羊の歌

見たこと。聞いたこと。考えたこと。
感じたこと。・・・思いのままの手記

出初式

2013年01月07日 15時32分11秒 | 地域

 今日消防の出初式があった。今年に入って、やたらと火事が多い。ニュースが少ないのかは分からないが、火事のニュースが毎日のように報道されている。私の住む地域でも昨年住宅が全焼する火事があり、一人で住んでいたお年寄りが亡くなった。その焼跡は、今もなおそのままになっている。近所の住民は、風が吹けば柱が倒れ、二次被害を心配している。焼死したお年寄りの相続人は姉など三人いるようだが、三人とも相続放棄を申請しており、焼け跡を片付けようともしない。行政は、法律上手を出しようがないとかで、相続放棄が確定し、跡地が国有財産になった時初めて、行政の手で片づけることができるのだと言う。それまでは、近所の人たちに心配が消えることはない。焼け跡は狭い路地沿いにあり、家を建てることが建築基準法上不可能とのこと。仮に売却するにしても買い手がつかないだろうと言われている。だから三人の相続人も片づける費用など考えて、相続放棄することにしたのであろう。

 とにかく今年に入って、火事が多い。風が強く乾燥した日が多い、冬場には、火事が起こりやすいのだが、「火の用心」が肝心である。

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新春の火事

2012年01月07日 08時30分11秒 | 地域

 「熱海で火事」テレビニュースが報じている。続けてみていると「熱海市伊豆山で火事があり、住宅1軒が全焼、焼け跡から1人の遺体が発見された」とあり、「遺体はこの家に住む77歳の女性とみられる」そして、今朝の新聞報道も地元新聞のトップ記事で報じられ、現場は伊豆山大洞台だという。熱海市の伊豆山と言えば、源頼朝・北条正子夫妻ゆかりの神社、「伊豆山神社」を中心に開けた街であり、神社に登っていく石段の左右に、山にへばりつくように発達した坂の街である。そんな街での火事だと大変な惨事になるところだが、不幸中の幸いにして、伊豆山大洞台には、家が散在しているだけなので、周辺には影響がなかったようだ。それでも77歳の女性は“独り暮らし”ということで、火事の原因は、消防と警察で調べているとのことだが、新年早々、何とも痛ましいことではある。

 今日は「消防出初式」である。かつて、この日に熱海市網代地区で火災が発生したことがあった。出初式が終わって、市内のホテルで、消防団幹部塔が参加する新年会に出席していたところ、火災発生の知らせで、新年会もそこそこに、現場に急行していく消防団幹部であったが、私も網代地区が選挙地盤でもあったので、おっとり刀で駆けつけたのを覚えている。火事は、ある意味では、普段からの日の元の管理をしっかりとしていれば、防ぐことができるものだが、一人暮らしともなれば、なかなか思うようには、管理も行きとどかなくなる。今の時期は、空気が乾燥していて、風も強く、火事が起きやすい季節でもある。火の元には十分注意したいものだ。

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町内体育祭

2011年10月02日 07時54分48秒 | 地域

 今日、日曜日は、町内体育祭が行われる。近年完成した、埋め立ての広場で行われるが、それまで、1キロ以上も歩いていかなければならない小学校の運動場での開催とは異なり、町内のどこからも2~300mほどで行けるところにあるため、参加者も以前に比べれば多くなっている。ただ、毎年同じような種目で、それも数が多いことから、高齢者が多くなっている現状では、問題が多い。町内会は、やっと、今年の開催を踏まえて来年からの開催方法などについて、検討する会議を設置することになった。私もその会議のメンバーに選出されたが、「体育祭」そのものをやめてしまうことは必要ないとは思うが、種目や数等については、見直す必要があるとは思う。もっと、簡素に、そして、誰もが参加しやすい方法を考えるべきである。

 昨日は、私の64回目の誕生日だった。娘の家族孫娘二人を含む4人も来て、皆で夕食を囲みながら祝ってくれた。主役は、私であるはずだが、もうすぐ2歳になる2番目の孫娘が主役を取って代わっていた。今年の4月から保育園に通うようになって、一段と成長したような気がする。年の上の子供たちや、同じ年の子供たちをはじめ、保母さんなどとの保育園での生活が、成長を助長させるようだ。とにかく家中を歩き回り、曾祖父や私の膝の上に乗って、喜んでいる姿を見ると、本当に可愛く、そして、幸せをしっかりと感じることのできた64回目の誕生日ではあった。

