労組書記長(←元)社労士 ビール片手にうろうろと~

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東日本大震災から9年。先日、阪神淡路大震災の時のことを書いた、長女の当時の作文を読んだ。

2020-03-11 | 脱線編3 家族のこと


 孫がママの子どもの頃の作品が見たいというので、押し入れからがさごそと引っ張り出してきた。
その際に、当時、小学校3年生だった長女が書いた阪神淡路大震災についての作文が出てきた。
学年通信、学級通信もあって、当時のことが読み取れた。
当時のうちや校区は、震源地からは直線距離で60kmも離れているが、ちょうど生駒断層帯が側にあるので(ほぼ真下)、周囲より揺れも被害も大きかった地域だった。
また、震災後に避難して転校してきた子どももいて、長女のクラスにも伊丹市から祖母の家に避難してきた子がいたようだ。
ただ、彼は2週間ほどで元の学校に戻っていたようで、よかったね。


こわい地しん

 「ガタガタガタ。」
急に、大きな音がしたので、わたしは、とび起きました。そしたらお父さんが、
「ふとんにもぐっとき。」
と言いました。わたしは、急いで、ふとんにもぐりました。お母さんは台所にいました。そして、
「ふとんに入れて。」
と言って、急いでわたしのふとんの中にもぐりにきました。少ししてから、地しんがおさまりました。お父さんが、
「また来るかもしれないからもう少しもぐっとき。」
と、言ったので、またもぐりました。お父さんは、かいちゅう電とうを取りました。そして、
「車の中にあるラジオを持ってくる。」
と言って、外に出ていきました。少しすると、お父さんがもどってきてラジオをつけました。そうすると、ラジオで、
「大阪は、しん度4です。」
と言いました。わたしは、それを聞いて、ビックリしました。
お父さんが、かいちゅう電とうをつけて、それぞれの部屋を見に行きました。わたしたちもついていきました。さいしょの部屋は、本や物が落ちていました。それと、わたしの勉強机が2cmほど動いていました。わたしは、それを見て、それだけ大きくゆれたんだな。と思いました。CDが、落ちて、われてなかったので、
「よかった。」
と言いました。となりの部屋を見に行くと、絵やパズルがかべからはずれていました。天じょうの方を見て、おどろきました。電気がかたむいていました。わたしは、電気からはなれました。お父さんが、テレビの方に、かいちゅう電とうをむけると、上に置いていた物が、一つ落ちてわれていました。最後の台所に行ってみると、上の電気が、まっさかさまに落ちていました。その電気のガラスが、机の上や、ゆかに、たくさん落ちていました。いすの上にも落ちていたので、すわれないなと思いました。お父さんは六時半に仕事に行かなくてはいけないので、おべん当を取ろうとしました。そしたら、電気の下じきになって、ガラスが入っていたので、食べれなくなっていました。ゆかのガラスを片づけようとしたら、油も流れていたので、手をつけられませんでした。食器だなを、三つ見ると、一つの方は、何もありませんでした。ところが、あとの二つは、お気に入りのコーヒーカップなどが、われていました。一つは、ドアをあけると、すぐに落ちてくるようなじょうたいでした。妹とわたしは、朝ごはんで、やいていないパンをとなりの部屋で食べました。食べて少しすると、電気がつきました。そして学校に行く用意をしました。用意がすむと、お母さんといっしょに、台所を片づけました。ところが、七時半ごろに、また、地しんがきました。わたしは、こわいなあ。と思いました。そして、台所の机にもぐりました。地しんがおさまってから、テレビをつけてみると、
「大阪は、しん度3です。」
と言っていました。台所の後片づけが終わると、テレビで地しんのひがいを見ていました。そして8時前になったので、出かけました。学校に向かいながら、わたしは、地しんってこわいなあ、と思いました。
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