冤罪、司法との闘い 「間違ったシステム変えよう」 (2022年9月13日 中日新聞)

2022-09-13 17:05:37 | 桜ヶ丘9条の会

冤罪、司法との闘い 「間違ったシステム変えよう」

2022年9月13日 
 20歳で無実の罪を背負い、29年間を獄中で過ごした「布川(ふかわ)事件」の桜井昌司さん(75)を追ったドキュメンタリー映画「オレの記念日」(金聖雄(キムソンウン)監督)が10月から全国公開される。仮釈放後に無罪となり、国家賠償請求訴訟でも勝利した桜井さんは、同じ冤罪(えんざい)被害者の支援に奔走してきた。人生の大半を、日本の司法との闘いに費やした桜井さん。今は末期がんとも向き合う。その思いとは−。 (大杉はるか)
 「懐かしいなあ」
 映画は、桜井さんが仮釈放から二十年ぶりに千葉刑務所を訪れるシーンから始まる。最高裁で無期懲役が確定してから十八年間を過ごした刑務所だが、つむぐのは恨み言ではない。「本当にがんばりましたよ、一生懸命。なんでだろうね、楽しさしか思い出せない」
 一九六七年八月、茨城県利根町布川で、一人暮らしの男性=当時(62)=が殺害された布川事件。桜井さんは杉山卓男さん(故人)とともに別件逮捕後、強盗殺人罪で起訴され、無罪の主張が認められないまま、九六年まで二十九年間を拘置所と刑務所で過ごした。再審の末、ようやく無罪となったのは二〇一一年。昨年八月には、国家賠償請求訴訟で勝った。
 映画では、桜井さんが冤罪を訴える活動で「刑務所に入ったおかげで幸せだった。人さまの善意を信じられるって冤罪者」と語る様子や、「泣いたって叫んだって出られない。明るく楽しく面白いものを見つけて生きてやろうと思った」と獄中生活を振り返るシーンなどが出てくる。仮釈放後に出会って結婚した妻・恵子さんとの日常風景のほか、桜井さんが支援する「袴田事件」の袴田巌さん(86)や「狭山事件」の石川一雄さん(83)らも登場する。
 国家賠償請求訴訟の最中だった一九年九月には、ステージ4の直腸がんと診断され、余命一年と宣告された。その一カ月後に淡々と心境を語る様子も、カメラはとらえている。
 桜井さんは獄中で詩や日記を書き、作曲もした。高い歌唱力を生かして、仮釈放後はコンサートも開いている。映画に彩りを与えているのが、こうした詩や歌だ。映画のタイトルは、逮捕された日の「夜風に金木犀(キンモクセイ)は香って 初めての手錠は冷たかった」で始まる詩「記念日」からとった。
 撮影した金監督(59)は、「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」(一三年)、「袴田巌 夢の間の世の中」(一六年)、「獄友」(一八年)と、冤罪を扱ったドキュメンタリーを手がけ、今回で四本目。きっかけは十二年前、狭山事件の石川さんに会ったこと。石川さんを追う過程で、すぐに桜井さんらほかの冤罪被害者との交流が始まった。「冤罪と聞いて最初は怖いというイメージがあったが、会ったら全然違った」と金監督。絶望のふちに立たされながら、希望を捨てない姿に引きつけられ、それぞれにカメラを向けてきた。「彼らの生き方を見て、愛情とか友情、普通の幸せって何かと考えさせられた」
 金監督は「桜井さんは冤罪被害者をつなぐキーマン。多くの冤罪被害者は声さえ上げられないが、桜井さんの存在が目標になった」と指摘する。「冤罪という経験は不幸に決まっているけど、そんな単純なものでもない。桜井さんは『幸せだった』というが、言わないこと、抑えることで、しんどさや悲惨さを感じてほしい」
 「オレの記念日」は十月八日から、ポレポレ東中野(東京都中野区)で公開される。愛知、静岡、三重、長野県のほか、関西でも順次上映予定だ。