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彼岸の塔婆

2011年09月24日 08時03分04秒 | 地域

 私の地域では、彼岸になると「御塔婆」を上げる。先祖の墓に手向けるのだ。わが家では、義父が、最後に亡くなった義父の祖母の50回忌が終わったので、妻も含めて、故人を知らない人ばかりなので、墓守は、最低限のことをすれば良い。と、日頃から言っており、自身でも、50回忌以降、「御塔婆」は上げていない。

 

ところが、彼岸になったので、先祖の墓参りに行ったら、5本もの「御塔婆」が上げられていた。不思議に思っていたところ、近所の家で上げたものを、寺が間違えて、私の家の墓に上げてしまったものであることが判明した。その近所の家は、お年寄り夫婦が二人で住んでいたが、先ごろ二人とも亡くなって、長男は、東京に住んでおり、普段は空き家になっている。その長男が、彼岸になる前に、電話で、「御塔婆を上げて欲しい」と寺に依頼したとのことで、寺が、墓の場所を間違えてしまったようだ。彼岸に墓参りに来た長男が、わざわざ、わが家に来て、「申し訳ない」と、誤りに来た。寺が、墓の場所を間違えたのだし、寺が塔婆を上げてくれた人に謝るべきものなのに、長男がわざわざ誤りに来たのは、恐縮してしまう。

寺が、檀家に墓の場所を知らなかったということになるが、そんなことがあるのだろうか。檀家の墓の場所がどこにあるのかくらいのデータは、きちんと整理しておくべきものだ。ただ、塔婆を売る(あげてもらう)ことだけに終始して、檀家の墓の位置も知らないようでは、寺の風上にも置けない。

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議員報酬を考える

2011年09月18日 13時34分17秒 | 地域

 熱海市では、今、市長や議員などの特別職の報酬をどうするのかの議論が、「報酬審議会」が設置され行われている。簡単に言えば、どのくらい報酬をカットするべき中ということだ。市長や副市長などの報酬についてはさておき、議員報酬について考えてみようと思う。私は、議員報酬を考える上で、議員の性格を踏まえて、2つの考え方があるように思う。地方議員は、制度上、執行機関ではなく、“チェック機関”とされている。しかし、市長の提出する予算や決算を承認することや、重要な案件を審査する大切な機関だ。市民から選挙で選出される市長の執行を、これまた市民の選挙で選出される議員がチェックするのだ。そして、この制度は、基本的には、現状では変わることはなさそうだ。

 

 しかし、これまで、議員定数の削減や、議員報酬の引き下げについて議論されてきたことが多い。それは、主に、市民負担、財政上の問題からである。今も、同じような議論が繰り返されている。私は、このように思う。第一に、議員を「専門職」と考えるか、あるいは「名誉職」と考えるかということである。もし「専門職」と考えるなら、議員定数をもっと減らして、現在17名の議員がいるが、10名ほどにして、「報酬」の大幅な引き上げを図るべきである。普通の生活をしながら、議員としての役割をしっかりと果たすことのできる、「報酬」を保証すべきである。これに対して議員を「名誉職」として考え、地域住民と市役所とのパイプ役に徹するようにするのなら、「報酬」はボランティアとしてのそれなりの手当のみを出すようにすればよい。その代わり、人員を各地域から相当数出せるような、地域世話役的意味合いも含め、大幅に増員すべきである。40名くらいにすれば、ほとんどの地域から最低1名は出せるようになるであろう。

 現在ある「議員報酬」は、ある意味では、中途半端なのだ。であればこそ、議員の尊厳も、市民の期待もあまりなく、選挙が終われば、関心もなくなり、逆に議員の方も適当にお茶を濁してしまっているようにも思う。私は、議員は、「専門職」として考え、それなりの報酬を保証して、市民がその活動をしっかりチェックするようにした方が、市民にとって、良いことになると思う。

