ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

八幡

2010-06-09 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
八幡神は弓矢武運の軍神であり、清和源氏の氏神でもある。頼朝も厚く信仰していた。
それを象徴するのが「鎌倉 鶴岡八幡宮」である。八幡神は、この世に「番鳩(つがいはと)」を使わすという伝説があり、熊谷は「頼朝と鳩」を見て“八幡信仰の伝説”を思い出したのかもしれない。熊谷家の家紋「番鳩」であり、そこからもうかがい知れるように彼は八幡神に厚く信仰していた。その八幡の化身に背くことが出来ないと考えた頼朝を助けたのだ…と噂が広がったが、実のところ、目の前で傷ついた体を横たえた武将 頼朝が死を覚悟して念仏を唱えていた。その姿を見て、死を覚悟するにはまだ早いと思ったのだろう。熊谷は、戦場で情を捨てきれない所があった。武将として名を上げる一方、自分よりも若い者たちが死んでいく姿を見て思い悩んでいたのだ。そんな熊谷の心をが頼朝を助けたのだ。
その後、熊谷は頼朝を助けた二羽の鳩を武蔵の実家で飼っていた。
熊谷「八幡神よ、なぜ我に鳩を使わした?」と、ケンカばかりしている二羽の鳩を見て、溜息をいた。
丁度その頃、熊谷氏と比企氏との間で養子縁組の話が持ち上がり、郷の母 比企尼とは親戚関係となっている。その縁で合戦中は比企尼に鳩の世話を頼んでいたようである。
「九九ルー、ポッ♪」と愛らしく鳴く鳩を見て、
郷「母上!!鳩が欲しい!!!」とねだる郷12歳。おねだりに困り果てた母は熊谷に、
比企尼「娘が”八鳩”を育てたいと申しております。どうか譲って下さい」と頼んだ。
熊谷「そうだな、いずれ、わしも…」と言葉を濁し、郷に鳩を譲る決心をした。
熊谷は郷に鳩の飼い方、「鳥見」の方法を教えた。見事、郷は一年で鳩使役マスターとなった。そして、熊谷の「いずれ…」という予感は的中した。
先に述べたように、熊谷は平家一門の孫として生まれ、平家方として戦っていたが「一の谷の合戦」以降、源氏方で戦っている。この「一の谷の合戦」が出家の意思を固めたといわれている。
1180年[一の谷の合戦]にて…
ある平家の若き武将が一ノ谷の合戦で戦っていた。一方、熊谷は源氏方に付き平家奇襲を仕掛けていた。追い込む源氏に逃げる平家。奇襲を振り切り、海に逃げようとする若い武将に、
熊谷「敵に後ろを見せるとは、卑怯者ぉっ!!」と若き武将に叫んだ。
すると、若き武将は馬を止めて、熊谷の前で兜を取り、己の首を差し出した。
熊谷も武士として誇りある死を手伝うために、その首を切り落とそうとした熊谷であるが、その若き武将の姿にハッとした。