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=17 -1-】 「委員長、今日の髪、あっちゃこっちゃ向いてますよ」「今風に動きのある頭にしてみました」「いやいや勝手に動いてますやん」「はい、そうともいいます・・・」。昨夜は映画をレイトショーで観たので帰宅が遅く、お風呂に入ってちゃんと髪を乾かさずに寝たからで、遅くなった次の日はいつもだいたいこんな頭。
60年代前半の米国南部の町ジャクソン。大学を卒業して実家に戻ったスキーターは、生まれ故郷の保守的な町で旧態依然の人種差別が公然と行われている事にショックを受ける。友人たちは皆結婚して家事も子育ても黒人メイドに任せっきりの暮らしに何の疑いも抱いていない。進歩的で作家志望のスキーターは、メイドたちの虐げられた実態を伝える本を書こうと決意するが、報復を恐れる彼女たちの口はなかなか開かなかった…。
アメリカの中でもかなり保守的で有色人種への人種差別感情が強烈な南部において、その地域でももっとも頑固なミシシッピ州が舞台、年代的には1963年、公民権運動には比較的リベラルなジョン・F・ケネディの暗殺される前後の頃で、公民権法(Civil Rights Act)が制定される少し前の頃。
人種差別や公民権運動を扱う映画としてはさほど目新しいというものでもなく、また過激なものでもない、ただこの映画は徹底的に女性の目線だけで描いているということが興味深い。
この映画では、有色人種への差別の問題だけでなく、性における差別についても随所に描かれているのだ。

お話しの作り方が緻密で、ハートウォーミングであり、メッセージに富み、そしてキャラの描き方も巧みで、ハラハラドキドキ、笑いあり涙あり、146分と長尺ながら尺の長さは感じない、ヒューマンドラマとしてよく出来ていた。
当たり前の事が当たり前ではない時代に生きている彼女たちが、その当たり前でないことを律として生きているのだから、現在の我々がどうのこうの思っても仕方がないのだ。
しかし彼女たちがいたからこそ、そしてアメリカにおける人種差別解消に対する戦いがあったからこそ、今、オバマ大統領が存在している。
しかしなぁ、人が人を差別しているときの表情ってなんとも言えない醜さが滲み出ていて、「演技なんだよ」といくら自分に言い聞かせても腹の中が煮えたぎっていくねんなあ、ほんま。(という意味でもブライス・ダラス・ハワードの演技は秀逸)

スキーターを演じるエマ・ストーン、この子はこの映画の中では「ブス」の扱い、そうなん?アメリカではブスなん?この子?俺はかわいらしいと思うのだけどなあ。
ちなみにこの映画の舞台となったミシシッピ州ジャクソンの現在の市長はハーヴェイ・ジョンソンというアフリカ系アメリカ人の方だそうで、人口構成では3割弱が白人、7割がアフリカ系アメリカ人だそうだ。
うちの妻はこの映画を見終わって「こんな最近まであれだけの差別があったのか」と憤っていたけど、でも、今でもあちらこちらに差別ってのはあるんだよね~、ほんま「くそくらえ」だ!








本当に、いやらしい差別には
ク0食らえ!!だと思います(*^_^*)
ではでは☆
でも「希望を願わずにいられない」というyutake☆イヴさんの言葉が心に響きました。
その中で勇気を持って行動することが、どれだけきついことだったか・・・、ですよねえ。
でも、私はミニーの行動には、どうにも賛同できかねます。メイドのプロとしては、やってはいけないことだと思ってます。
そういえば、スキータのお母さんもヒリーのお母さんも、
どっちも素敵だったのだ!