daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

於多福姉の「秘」

2014年10月02日 | (転載・記事)  総 合
於多福姉のレベルで考えた「秘」です、読み飛ばすほうが賢明かも。

>俳句とは、何ぞや?

【俳諧は去来抄に詳しい】の過去ページでは触れずに過ごしました。
『切字の事は連俳ともに深く秘。猥(みだり)に人に語るべからず…』
上記については、芭蕉が去来に語った言葉だったと記されています。

当然、去来の他・誰も於多福姉も秘の中身を知ることは出来ません。
芭蕉が秘すべしとした中身は知らなくても、大事は於多福姉も持つ。
それで、於多福姉が大事と考える中身を述べておきたいと思います。

「連俳ともに」とは「連歌・俳諧」ですが、粗・下記の要約かと…。
連歌:俳諧連歌は多人数の連作形式、厳密なルール・全体的な構造。
俳諧:発句の独立性が高まり、明治時代に成立した俳句の源流です。

切字の真意について、俳諧連歌・俳諧の内内の事としたのでしょう。
封建時代の事ですから、世の寵児といえども明日の身は知れません。
千利休でも一夜明ければ死罪を賜る時代だったのはご存知でしょう。

俳諧連歌は封建的な・世間的な階級の下に詠まれてはならなかった。
俳諧は京・井出町の山吹の里の河鹿でなく、古池の蛙を象徴とする。
俳諧は基角が幼少から嗜んだ大和歌文化から派生した【庶民の文化】

庶民の文化であっても、大和歌の文化に対立するものではなかった。
大和歌の文化に対立する物に体制批判な川柳・狂歌等が散見される。
「体制批判的・反社会的な思想にあらず」…それが芭蕉の俳諧です。

芭蕉が最も恐れたことは、反社会的集団と混同視されることでした。
反社会的集団から組しやすいと思われ・仲間と見なされる事も迷惑。
まさに、体制からの誤解も反社会集団からの誤解も恐れていた芭蕉。

現代の日本社会でさえも、俳句に諧謔性を持ち込む集団がいる現実。
結社化した組織を秘密のベールで外部から隠して、何をしているか。
裸踊りに興じたり、酒池肉林の集団ばかりではないと思っている…。

現在、そんな集団を恐れる必要はないが、封建時代はそうではない。
芭蕉ほどの常識はなくとも、社会の誤解を避けるべく行動すべき時。
熱い太陽の下を巍巍蕩蕩。幽霊の付け入る隙など許してはならない。

於多福姉は、そんな俳句の心・詩の心が好いと思っているのですよ。


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