ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

出家

2010-06-10 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
兜を取れば、我が子と同じ年頃の若武者で、その死を覚悟した静かな心と凛々しく美しい姿に驚いたのだった。
熊谷「名はなんと申す?」
この時、熊谷はこの若い武将を逃がそうと思っていた。しかし、
若き武将「名乗らずともよい。我が首を取り、我が名を尋ねよ。
この首…そなたにとって(手柄となる)良き首よ…」と、若き武将は自刃した。
熊谷は涙ながらにその首を切り落とした。
ドサッ…首は鈍い音を立てて落ちた。
この時、熊谷の心に、遠く祇園の鐘の音が響いたのかもしれない。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ…[平家物語の冒頭文より]

命の儚さ、諸々の命が消え行く無常さ、平家の栄枯盛衰…この若き武将が平清盛の義父弟の子「平 敦盛(あつもり)」だったと知ったのはすぐ後のことだった。熊谷は我が子と同じ年頃の敦盛の死から「戦の意味」と「世の平安」を考えるようになり、
熊谷「戦で多くの人を殺めてきた…」と、力なく呟いた。
戦の果てに平和を見出すことが出来るのか?
命の行く末に極楽浄土は広がっているのか?
命の重みを考えても、その答えは見つからない。そして、誰も教えてはくれない。
目の前で死んでいく者たちを思い、深く悩み苦しみ、出家の意思を固めた熊谷だった。
それから13年後、浄土宗の開祖「法然(ほうねん)」を師事と仰ぎ、法名「蓮生(れんせい)」として、余生は戦いに散っていった武者たちの弔いの意を込めて念仏を唱え続る日々を送っていた。その師と仰いだ法然もまた武将の子であったそうだ。
戦いとは「平和」に強く憧れを抱くものであり、その思いをより強く深くするものである。
多くの武将たちが信じた軍神 八幡神はそれが分かっていて「この世に平和の象徴 鳩を使わした」のではないだろうか…。
郷は、熊谷から鳩を譲り受けたと同時に「平和への思い」も引き継いだのだった。

八幡

2010-06-09 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
八幡神は弓矢武運の軍神であり、清和源氏の氏神でもある。頼朝も厚く信仰していた。
それを象徴するのが「鎌倉 鶴岡八幡宮」である。八幡神は、この世に「番鳩(つがいはと)」を使わすという伝説があり、熊谷は「頼朝と鳩」を見て“八幡信仰の伝説”を思い出したのかもしれない。熊谷家の家紋「番鳩」であり、そこからもうかがい知れるように彼は八幡神に厚く信仰していた。その八幡の化身に背くことが出来ないと考えた頼朝を助けたのだ…と噂が広がったが、実のところ、目の前で傷ついた体を横たえた武将 頼朝が死を覚悟して念仏を唱えていた。その姿を見て、死を覚悟するにはまだ早いと思ったのだろう。熊谷は、戦場で情を捨てきれない所があった。武将として名を上げる一方、自分よりも若い者たちが死んでいく姿を見て思い悩んでいたのだ。そんな熊谷の心をが頼朝を助けたのだ。
その後、熊谷は頼朝を助けた二羽の鳩を武蔵の実家で飼っていた。
熊谷「八幡神よ、なぜ我に鳩を使わした?」と、ケンカばかりしている二羽の鳩を見て、溜息をいた。
丁度その頃、熊谷氏と比企氏との間で養子縁組の話が持ち上がり、郷の母 比企尼とは親戚関係となっている。その縁で合戦中は比企尼に鳩の世話を頼んでいたようである。
「九九ルー、ポッ♪」と愛らしく鳴く鳩を見て、
郷「母上!!鳩が欲しい!!!」とねだる郷12歳。おねだりに困り果てた母は熊谷に、
比企尼「娘が”八鳩”を育てたいと申しております。どうか譲って下さい」と頼んだ。
熊谷「そうだな、いずれ、わしも…」と言葉を濁し、郷に鳩を譲る決心をした。
熊谷は郷に鳩の飼い方、「鳥見」の方法を教えた。見事、郷は一年で鳩使役マスターとなった。そして、熊谷の「いずれ…」という予感は的中した。
先に述べたように、熊谷は平家一門の孫として生まれ、平家方として戦っていたが「一の谷の合戦」以降、源氏方で戦っている。この「一の谷の合戦」が出家の意思を固めたといわれている。
1180年[一の谷の合戦]にて…
ある平家の若き武将が一ノ谷の合戦で戦っていた。一方、熊谷は源氏方に付き平家奇襲を仕掛けていた。追い込む源氏に逃げる平家。奇襲を振り切り、海に逃げようとする若い武将に、
熊谷「敵に後ろを見せるとは、卑怯者ぉっ!!」と若き武将に叫んだ。
すると、若き武将は馬を止めて、熊谷の前で兜を取り、己の首を差し出した。
熊谷も武士として誇りある死を手伝うために、その首を切り落とそうとした熊谷であるが、その若き武将の姿にハッとした。