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運動会シーズン

2011年09月12日 12時05分02秒 | 地域

 この2・3日、残暑もそれほどではなく、秋晴れのいい天気が続いている。「運動会シーズン」の始まりだ。9月末から10月初めにかけて、保育園、幼稚園、小学校、中学校、そして、町内会と、それぞれが、運動会を開催する。園児や生徒数が減少している保育園や幼稚園、小・中学校では、園児や生徒が、プログラムを消化するためかは知らないが、何度も出場して、大変だ。疲れきってしまう子供も人や二人ではない。残暑が厳しければ、熱中症も心配だ。子供たちの親たちは、ビデオ撮りに余念がない。昔は、写真だったが、この頃はほとんどがビデオに変わっている。子供の成長をビデオで撮っておきたいと思う親たちも、運動場をあっちへ行ったり来たり、本当に御苦労様である。町内会が主催する運動会も、いわば“マンネリ化”しており、球体依然とした競技種目が数多く並べられ、人口減少の影響や、日曜日でも、なかなか休みの取れない人も多くなって、参加者が年々減少している中で、プログラムを消化していくのも大変なことである。町内会の役員の皆さんのご苦労もまた、大変なもので、準備から、開催、そして、片づけに至るまで、無事故で終了できれば“おんのじ”で、行事保険に入って入るものの、終わるまで気が抜けない。それでも、秋は「運動会」が定番で、各地域で、それぞれ運動会が行われる。その運動会も、ただ、例年通り、「開催すればよい」というような対応はやめて、いっぺんに変えあることは困難であると思うが、少しずつ、時の流れも考えながら、変えていくことも重要ではないだろうか。

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この夏の総決算

2011年09月02日 12時40分27秒 | 地域

 9月に入って、市内新聞には、この夏の「観光客の入り込み状況」や「宿泊客の数」、「経済状況」などが掲載されている。昨年比で見れば、若干の減少ではあるが、まずまずのようだった。花火大会が、宿泊客を呼ぶ最良の策とされ、数日ごとに花火大会が実施される。その時の天候にもよるが、確かに、見物客は多い。近在の街から電車や自家用車などで見物にくる。これらの人たちが、市内で、夕食を食べたり、買物をしたりなど、相当なお金を落としてはくれるのだが、それも、限定的で、どれほどの経済効果があるのかは、調べようもない。

 

 今年の海水浴客の動向は、例年に比べて、落ち込んだことはなかったようだ。市内の「サンビーチ」にしても「長浜海岸」にしても、駐車場が整備されていることもあって、ビーチパラソルが建ち並び、色とりどりの水着姿の若い女の子の姿が目立っていた。昔は、お盆を過ぎると「土曜波」の影響もあり、海水浴はしないものだったが、この頃は、そんなことはお構いなしで、暑ければたくさんの海水浴客が訪れる。今年は、お盆過ぎにも暑い日も多かったこともあって、賑わっていた。

 この夏は、「東日本大震災」の影響で、客足が心配されていたが、それほどの影響もなく、「総決算」としては、良好だったようだ。しかし、円高や経済活動の停滞など、不安材料も多く、秋から年内に向けて、日本経済全体の、そして、地域経済の先行きは楽観を許さないのが現実と言えそうだ。

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風祭り

2011年08月31日 14時56分15秒 | 地域

 立春から数えて210日(にひゃくとうか)、この頃は、いわば「台風シーズン」である。私の住む地区は、もともと農家が多く、昭和40年代前半頃までは、川を中心にして一面に、稲作が盛んに行われていた。そして、中山間地には、ミカン畑が展開して、専業農家も多かった。しかし、今は、田はなくなって、ミカン畑も、農家の高齢化が進んだことや後継者不足で、耕作放棄地がそこかしこに見られるようになった。かつては、「台風シーズン」を迎えて、農作物の収穫がつつがなく得られるよう、地区の氏神さんにお祈りする「風祭り」行事も、年を追うごとに参加者も少なくなってしまった。周辺の地区でも「風祭り」が行われていたが、いつしか、やめになってしまい、今では、私の住む地区だけになってしまった。

 

