ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

能、男の舞

2011-06-19 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
聞こえていた…彼女の言葉。
でも、聞こえないフリをして、橋掛かりを歩み始めた。
「…帰りたいね、あの頃に…」
何も知らず、過ごしたあの頃に、多くのものを失う前に、
時間が戻せるものなら…戻したい。
そう願っても、もう二度と戻ってくる事はない。
手を伸ばしても、握ってくれる手も、掴んでくれる手も…今は、ない。
俺たちは多くの者たちと同時に、多くの思い出も失ってしまった。
手を放してしまった…と、後悔しても、戻ってくる事は、決して無い。
放した手は、もう二度と握る事は出来ない…そんな男の悲恋 演目『羽衣(はごろも)』
駿河(静岡)の穏やかな春の海、白砂と青松が美しい三保の松原で、
ある朝、若い漁師 白龍(はくりゅう)は、松の枝に掛かる美しい衣を見つけた。
スッと手を伸ばし、シュルッと枝から衣を取り、
白龍「我が家の家宝にしよう…」と持ち帰った。
そこへ、美しい天女が現れ、
天女「どうか、その羽衣をお返し下さい」と懇願した。しかし、
白龍「これは…」と衣を握り「返せない…」と天女の願いを聞き入れようとしない。
天女「お願いです。それがないと、天に帰れません」と、すがって泣いた。
白龍「…帰さない」天女の手首を握って「妻になれ」と放さなかった。
天女「え…」困ってしまった…「わ…私には、帰るべき所があります」
白龍「では、舞を舞ってくれ。舞った後、衣を返す」
天女「舞うには羽衣がいります。どうか、お返し下さい」
白龍「衣を返したら、舞わずに帰ってしまう…」グイッ、天女を強く引き寄せた。
天女「疑わしき人の心…天に偽りございません」
その言葉に胸を打たれた白龍「分かった…」スッと天女の手を放した。
天女「あなたのために、舞いましょう」
白龍は、ふわぁ…と天女に衣をかけた。
天女「ありがと…」羽衣を身にまとった天女は、月読宮の様子を舞で表し、また、私たちが出会ったこの地を賛美し、やがて遠く彼方の富士に舞い上がり、春霞に紛れて消えていった。
白龍は、いつまでも、富士の春霞を、天女の幻を見つめていた…。