神使

2010-06-08 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
顔を合せないと「八」の字にならず意味がない“八幡の鳩”なのに、いがみ合っている。
郷「兄弟向き合い、力合わせないと駄目ッ!」と言い聞かせているが耳が遠い鳩だった。
聞いちゃいない…。しかし、耳の遠い鳩には、欠点を超越した程の優れた力がある。
地球の磁場(パワースポット?)を察知し、そこから方角を知ることが出来る。それによりどんなに遠く離れても”巣に帰る”ことが出来るのだ。それを帰巣(きそう)本能という。
方位磁石が体内に埋め込まれているのかもしれないし、直感かもしれないし、それは分からないが、羽をパトパトとバタつかせと「九九(くく)ルー、ポッ」と、我に帰る鳩なのだ。
※「ハト」という呼び名、泣き声「九」が語源の「鳩」である。
そんな鳩の使役マスターとなった郷16歳の時、実家 武蔵を離れ、京の義経の許に嫁ぐことになった。そこで、鳩の帰巣本能を利用して「大(おお)ちゃん」なる人物と文通し開始したという経緯である。それに鳩に文を握らせているのには訳がある。実は、大ちゃん…当時、まだ鳩の足に文を上手く括り付けて結ぶことが出来なかったのだ。出来るようになった頃には鳩が上手く文を握れるようになっていた。つまり、鳩が技を習得する方が早く、今更、足に括り付けなくても「いいんじゃねぇ?」みたいな話になり、今でも文を握らせ飛ばしているという訳である。しかし、飛び立つ時は、どうしてもバランスを崩すので、義経の目には怪しく映るらしい。
この鳩を郷に譲った人物 熊谷直実(くまがや なおざね)であるが、彼は郷の実家 武蔵の有名な武将である。彼は、郷が源氏氏神の神使マスターとなり、鳩の飼い主になった経緯に深く関わっている。それは、奥州合戦(1189年)から遡ること9年前、郷12歳の時に武蔵で広がった噂話によるものだった。巷では『頼朝は八幡神の化身!?』などと囁かれた。
この噂の発端は、彼 武蔵国大里熊谷郷の武将 熊谷直実である。
彼は、平氏方の平貞盛の孫であり「一の谷の合戦」前まで平家方に付いて源氏討伐のため戦っていた。しかし、後に頼朝と主従関係を結び、倶利伽羅の合戦や義経ら共に壇ノ浦で大活躍している。彼が頼朝に従うきっかけとなったのが、この「二羽の鳩」なのである。
戦いの最中、敵に追われ洞穴に潜み身を隠す頼朝の傍から二羽の鳩が飛び立った。
熊谷「ハッ!!」と飛び立つ鳩にビックリ。そして、ここで気付いた「八幡信仰」。“頼朝は八幡神の神使に守られている!?”と、勝手に思い込んだ熊谷は、洞穴に潜む頼朝の逃走を助けた。その後、頼朝の信用を得て源氏方の御家人となった。つまり、この二羽の鳩がいなかったら頼朝は救われなかった。それは、当時平安、武将たちの中で「八幡信仰」が広がっており、熊谷もそれを厚く信仰する武将の一人だったからである。神には逆らえん、と。

