理由が分からないから彼の昔の発言や直近のインタビューで何かヒントを探す自分がいる。でもそれって無駄なことなのかな。
この間まで日本製の巻末インタビューを読んで最近はこうだったんだって勝手に思っていたけれど、他人が同じような事してて、なんで勝手に春馬君の心の中分析するんだよって頭に来たけど、自分も同じ穴のムジナじゃん、何人の事棚に上げてるんだよって恥ずかしくなった。
そう、誰も人の心なんて分からないんだよね。
分からないから心理学も占いも存在する。何かに頼りたくなる。こうなってしまってはすべて過去の発言だし、変わらない思いがあったとしてもそれは分からない。過去はすべて終わった事、終わった事なんだよな。
でも私は未だにカネ恋最終回を見ていない。見届けると書いたくせに見る勇気がなかった。私自身が終わらせるのを怖いのだろう。見たら本当にすべてなくなってしまいそうで怖い。
世間ではもう名前の前ににあの漢字一文字が付いていて過去の人になっている。彼の作品も歌も映像も声も全部過去、今はなく未来はもうない。
この空しさが苦しくて妄想や憶測に騙されてもすがる人達に救いはないのだろうか。
昨日ボンビーメンを全部見た。若い春馬君が笑っていた。
アーティストの配信ライブを見た、彼を思って泣いていた。
映像では確かに笑っているのに現実には本人はこの世にいない。
何度も何度ももう大丈夫かなって推しのライブや番組で力を貰おうとしたけれど、やっぱり無理みたいだ。時間薬は一向に聞かない。
彼が手紙でも文章でも残してくれたのならまた違ったのだろうか。
例えあったとしても明かされることはないのだろうけど。
でも私は彼は孤独で苦しんで悲しんであの最後になったとは思いたくない。
彼が選んだのなら納得して旅立ったと信じたい。
彼の最期の経緯を人づてに聞いた人が語ってた「決意」という文字
本当に近しい人達はそれを知ってるから誰も彼を責めずに受け止めているんじゃないかと思う。
ファンには明かされない本当の理由
彼がずっと三浦春馬で生きてきた理由がそこにあるのかもしれない。
追記(2022年5月現在)
詮索するまい、いや知りたいと今でも心はアンビバレンス状態です。
自分が不調なときほどネガティブに襲われる。
なかなか浮上は難しい。