 ただ、最近の「風祭り」には、本来の役割とは、別の意味も含まれるようになった。それは、台風や大雨、地震などの自然災害から守る“祈り”である。おおむね30名くらいの人が参加するのだが、畑をもたない者も、何人か参加してくれる。折しも、台風12号が、近づいてきており、海を見ると、台風の影響を受けて波が高く、“うねり”も大きくなっている。今後の台風の進路がどうなるのか心配である。

 農作物と言えば、猪やハクビシンなどによる被害も年々大きくなっている。この春には、タケノコがほぼ食い荒らされた。イモ類や、収穫真近のミカンにまで、被害が広がってきた。農作物を守るために、ただ“祈る”ばかりではなくて、対策を考えることも、「風祭り」行事に求められるようになっている。農協からも、指導員が来て、今年の生育状況や今後の見通しなどについて話をすることにもなっている。私は、これからは、できるだけ、「自給自足」をモットーに生活していかなければならないと考えている。海で、魚を釣り、畑で野菜などを作り、自然の営みに沿って形で、生きていく。そんな生活をしたいと思っている。

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農道の草刈り

2011年08月29日 08時56分35秒 | 地域

 昨日の日曜日、朝早くから、地域にある農道の草刈りを行った。暑さが、少しは和らいだとはいえ、かなりの暑さで、作業の手も休み休みだった。私の住む地区は、もともと農家が中心で、米や蜜柑などの柑橘、そして野菜を作っていた。しかし、稲作は、昭和40年代前半には消え、田んぼは、住宅地に変わって行った。今は、田はまったくなくて、蜜柑畑と野菜畑だけである。農道もかつてと比べれば、大幅に減っており、多くは、住宅を建築しやすくするために、市道に変わっていった。それでも、中山間地に多くの畑があり、農道も中山間地に向かって広がっている。

 

 300軒余りの農地を所有している農家で組織する「部農会」があり、私は、その組織の会長として、農業振興を図るため、奔走している。この地区には、専業農家はなく、第一種・第二種の兼業農家もわずかで、そのほとんどが、「家庭菜園」的であり、自家消費しきれない農作物を、親戚やご近所に分けたり、農協の直売所に出したりしている。もちろん高齢化が進んでいる状況で、耕作放棄地も、相当な規模で拡大している。

 昨日は、農道5路線の草刈りを実施した。総勢6人、草刈り機と刈った草を吹き飛ばす「ブロアー」、暑さと、蚊やブヨに悩まされながらも、夕方5時ころには、作業を終えることができた。耕作放棄地が拡大している関係で、その周辺の農道は、草が茂り放題で、周辺農地に影響している。ほぼ一日、地区を草刈りをしながら回ってみて、耕作放棄地対策、猪やハクビシンなどの有害鳥獣対策が緊急に必要であることを実感できた。今後の活動に活かしていかなければならない。立春から数えて「二百十日」、災害の季節だと言われてきた。折しも、2つの台風が日本列島に近付いてきた。その進路によっては、大きな被害も予想される。天候に恵まれて農道の草刈りを終えることができて、ほっとした。

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最後の?盆踊り大会

2011年08月16日 08時18分20秒 | 地域

 旧盆の時に併せて、地区の「親子会」が、神社の境内を利用して「盆踊り大会」を行う。最近は、子供の数が減って、親子会の会員数が減っていると聞いていた。私の義父の古くからの友人であるTHさんが、創設したこの地区の「親子会」は、40年以上の歴史がある。この間、親子そろって、バス旅行に出かけたり、地域の色々なイベントに参加したり、空き缶や・ビン、新聞紙などの資源ごみを回収したり、多彩な活動を展開してきた。旧盆に併せての「盆踊り大会」もその一環である。

 現在、その親子会の会長を私の娘婿がやっているのだが、聞くところによると、会員の減少に加えて、親の参加者の減少などで、廃品回収事業を今年の4月から止めてしまったのだそうだ。そういえば、資源ごみの回収の案内を、最近聞くことがなかった。これも、時代の流れ、なのだろうか。かつては、子供会や親子会などで、旅行に行ったり、遊びをしたり、地域の皆が、集まって、親子そろって、子供を育てていた。しかし、この頃は、“個人中心主義”なのか、地域全体で子供を育てていこうというような風潮は影を潜め、家庭にこもり、テレビやゲームに熱中している子供が多いようである。これも“時代の流れ”と言ってしまえばそれまでだが、何ともさびしい限りである。親子会が解散しても、町内会などが引き継ぎ、「盆踊り大会」は続けてほしいものだ。