八幡

2010-06-07 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
松郷「ハッ!?」
実は、ターちゃん、飼い主をさて置き真っ先に我が両親と兄夫婦に危険を知らせるために必死に叫んでいたのだ。だがな…タルトよ。母以外完全熟睡でその悲痛な叫びは耳に入っちゃいんだよ!もちろん、揺れたことすら知らなかったぞ。真夜中に大きな地震が起きないように、私は祈っている。それにしても、
松郷「てめぇっ!世帯主と飼い主、どっちの命が大切なんだ!」と猫と真剣真っ向勝負した。
もちろん、世帯主だった。
その後、変な言いがかりをつけた筆者 松郷にご立腹&ご機嫌斜めとなったじーちゃんターちゃんだった。じゃ、機嫌直しの大猫様とゲームでもすっか?と誘ってみた。ほれほれっと。
では!大猫様タルトとその下僕 松郷による「大様?ゲームっっ!!!」
巨体をでっぷり横たわらせ寛ぐ大猫タルト様。お手を拝借と肉球をグリグリッと優しくマッサージする下僕 松郷。徐に肉球と指の間をクチュと潰して隠している爪を出し、パチン、パチン、パチン、パチン、パチン。と一気に5本、反対も一気に爪を切ってやった!
もちろん、真っ向真剣勝負した時、彼の爪で引掻かれ、この私が傷だらけで「いにゃい(痛い)よぉ~」と反泣き状態となったからである。猫に引っかかれると傷が残るわ、痛みが続くわ、最悪だ。定期的に切るようにしよう!
筆者 松郷「大猫様、こん位でいかがでしょう…」と旦那様の顔色を伺う下僕だった。
大猫タルト様「んなっ!」と爪を切り終えた途端に機嫌が治る大猫タルト様だった。
筆者 松郷「…(単純な野郎(オス)だよ)」
マッサージ直後の脳内リフレッシュ、身体リラックス状態で爪を切るとすんなり切らせてくれる。しかし、猫の爪切りで調子乗ってしまうと深爪しかねない。猫の爪は神経と血管が通っているので、先端のツックンツックンしか切らないようにしよう!深爪は「イニャイ(痛い)」らしい。深い不快爪切りは機嫌を極限まで損ねてしまい、さらに生傷増やすという結果に陥ってしまう。気をつけよう…と、そんな「寝こみ猫爪切の注意」を促した筆者 松郷であるが、郷が12歳の時に促されたのは「神使”鳩”使役マスターの注意」だった。
それは、熊谷直実(くまがい なおざね)氏による直筆の「飼育法、及び、取扱注意覚書」で、郷のために分かりやすく書いてあるものである。郷は神使マスターとなるべく飼育法、取扱使役鳥法をお勉強し、それを1年でマスターした。上手く手懐け飼い馴らしたのだ。
が!?
たまに顔を合わせるとケンカしている“八幡”の神使 鳩の「ユキオンとクニオン」だった。

