朝から雨降りで寒い一日である。朝の気温も昼過ぎの気温も同じである。
ストーブが欲しいけど、すでに納めている。 家の中でもコートを着ている。
朝犬の散歩をしただけで、ゴロゴロ、ウトウトしている。食欲もわかない。
毎日このような堕落した生活をすると、筋力は落ち頭の中はスッカラカンになるであろう。
「歎異抄」の悪人正機説を読んでいると、当然のことながら底に流れているのは、「信心」である。
浄土真宗にしろ、カトリックにしろ、理論で理解していても、信心がなければ意味をなさない。
「信心」を持っての信仰であろうか?自分もお寺に参りお経を読み聴聞をするが、「信心」は・・・・。
「信心」はないと言い切ると、聖書を読み歎異抄を読むことも虚しい。