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夏祭り

2011年07月28日 07時54分50秒 | 地域

 私の住む町内の夏祭りが今日・明日の予定で行われる。朝5時半に起きて、しめ縄梁を行うのだ。だが、今朝は、あいにくの曇り空の上、雨がぱらぱら落ちてきたので、「おしめ」は、「御降り」の行列が通りを通る前に、各自貼ろうということになって、必要な数だけを持ち帰った。

 

 「祭り」と言えば、子供の頃は、心待ちにしていた「イベント」であった。お小遣いをもらい、食べ物も普段とは違って、豊富だった。私の生まれ育った町「網代」は漁師町で、祭りの際には、「両宮丸」という「御船」が町内を巡行した。その船は人が乗れるようになっていて、当時は、漁師の子供たちが乗ることができた。しかし、私の父は、漁師ではなかったので、乗る権利がなかった。当時は漁師の子供たちが多かったので、友達は、みんな「御船」に乗って、中で冷たくて甘い「シロップ」を飲んだ話を、自慢げに話すので、私も乗ってみたいと、その頃、母の伯父が、網代町の町長だったこともあって(「おじいちゃん」と呼んでいた)おじいちゃんにせがんで、特別に乗せてもらったことを覚えている。

 

 今、住んでいる町内は、どちらかと言えば、農家が主体の町であった。だが、今は、専業農家はなく、第一次・第二次の兼業農家もほとんどない。しかし、「祭り」の有りようは、変わらず、「豊年万作」を願い、感謝するものだ。

 この頃は、若者が少なくなって、「祭り」の運営も一筋縄ではいかないようで、徐々に簡素なものになっていく。それでも、孫たちには、楽しみでもあるようだ。「お祭り」だからと、特別に小遣いをもらって、神社の境内に数軒並ぶ「屋台」に行って遊ぶのを楽しみにしている。昔と少しも変わらないものが、そこにはあった。

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迷惑バイク

2011年07月18日 14時07分16秒 | 地域

 この頃夜10時を過ぎた頃、1台(だと思う)のバイクが、爆音をとどろかせて、国道を行きかう。明らかにマフラーを改造して、消音装置を取り外してある。その爆音たるや、耳をつんざくような音で、当の本人は、さぞかし気持が良いであろうが、近所迷惑も甚だしい。誰もが、あえて話題にはしていないが、迷惑をしているのは、私一人ではないと思う。「暴走族」ではなく、自分一人で「悦」に興じているのだと思う。集団ではないので、警察もあまりうるさくはないようで、取り締まりをするわけでもない。ちょうど眠りに入ろうとするときなので、せっかくの眠りが妨げられる。だからと言って、国道まで出て、どんな人間なのか、見ようとも思わない。「うるさいな」「警察も取り締まればよいものを」と思うだけなのだが、毎日、やられると、本当に迷惑だ。都会に行くと「暴走族」が集団で、迷惑行為を平然とやっている。彼らの精神構造は一体どうなっているのだろうか。そして、毎日爆音をとどろかせて、さっそうと走りまくっている若者の精神構造も疑りたくなる。爆音が聞こえるたびに「よせばよいのに」と、怒りが湧いてくる。