結果

2010-06-06 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
筆者 松郷「なんだ!人為的”詰まり”が原因の災害じゃないかっ!!」
と、そんなわけで、人間が災害を引き起こしている例が多い。
兎に角、少々強引ではあるが動物たちの行動で自然災害 危険察知が出来るとわかった筆者 松郷は、13年ほど前から自然災害を察知するために?猫を観察し始めた。出来うる限り猫の最大野生能力を読むためにピッタリ寄り添って一緒に寝ている。冬、暖房代わりであるが、夏とても暑苦しい…。時に夜中に引き付けを起こすのでビックリする。そんな猫と生活で、
猫「みゃーーっ(めし)」
猫「にゃーー(トイレ)」
猫「にゃぉん(水くれ)」
猫「うなーー(寝るぞ)」と、猫声のトーン(音調)で猫の要望が分かるようになった。つまり、猫語マスター松郷が完成し、猫の言いなり良いように?こき使われているだけである。
もちろん、ここで書かれた猫が我が家でプリンス気取り?前足揃えてチンと座っている80過ぎたじーちゃん猫 タルトだった(通称 ターちゃん)。こんな動物観察が功を奏して、猫にこき使われる身となった筆者 松郷。しかし、それは専らタルト専属のお世話係り能力で他の猫や犬、ましてや人間などに通用しない能力で全く意味を成さない能力だった。チーン…。
ちなみに、「猫がしきりに顔を手でなでれば雨」というが、私の体は天気の変化に敏感でいちいち猫の顔色を伺って天候予測はしない。全く意味のない猫の観察である。それに、外敵からの進入のない松郷忍者屋敷で完全箱入り過保護猫のタルト、自然の異常現象を察知し、安全確保のため多くの人間を誘導し安全確保、人命救助猫として働けるか?と問われれば、そんな野生的自然能力培える環境ではない。野生の勘すら鈍った太った猫である。
それを明らかにする大事件が起こった!?
ある日の真夜中、ふっと目が覚めた筆者 松郷は毎晩一緒に寝ているはずのタルトが傍にいないことに気付いた。
松郷「あれぇ、たーちゃんが居らん!」と辺りを見渡し探していたら、グラリン グラリンと大地が触れた。地震である。他に揺れる原因があるのか?
私は揺れの激しい二階で寝ているので揺れが治まるまで身動きせず布団にうずくまり、我が身を守った。しかし、ターちゃんはいずこ?彼は大丈夫か!?と地震が落ち着いてから、一階居間に直行し、ターちゃんを探した。
松郷「ターちゃーーーーん!!」と夜中なので小声で必死に呼びかける筆者 松郷。
タルト「ンナーー」と向こうの方で悲痛な叫びが聞こえた。

原因

2010-06-05 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
もちろん、蓄積した悪い虫は子に悪影響を及ぼし免疫力低下させる。この悪い虫を良い虫にしないとさらに広がる”食の弊害”だ。つまり、世界規模で空気をキレイにしないと家畜酪農業者に大打撃のウイルス蔓延は続くだろう。
筆者 松郷「そうだな…私なら“ウイルスカット エアクリーンファンシステム”の導入を図る」となんだかすごそうな名前を付けたが、単なる「空調完備 光調整機能付き酪農小屋」を提案するだけだ。が!?、世界規模の莫大な資金調達という現実の壁を越えられず敢え無く妄想終了…ちーん。高額な反省点を残したただの妄想だった。
また、こんなことから異常な現象を予測察知することも出来る。数年前の話であるが、数多カエルがいっせいに我が家の現実の壁によじ登った。我が家はカエルに占拠され、
筆者 松郷「ぐえぇ、数多カエルに取り囲まれた!キモイっ!」
数匹くらいなら可愛いカエルも数多となればグロく、それがキモイと思わせた。
筆者 松郷の脳裏に焼きついて離れないカエルの占拠で「なんなんだ!?このグロさはぁ!!」と思ったら、大雨洪水警報が発令された。
数多グロいカエルは未来を知っていた。
その後、あれよ雨よと雨が降りさくり、家の近くの用水が溢れて田んぼにドドーッと流れた。
もし、数多カエルが現実の家の壁にへばり付く非難法を見出していなければ、田んぼの水共々流されていたことだろう。数多カエルの未来を先読みで、いっせいに田んぼから華麗なるジャンプで非難脱出、我が家の現実の壁によじ登り、見事カエルは流されず生き残った。が!?
洪水が引いて田んぼに戻ったカエルは途端に鷺師?なる渡り鳥集団に襲われ食われていた。弱肉強食 食物連鎖上仕方ない事だった。
筆者 松郷「カエルよ、鷺師の手となり足とあり、死を生かせ!」とカエルの冥福を祈った。
これらカエルは天(雨)を読むが人間の心は読まない。敢えて読もうとは思わないからだ。しかし、人間技の直感では天読み限界がある。という訳で、いつ起こるか分からない自然災害のために、まずカエルの気持ちと行動を読む方が先だ!と考えた筆者 松郷は、
“カエルとお友達になれるようにグロい数多カエルを克服しよう!”と考えた。が!?
その後、グロいカエルのトラウマ映像は現実に見られない。
なぜか?
実は、洪水の原因が近所の用水の詰まったゴミであると判明。近所の方々で協力してゴミを除去しキレイにした。その後、用水の流れは良好で洪水は起こらなくなった。つまり、カエルは用水ゴミの詰まりを知っていた!?自らを犠牲に掃除のきっかけを作っただけなのだ。

