが巧い。「私は自分でも自分が耄碌しかかっていることがわかる」(耄碌寸前)、「拝啓。お嬢さん、わたしは死体屋です」(死体置場への招待)、「大戦の末期、昭和19年の夏も終わるころである。台北帝国大学医学部長室の椅子に私は防空服の腰を下ろしてモンペ姿の老婦人と対座していた。」(全終会)。いずれも、「何々」と興味を惹かれる書き出しだ。




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