ひと日記

お気に入りのモノ・ヒト・コト・場所について超マイペースで綴ります。

ノーフォークジャケット

2010-04-22 04:00:00 | 白井さん
 

 今回は実に景色の良い写真が撮れましたので、扉に使わせていただきました。

 白井さんのお隣の紳士は信濃屋顧客列伝中のお一人、T市様。旧知の仲でもあられるお二人はこの日の夕方、白井さんが『そろそろ帰ろうかな~』とお支度を始めた頃、T市様がふいにご来店されたことで、実に久しぶりの再会となったご様子でした。お二人は久闊を叙しつつ記念撮影(笑)。上の写真はその時のベストショットです!お二人とも実に良い笑顔ですし、凄い着こなしです(汗)。

 

 T市様は白井さんに『服の話ならこういう人の話を聴かなきゃいけない!』と言わしめる程の洒落者。お仕事は服飾とは関係の無い職種だったそうですが、数寄が高じてなのでしょうか、ご自分で気に入った素材を調達されて自らの手で服を作ってしまうこともあるそうです。この日はヘビーシルクを使ったお手製の巾着を拝見させていただきました。

 元祖アイビー世代のT市様はもちろんお店巡りも頻繁になさるそうで、信濃屋さん始め、名の知れている店は言うに及ばず、果ては“裏”原宿までもが守備範囲なのだそうです。白井さんがよく仰る“服数寄”とはまさにT市様のような方を評してのことでしょう。因みに、この日お召しになられているお着物は“大島”。その上に羽織られているのは“とんび”って云うのでしょうか、以前昭和30年代の銀座の風景を写した写真で見たことがあります。確か和装でも洋装でもOKなコートではなかったでしょうか、あ~白井さんにちゃんと伺っておくべきでした(汗)。

 

 お二人の服飾談義は数十分の間、まさに丁々発止のマシンガントークで展開。この日のお互いの装いを其々褒め称え、昨今の服飾素材が昔のものとは比べるべくも無いと憤り、故に今の人たちは本物を知らないと嘆かれ、かつての名品や若き日のお二人を唸らせた大先輩の洒落っぷりを懐かしむ・・・お二人のお姿は、私を含めその場に居合わせた諸兄の耳目を釘付けにするほどに真剣で、熱く、そして実に楽しげで、本当に服が好きな人にしか語れないお話ばかりでした。まさに“真の服飾談義とは斯くの如し”そんな言葉がピッタリな光景で、白井さんが仰る“お洒落な人は他人の服装にも興味を持つもの”というのはこういうことを指すのだな、と目から鱗が落ちる思いでした。T市様と白井さんはほぼ同世代。お二人のツーショット写真からは着こなしを楽しむゆとりや自由、何よりも“年季”を感じます。そうそう、白井さんは常日頃、『この歳になったらもう怖いものなんてないよ。』と仰っています(笑)。

 T市様、撮影にご協力いただきありがとうございました!

     

 さて、改めまして本日の着こなしのご紹介です。今日の主役は“信濃屋オリジナル・ノーフォークジャケット”。この日は前日からの猛烈な寒気と雨が午前中まで引き続いていて、

 『今日はダークで無彩色な感じにしたくて、これとは違うグレーのジャケットを着てこようと思ったんだけど、朝は寒いし、でも午後から雨も止むって言うからレインコートは着たくないし、で“お!こんなのがあった”と思って、中はニットにしてコート代わりに着てきたんだけどね。』

 とのことで、思いがけずの登場となった“ノーフォークジャケット”は19世紀から20世紀初めにかけてイギリスで狩猟用、ゴルフ用などに使用されていたスポーツ・ジャケット。その後はタウン・ウェアとなり、現代まで引き続いてベーシックな男の衣料となっているそうですが、写真とかイラストで見たことはありましたが、実物を見るのは私は初めてでした。早速触らせていただきましたが、ピンチェック柄の、未確認ですがツイードっぽい感じの生地でした。襟元にはシンプルな黒地に白いドットのシルクマフラーを軽く巻いて、帽子はグレーのグレンチェックの八枚剥ぎ、ステッキは荒羅紗のダッフルコート以来2度目の登場となった白井さんご自慢の逸品“ルートブライヤー”。

