田植えをしなければいけないが、老婆一人で出来るだろうかと、
昨夜はベッドに入っても悶々としていた。
田植機に箱苗を乗せ、肥料も積んで田植えをする。
機械を運転するだけではなく、体力が必要である。
田植機を運転して仕事をしている時間より、苗や肥料の乗せる時間のほうが長い。
苗や肥料を機械に乗せるには、体力不足なので休み休み作業をする。
汗ダラダラであるが、曇り空で暑さは感じない。幸いなるかな!
午後の仕事を始めたいと田圃に出かけると、「お手伝いをします。」と言って、
近所の男性が来て、機械に乗って仕事を始める。
老女は、箱苗を移動したり、肥料をバケツに入れたりしながら、仕事ぶりを眺めるだけである。
さらに、もう一人の男性は軽トラックの運転をして、使用済みの箱などを運ぶ手伝いをしていただく。
仏は見ておられて、老女を助けてくださったのか!
有難く、手を合わせて拝みたいほどである。この恩返しはしなければならない。
直接にはほとんど出来ることはない。老女に出来ることを、他の人に返そう。
本人たちへのお返しは、和顔施と感謝の言葉くらいである。
嬉しい1日であった。
5日は、ルンルン気分で田圃から帰った。
夜勤から帰った同居人が、トラクターを出し田圃の代掻きをした。
この調子だと6日で終わる予定。代掻きが終わったら、田植えを11日にする予定である。
しかし、5日田圃から帰った同居人は、お腹が痛く気分が悪いと言う。
地獄に落ちた。さあどうしよう!!
同居人は病院に行く。お腹の中の石が動いたらしい。痛みが止まらないようなら大病院に紹介し入院の必要。
どうにもならないので、残りの代掻きをする。今後どうするかはゆっくり考える。
自分がするしかない。神や仏は、まだ出来ると考えて、このような事態を与えられるのか?
無茶をしないようにして、何とかこの事態を乗り越えよう。
田圃に水を入れる作業が続いている。昔(?)は、田圃が多かった。
団地もなく、耕作放棄地とか、ソーラーパネルなどは見当たらなかった。
田植え準備時期には、水の争奪戦まであった。夜、水を取りに行くような状態であった。
大人しくしていたら、田圃に水が入るのは一番最後になる。
現在は、幸いなことに水は有り余るほどある。
水の有難さを忘れてしまった農家が多くなった。
自分の田圃に水を入れたら、水取り入れ口を閉じて、地区の主線溝に返す。
次の人の田圃に水を入れるためである。
世の中は移り変わり、自己中心的な考えの人達が多くなった。
今日も頼みに行った。「明日は代掻きをしたいので、水を頂きたいのですが・・・。
「どうぞ勝手に取って下さい。」(ナヌー!!!)
畑のイチゴが熟れ始めた。色着き始めると、空からはカラスが、地上からは狸が狙っている。
網を掛けたが、少しは我が口に入るであろうか?
動物たちも生きるためだから上手に獲物を取る。
イチゴを食べなくても命に別状はないのだからと、つい優しい心になる。
これから夏野菜が取れ始めると、優しいことを思っていると、
きゅうり・トマト・かぼちゃ・トウモロコシ等は、我が口には入らなくなる。
それは我が食べ物に大きく影響する。
和田氏の「80歳の壁」を読み終わったので、他の人に読む機会を与えた。
現在の自分には、「85歳の壁」でないと間に合わない。
しかし、歳の壁ばかりではなく沢山の壁がある。
「浄土の壁」とか「往相還相の壁」のほうが切実である。そのような本は、ないであろうか??
今年の大型連休は、10日間もあるのだとのことで、帰省している人が多い。
何処の田圃も、見たこともない若者がトラクターを使っている。
この連休で、農繁期は終わりそうである。残るのは我が家ばかりになりそうである。
では、自分が仕事を終わってしまおうと、手を出してはいけない。
せっかく同居人がする気になって、計画まで立てているのであるから、お任せしよう。
お任せするのも、結構我慢がいるのでいらいらする。
TV「そこまでいって・・・・」を見ていたら、本気で討論をする人がいる。
そのままが全国に流れるのに、口角泡を飛ばしてとの雰囲気で討論している。
熱心でも我を忘れて・喧嘩腰でものを言う姿は見たくない。
相手の意見も聞く度量が欲しい。自分の意見が正しいとは限らないのだから・・・。