桜井さん 全証拠の開示、「再審審査会」が必要 取調官がウソ、自白の強要

 「人からどう思われるとか、意味ない。自分の中身は変わらない。娑婆(しゃば)に出てきてからの生き方がそうなんだよね」。桜井さんは完成した映画を見て「ありのまま」と話す。
 五十五年前の八月二十八日、大工の男性が自宅で絞殺され、現金も奪われた。茨城県警の捜査は難航し、一カ月以上たった十月十日、桜井さんはズボンとベルトの窃盗容疑で、十六日には杉山さんが暴力行為法違反容疑で逮捕された。すぐに本件の取り調べが始まった。桜井さんが当日は都内の兄のアパートにいたと主張しても、警察官に「兄は来ていないと言っている」と否定され、「目撃者がいる」「死刑になるぞ」とも脅され、自白に追い込まれた。
 犯行状況に関する供述は、取調官のストーリーに合わせてつくられた。現場から指紋や毛髪などの物証は何一つ出ていなかった。
 再審請求審では、警察官がないと証言していた自白を録音した二本目のテープの存在が明らかになり、十三カ所も編集跡が見つかった。被害者宅での目撃証言も否定された。ようやく無罪になった時、桜井さんは六十四歳になっていた。
 一二年に国家賠償請求訴訟を起こした。昨年八月の東京高裁判決は、目撃情報に証拠能力はなく、唯一の根拠となった自白は警察官や検察官がウソを言って誘導したことを認定。「社会的相当性を逸脱して自白を強要する違法な行為であることは明らか」と断じた。
 あれから一年。今も警察官や検察官から謝罪はない。だが桜井さんは「必要ない」と言う。「それよりも、間違っているシステムを変えよう」という考えだ。
 たとえば、証拠の開示。桜井さんの裁判では、検察側に不利になる証拠が隠され、裁判所も開示に向けて積極的に動かなかった。刑事訴訟法では、公判前整理手続きで、被告側から請求があれば証拠リストの提出が義務付けられているが、桜井さんは「リストだけというのはごまかし。全証拠を出せばいい」と、さらなる改善を求める。
 もう一つ重視するのは、一九四九年の刑訴法施行後、ほぼ手付かずできた再審制度の見直しだ。桜井さんは「今は再審を求める先は裁判所だが、本当は独立した『再審審査会』のような機関をつくるべきだと思う。国民も入り、証拠はすべて出して、警察や検察の行為を含めて審査する。国民が司法をコントロールすることになる」と提案する。
 「誰だって間違えるのは仕方ない。でも証拠を無視したり、ウソをついたりしている。その過ちを正し、責任を負うシステムがないのは本当におかしい」との確信があるからこそだ。
 二〇一九年三月には初めて冤罪犠牲者の会を結成した。同時期に、科学鑑定で冤罪を再検証する米国発祥の活動「イノセンス・プロジェクト」に参加した際、台湾の検事総長が「冤罪は生まれてしまうが、裁判官、検察官、弁護士みんなで直していく」と語るのを聞き「日本と全く違う」と感じたという。「冤罪体験者のおれたちが声を上げない限り、社会は変えられないのではと思った」と桜井さん。「時間はかかってもいい。司法が変わるということは社会が変わるということだ」と訴える。
 末期がんの診断を受け、腸洗浄や食事療法を続けてきた。死について真剣に考えたのは、警察官に「死刑になる」と言われた時。「自分がいるから、この世がある。世の中があるから自分がいるのではない」という意識が芽生えた。今の社会を見て「本当に大事なのは一人しかいない自分の命だが、その大事さを教えられておらず自覚できない人がいっぱいいる」と感じる。
 体重は十数キロ落ちたが、歩みを止める気はない。「何やったって死ぬんだし、自分のやりたいようにやった方がいい」
 
 

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