鳥見

2010-06-04 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
郷「大(おお)ちゃん」って、誰やねんとツッコミ入れたくなったが、郷のプライベートまで介入はしない。兎に角、郷は遠方の大ちゃんと文通しているのだ。
郷は、二羽の鳩を交互に何か秘密の文(ふみ)を握らせ飛ばす。どちらかが伝書鳩の役割をすれば、必ず一羽は手元に置く。それを繰り返し月二回のペースで伝書鳩を送っている。
義経「どうせなら足にくくりつけて飛ばしてあげればいいのに…」と密かに思った。
片足グーで文を握らせ、バランスを失いつつ辛うじて飛ぶ伝書鳩、なんとも不自然で怪しい。
また、当時、伝書伝令の役割を果たす鳩は珍しかった。という訳で、本当に怪しい鳩なのだ。
明治以降鳩が軍事鳩として伝令役を担ったが、それ以前、特に江戸時代では、鷹匠と呼ばれる鳥使が“鷹”を調教して行っていた。のう(脳・能)ある鷹は爪を隠すというが、鷹はその才能を隠しきれないようで鋭い爪は表に出ている。痛そうだ…。隠れない爪で指令通りに素直にがっしり掴む獲物はひとたまりも無い。がっしり掴んだ獲物を人間に与え、後から人間に獲物よりも上質な肉をもらう。鷹は分かっていたのだ。自分で捕るより特選された上質な肉にあり付けることを…。その鷹の行動を観察、不穏な動きを察知、外部からの敵の侵入を監視、さらに鷹の生態観測で自然現象を読み解く。それら行動を「鳥見(とりみ)」という。
家紋が『違い鷹の羽』の"鷹の羽"系の筆者 松郷は、両祖父家「鷹系」家紋であり、おそらくそういった鳥使を祖に持っていると考えられる。しかし、そんな祖を持つ筆者 松郷は両目ともコンタクト装着、夜は外す。従って「夜、鳥見は使用不可」である。が!?
代わりに「夜、猫目良好」となる。昼夜問わず底知れぬ眼力を発揮する鳥見猫目(ねこもく)松郷科(まつごうか?)がルーツ(祖)の筆者 松郷だった。そういった家紋で“祖”から受け継いだDNAたる遺伝子的潜在能力がなんとなく推測できるのだが、私の場合、全くの当てずっぽうだった。
「さぁ、皆さんも家紋から自分のルーツ(祖)を辿り、勝手に推測しよう!」と読者に語りかけてみた。
そんな鳥見猫目の鳥使「鷹匠」がルーツの松郷は、最近飛来してきた燕の観察を行っている。
例えば「燕が低く飛ぶと雨が降る」と言うが、それは雨が降る前は湿度が高くなり、虫たちが低空飛行し、それらを食べる燕は虫に準じて低く飛ぶからである。実は、お空の変化に敏感な虫や動物たちの本能的行動を観測することによってある程度自然異常な現象を察知することが出来る。昨今、鳥の数が極端に減ってきたのは虫たちの生態系の乱れが考えられる。
大気の汚れを浄化清浄する雨水が大地に流れる。大地で成長する緑を食する虫の胎に悪いものが蓄積し、それを知らず知らず食する鳥が体を悪くなる。悪い虫が増えたもんだ。