 ジャケットの下、今日のニットはミラノクラシックの時にお召しになっていたものよりもう少し濃いめのグレー。ニットの下はクレリックシャツで、写真では判りにくいのですが、身頃はピンクと黒のマルチストライプでとても上品な印象のシャツでした。黒地に小さな赤のドット、細身のクラシックな雰囲気のネクタイはやはりかなりの年代物だそうです。グレーフランネルのパンツに靴は“雨靴”エドワードグリーンの黒いキャップトウ。

 上から下まで“無彩色”で統一され、クラシックでエレガントなカジュアルスタイルは、急遽予定変更になったにもかかわらず“さすがは白井さん!”と大向こうをも唸らせる見事な着こなし。白井さんがタイ、シャツ、マフラー、と黒の小物を多用するのも珍しいですね。こういうクラシックな服って、トルソーで飾られているだけだとどういう時、どんな風に着れば良いのかイマイチ判らないものですが、こうして白井さんが颯爽と着こなす姿を拝見すると、なんだか見ているだけの私までがなんとなく“クラシックな着こなしがしたくなる気分”になってくるから本当に不思議です。



 さて、最後に前回予告しましたシャツのお話を少しだけ。

 『“遠藤シャツ”なんて云わないよ。我々は皆“遠藤さん”って呼んでいたんだ。』(白井さん談)

 私如きが呼び捨てで“遠藤のシャツ”などと気安く呼んではいけなかったようで、大変な無礼をはたらいてしまいました(汗)。横浜で古くから営まれていたという“遠藤さんのシャツ”は、これは白井さんも聞いただけの話らしいのですか、大正天皇のシャツも作られていたという大変上等のシャツ屋さんだったそうです。信濃屋さんではオーダーシャツの依頼をされていたようですが、残念ながら職人の遠藤さんはもう既にお亡くなりになられて久しいとのことです。何しろ遠藤さんが全部お一人で手作業で縫われていたそうで、白井さん曰く『昔は今のような便利な機械なんて無いから全部手作業(ハンド)だよね。それにシャツだけじゃなくてスーツだって何だって昔の職人は全部一人で最初から最後まで作れたものだよ。今はそんな職人は殆どいないんじゃないかな。』とのこと。

 白井さんはかつて横浜で活躍されていた様々な職人さんに親しまれており、その技の見事さを折に触れて賞賛されては当時を懐かしむことがあります。イタリーのシャツを仕入れるようになってからも、遠藤さんに限らず、日本の職人技に馴れた眼には、それほどの驚きも無かったようで、むしろイタリーのメーカーに日本の職人が作ったシャツを見本に貸し出したりすることもあったそうです。但し、シャツのハンドメイドに関して白井さんは、アンナマトッツォのシャツの件でも触れましたが、ボタン付けとボタン穴のかがり意外はその必要は無い、と今回も断言されていました。

      

 上の写真の“遠藤さんのシャツ”は替え襟タイプのクレリックシャツ。生地は高級シャツ生地で知られるカルロリーバ(伊)。替え襟は左からラウンド、レギュラー(?)、プリンス・オブ・ウェールズ・タブカラー。3・4枚目の写真の金属の突起物は前襟部分のアタッチメントである“前ボタン”、と後ろ襟の“後ボタン”。襟の裏側から突起部分を刺し通す仕組みになっています。因みに、現在一般的に出回っているタブカラーシャツの“タブ”はスナップボタンで接続しますが、前回白井さんがお召しになっていたイングリッシュタブカラーと先程のプリンス・オブ・ウェールズタブカラーの“タブ”は、前ボタンの金属の突起部分をタブの穴に刺し通して留める形になっていてちょっぴりお洒落です。

 最後の写真は替え襟を収納するその名も“カラーボックス”(笑)。カラーボックスの中の“マトリョーシカ”のごとき小さな箱は前&後ボタンの収納箱です。う~ん、実に男心をくすぐる洒落たアイテムです!こんな名品が信濃屋さんの地下紳士フロアには普通に陳列(もちろん非売品です)されています。ということで、前回コメントをいただいていたkatkaさん、ありがとうございました、ですが残念~ん!!でした(笑)。