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夏祭りが始まった

2011年07月16日 14時04分56秒 | 地域

 熱海市内には、神奈川県に近い方から、伊豆山神社、来宮神社、今宮神社、多賀神社、下多賀神社、下多賀神社、中野神社、和田木神社、阿治古神社の都合9つの神社がある。このほかにも湯前神社をはじめ小さな社がいくつもある。夏祭りの先頭を切って、来宮神社の祭礼が15日、16日の両日、盛大に行われた。特に夜には、旧市内30余りの町内会が思い思いに創作して、「山車コンクール」も行われ、市民や観光客が大勢繰りだした。国道135号線を交通規制して行われるこの「山車コンクール」、優勝すれば賞金が100万円とかで、各町内も優勝目指して、熱の入れようは、それは大変なものだ。旅館・ホテルもたくさんあって、景気も良かった頃は、祭りと言えば、寄付金もたくさん集まって、各町内も祭りの運営に必要な経費に事欠かなかったが、この頃は、聞くところによれば、寄付金も減って、かつてのようなわけにはいかず、経費をどうやって節減するのか、役員は頭を抱えているという。しかし、1年に1度の「祭り」とあって、人のパワーは全開で、夜遅くまで賑わっている。東日本大震災の後ともあって、山車の装飾には、「がんばろう!日本」「がんばろう!東北」などといった、被災地との「絆」や「連帯」をアピールして、一にも早い復興を祈念したものが多くみられた。これから、順次市内各地区で「夏まつり」が行われる。「祭り」は、子供たちの楽しみの大きな一つであり、わが家の孫も、浴衣に身をまとい颯爽と出掛けた。

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明治時代の地役権

2011年07月07日 17時02分53秒 | 地域

 県が川の治水対策事業を行うため、事業地を買収しようとしたら、その買収予定地に「地役権」が設定されており、そのままでは買収することができない。買収予定地は、地役権の承役地となっており、地役権が設定されている部分を分筆するか、地役権を解除するかのどちらかを選択しなければならない。ところが、その地役権が設定されたのが、明治35年ということで、1筆の土地のどの部分に地役権が設定されていたのか、容易には分からない。それで、地役権を解除することの方が現実的であり、その方向を選択せざるを得ない。しかし、地役権を持っている者にとってみれば、100年あまり持ち続けていた物をなくすことには、若干の抵抗があるようで、話はスムーズには進まない。

 そもそも、地役権が設定された原因は、水田開発のために、川から水を引き込もうとするためであった。田んぼに水を引き込むために水路を作り、その水路敷に地役権を設定したものと考えられる。昭和41~42年ころまでは、コメが作られていたようだが、その後40年余りは“ほったらかし”になっており、現在では、田んぼもなく、水路にも水は流れていない。要役する理由がなくなってしまったのだから、常識的に考えれば、地役権を解除することが妥当な選択である。しかし、仮に現在農地として利用している土地に水を引き込むことができれば、その土地がまた、活用できることも考えられる。この問題、どのように解決すべきなのか、相談を受けた者としては、頭が痛い。

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農業委員会委員選挙

2011年07月04日 15時20分33秒 | 地域

 農業委員会委員の選挙が昨日告示され、私の住む地域では、定数10名のうち2名が立候補したが、最終的に立候補者が定数いっぱいであったため無投票当選となった。地域の農業者の集まりである「部農会」の代表である自分としては、立候補した2名が無事当選して、責任の一端を果たすことができてほっとした。下馬評では、1名オーバーして選挙戦となることが予想されていたが、有権者の少ない地域で、選挙戦をしても当選はおぼつかないとみて、断念したのではないかとも考えられ、40年ぶりの選挙戦は回避された。

 「専業農家」がなく「兼業農家」というよりは、家庭菜園に「毛」がはえたほどの規模の農家の多い地域では、えてして農業委員会の役割の重要性がおろそかにされている。というのは、かつては、「専業農家」もたくさんいたわけで、多くは宅地化されてはいるが、今なお、相当規模の「耕作放棄地」があり、これらの活用のあり方、基幹産業である「観光産業」との連携の在り方、等々、農業委員会が主導的役割を発揮しなければならない課題は山ほどある。これまでは、ただ、「やらない」だけだ。今回選出された委員は、年齢構成も一段と若返っている。多くを期待したい。私は、「自給自足」経済を信条としているのだが、国家的には、食料を外国に頼らなくてもよいようにすること。家庭では、必要な野菜などは、プランターなどでもいいから、自らが生産するようにすることを提唱している。とにかく、今のままでは、日本農業はなくなってしまう。恐ろしいことだ。農業委員会は、世界のそして日本国内の食料の現状を正しく把握し、地域に見合った、新たな農業を展開できるよう、指導力を発揮すべきである。

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