ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

自然に信仰

2010-04-07 | 倶利伽羅-白山比-気多大社巡り
いつも、いい加減軽い気持ちの御礼で申し訳ないなぁと思いつつ、白山の恵みに手を合わせた。
今年も多くの山岳信仰修験者愛好家?登山者が白山の頂を目指すのであろう。
「どうか、楽しい登山になりますように…」
と、山岳では決して修験しない平地の平和推進修験者 生臭坊主ひつじではあるが、多くの登山者のために祈った。
アーメンって。
もうこれは癖だ…。気にしないでくれ。
手を合わせた後、ついつい手を組んでしまう。ぎゅっと。
私のちっこい宗(むね)で神仏習合している瞬間だと思ってくれ。
そんな神仏習合密教、白山信仰の歴史を紐解くとその昔白山は山岳自然信仰の修験地だった。
多くの修験者 山伏 大小の天狗様??及び、山男たちはその頂きを目指した。
何のためか?
「そこに山があるから」
シンプルな答えだ。山の頂きの先には、見えない領域があり、無限に広がっている。その”無”に到達したいがためである。山を駆け抜け、山神の神力息吹を肌で感じ、目指した頂きには神がいる。神人合一、それがヨーガの真髄だ。
高野山開山 空海もその一人。彼氏自身ヨーガそのものだった…とある真言密教の本に書かれている。私が弘法大師 空海に興味を持ったのはその本と出会ってからだ。
そんな出会いとは不思議なもので、ある日私が作った縁で出会った友人にまたまたある日、ふいにこんな質問をされた。
「日本で始めてヨーガした人が空海だろ?」って。
類友?と首を傾げ、引き寄せてしまった縁を因縁と思った瞬間だった。
そんな友人になった友人であるが、私はこの時代の人たちを実際に見て来たわけではない。
私にはそんな時空を超える能力はない。私に聞くより霊媒師に質問したらどうか?と思う内容で、それが高額で出来ん!なら”ムー”を読め!670円だと思った。
どっから見たら見えそうに見えるひつじ顔か?
「(メェ)(メェ)」
時おり、飛んでもない質問が飛んで来る。なんと!私が江原さんに似ても似つかない顔であると思い込んでいるが、かの有名なスピリチュアル系江原氏に似てる!と言われた。
もう笑ってやるしかありませんよ。その失笑、買った!
ぷっっ!!!って。
しかし、私は江原氏にはどうあがいても、どうひっくり返っても見えない。
まったく人の目と思い込みって、どこへでも妄想飛んでいくもんだと思った。
しかし、人を見た目判断で江原氏にしてはならないよ。私は、決して江原さんには見えないから。
ま、それはどうでもいいとして、私の見解では空海さんより聖徳太子が先にヨーガしていると思い込んでいた。仏教伝来と共に仏の御心に触れ、夢殿での瞑想、多くの人々のための大我(自由なあり方)のためには法律が必要と十七条の憲法と制定。あれ自身ヨーガ 瞑想の姿ではなかろうか?と。
夢殿瞑想頭リフレッシュで日本書紀を元に憲法制定、神と人のあり方を考えた聖徳太子の思想こそ初ヨーガ!と思い込んでいたのだ、全く思い込みの激しいひつじである。
これが、この類友なる友人と見解決裂、価値観相違が始まった瞬間である。
ソリ合わないが馬が合う、初対面双魂で会うのは不思議ではないが、性が相うのか相わないのか、分からない友人だ。皆にも一人や二人こんなソリの合わない因縁友人がいるだろう?
話は空海さんに戻るが、山々を駆け巡り山岳修験、山の神域の中に神の息吹を感じ、山の頂きの先に広がる宇宙を思った。ここで見えてくるのが、なぜ高い山々に社を建てるか?
山の頂の先にある宇宙真理への到達のためだ。
地球は太陽と宇宙と繋がり呼応する。
それを三位一体、三神一体という。
太陽は地を照らし宇宙は地を守る。
宇宙 太陽 大地の神は力合わせる。
日本だけではなく、世界の神々も三位一体が主である。
世界の頂の先にある無限に広がる宇宙。山を神と崇め、山の頂きに祈祷殿 神殿を構える。
それは、地球の先にある宇宙との一体をはかる為。
ほおぉら、御覧よ。
山の頂きから覗くご来光。
闇(病み)から抜け出す瞬間だ。
病みに光を射す太陽、心闇から救う光。
古来の人は、分かっていたんだ。
温かい光が闇から心を救うんだって。
人は温かさを失っては生けないんだ。それが、自然信仰だよ。