傀儡女

2010-06-03 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
遊女屋敷とは江戸時代でいう『遊郭(ゆうかく)』である。つまり、男がいっぱしになり大人の男女の世界を楽しむ場所で子供を連れて行くような所じゃない。しかし、男子平均身長-10cmの童顔の義経は年齢よりもかなり老け顔の弁慶が連れだった子だと勘違いされた。全くの子ども扱いだよ。色目使った色気たっぷりの美しい遊女たちにとり囲まれ、持て囃されたちっこい義経は結局子供のままで終わった。顔を赤らめカチンコチンに緊張して、チンして動けず正座するしかなかった…。
その遊女とは「客をもてなす女性」の事で、平安当時、傀儡女(くぐつめ)、傀儡師(くぐつし)、白拍子(しらびょうし)などと言われていた。舞を舞う白拍子 静御前もその一人である。また、傀儡女とは旅芸人の女性劇団員のことだ。丁度そこに同い年位の旅芸人「傀儡女」の見習いがいた。見習い傀儡女は細く光沢のある滑らかで丈夫な“糸”を巧みに操り、人形劇を披露してくれた。見習いとは思えないの腕前に「もはや、プロ級…」と感心した覚えがある。
どれもこれも元を辿れば巫女が起源で「お客様は神様の精神」で“御持て成し”する“芸 能”で神様にサービス(奉仕)するのが彼女らの業である。本来は…ね。
義経「そういえば、6,7歳の女の子と一緒にマリオネット(操り人形)劇を見てたな…」
郷「あぁ、静ちゃんでしょ…」と小さく呟く郷。
義経「え!?静?」初めて気付いた。そこですでに静と運命悲恋の出会いをしていたのか!?
遊女は仕事上お客様を「御持て成し」するので両思いの恋愛に発展した義経と静は大変稀である。遊女の低い身分や時代背景云々により、悲恋に終わるも少なくなく遊女は割り切った仕事上の付き合いだけで「また、きとくれやす」と言われる。稀に両思いとなり恋愛関係に発展するがお互いを深く傷付け合い最終的には悲恋に終わることも無きにしも非ず。恋愛にまで発展するとややこしく進展が難しいので擬似恋愛を楽しむだけの方が両者にとって、気楽なのだ。それが分かっていたのは同じ年位の「傀儡女」のようで、義経とは一線置いた関係の擬似恋愛を楽しんでいたようだ。
郷「さすがネェ様。大人ッね」
義経「ネェ様?」人の回想シーンを見て来たように口を挟む郷だった。
それになぜか、郷は義経の幼少の頃をよく知っていた。すっ呆けた天然顔なのに世の中の情報通、各地方で何が起こりどのように情勢が動いているのか熟知し、さらには天気予報なんて御手のもの。また、不可解なカタカナ連発発音し周囲を驚かせる。もう一つ驚きの習性に「文通」がある。
義経「誰と文通しるんだ?」

元服

2010-06-02 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
男親 義経としては、そんな義隆を「いっぱしの男にしてやりたい!!」と『元服の義(成人の義)』を提案した。逃亡先が温泉地なだけに「もしかしたら…」と密かに思って。
『元服の義』を執り行ったのは、藤原三代秀衡が急遽(1187年10月29日)し一年喪に服した後、1188年10月30日、義隆4歳の時だった。
郷「えぇ、4歳でぇ!!」と、早すぎる元服にビックリしたが、反対はしてない。海尊は大いに賛同してくれた。そりゃ一緒に行く旅だし、な…。原則として年齢制限は無いが、早くても8歳から行うのが元服である。今回の早めの元服させたのは、本当にただただ男親として息子を“いっぱしの男にしたい”という口実で一方的な義経の全く勝手な温泉街の事情だった。そんなことなど露知らず義隆は、勝手に着せられた動きにくい晴れ着とずり落ちる大きめの烏帽子に、
義隆「うおぉーーー!!」と、折角の晴れ着をビリビリに破り、烏帽子を投げ飛ばした。
郷「まぁ、ケンシロウみたい!素敵っ!」と、親バカなる感嘆の声を上げた。
全く漫画「北斗の拳」の見過ぎである。
義経「…」こんな気性の激しいやんちゃ息子 義隆を連れて温泉街の夜「大人しく待っていてくれるかな?」と心配になった義経だった。四歳 義隆、少々早過ぎやしないか?と海尊に目くばせしたが、海尊の目線はあちらの方に向け、目はギッラギッラに輝き、あちらの温泉街に行く気満々のオーラを出した。それはそのはず、一番興味津々の時だ。義経だって16歳の時、自ら勝手に元服(成人)したには、ちょっと深い?男の?色々な?女子には分からない事情があったからである。鞍馬(鬼一法眼)の娘 皆鶴姫にちょっかい出して、鞍馬山を追放され、泊まる寺がなくなった義経は弁慶を従え、近江(滋賀)鏡山の宿場「鏡宿」に泊まっていた。その時、比延山の坊さんになるのは「嫌だ!」と髪を結い直し、懐に隠し持っていた盗んだ烏帽子(えぼし)を被り、自ら「元服の儀」を執り行った。承認は、すでにいっぱしの大人の弁慶である。
弁慶「で、名はどうする?」
本来なら、烏帽子親が名付けてくれるが、自ら元服を行った義経に烏帽子親がいなかった。
義経「よし決めた。俺は九男だから“源 九郎(クロウ)義経”とする!」と自ら[黒]と[苦労]を名乗った。もうこの時点で大前真っ暗、苦労人生が目に見えている。
弁慶「…頑張れよ」と労いの言葉を掛けてくれた。
義経「おう!」何も気付かない義経16歳、いいお返事だった。その夜早速「大人の世界の仲間入りだっ!」と鼻息荒い弁慶と一緒に夜の温泉街の「遊女(あそびめ)屋敷」にくり出した。

義父妹

2010-06-01 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
もちろん、手元が狂って能子を射抜き、後から能子の亡霊に呪い殺されたら敵わんと言うのがその理由で、与一に嫌な役を押し付けただけだった。与一は、見事的に矢を命中させ源氏は活気づいた。
義経「ありがとう…恩に着る、与一」
その後、壇ノ浦で平家に快勝したが、多くの平家の女中が入水自殺を図った。結局、女たちから恨まれた形で終結した源平合戦だった。しかし、それだけは終わせてはくれない妹の呪縛である。その後も何度か妹をエサに「平家の嫁をもらえ!」だの「平家を継げ!」だの、いろんな要求を受けることになった。どれもこれも義経が源氏で能子が平家にいたからイザコザに巻き込まれたようなもので、どっちが巻き込んだか巻き込まれたか分からないが、お互い数奇な運命を辿ることになった。しかし、元を辿れば親の代の源氏平家のイザコザに子供らが巻き込まれただけである。兄として、そんな妹が居た堪れなく思っているが、どうして頭巾をかぶって奥州までの逃避行に付いてくるのかなぁと思い、
義経「そろそろやばいから(京に)帰れっ」と追い返したのが尼御前サービスエリアだった。
尼御前(あまごぜ)に扮した姿、澄まし顔でポーズ決めているから休憩取るついでに見つけてくれ。ここまで書いたら、元 平家 武蔵河越から来た嫁 郷と平家から嫁いだ嫁 繭と平家の娘で妹の能子と源氏方 兄 頼朝という位置関係上、義経は複雑な心境だったことが分かってもらえたかなと思うが、平家と源氏の板ばさみで辛い立場なんだよ…。
義経「ふぅ…。世間って狭いよな…」とため息と感想を漏らした。
実は、その狭い世間で仲良く遊んでいたのが、能子と繭子で二人は幼馴染である。よく京の山や寺で遊んでいたらしい。
郷「あぁ…頭巾五レンジャーで、ね♪」
義経「え??」と回想シーンから突如現実に引き戻されたような不可解な郷の言葉だった。
郷「伝説と空想を織り交ぜた歴史実話と五人組の紹介が終わった所で狼煙が上がったわ」
義経「あ…あぁ、出立の合図か。じゃ、そろそろ行くぞ、海尊!荷物を持て!」
生後7ヶ月の子と長旅するのは少々難しいので郷に預けて、旅の大荷物を持った。海尊は4歳になる女子に扮した「幼少名 虎千代」改め早い元服した“義隆”を負ぶった。どうやら、我が子 義隆がお荷物のようだな。
その義隆は少々早めに元服した。もちろん、親の勝手な事情で急遽執り行った早めた元服である。これから始まる歴史裏街道義経逃亡で上手く追っ手から逃げ切れるか分からず、もしかしたら今生の別れとなるかもしれない。失敗に終われば、女に扮した息子は女のまま…。