皿尾城の空の下

歴史の町行田には忍城のほかに、上杉方の城がありました。

忍町尋常高等小学校跡

2019-07-31 00:03:53 | 史跡をめぐり

行田市役所敷地内に立つ忍町尋常高等小学校跡。学校は大正11年(1922)に建てられている。忍城東方の守り、内行田沼を埋め立てた場所だったという。

当時あった行田小学校と進修館小学校が合併して31学級1888名の大所帯となりその規模は埼玉県下一であったという。

現在の中央小学校の前身で、近代の行田市の教育施設の発祥の地。昭和四十二年に旧行田女子校に移転している。

少子化に伴い現在では行田女子高校はなく、また中央小学校も学区編成のため数年後にはその名を変える方向で進んでいる。

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One day, One life

2019-07-30 23:16:29 | 心は言葉に包まれて

One day,One life 人は皆 今日という日を生きてる

それぞれにあるだろう 喜びや哀しみ

街行く人をただ眺めてた

それぞれが生きてる それぞれの日々を どこかで

One day, One life 明日はどんな時もみんなのもとへ

焦ることも 迷うことも 不安なことも

きっと大丈夫

One day, One life 信じていい 一秒の間に起こるドラマ

時々は泣いたりするのも 自分らしい日々の証

One day,one life 明日は どんな時もあなたのもとへ

悩むことも 止まることも 逃げることも あると思うけど

One day, One life 信じていい 本当に 今思ってる気持ち

二度とない一度きりのOne day

それが重ねってく One Life

MISIA 『One day, One life』より

作詞は大宮エリーさん。本当に多才な人だと思う。今回MISIAとアフリカの絵本を出版している。

共通するのは思いを伝えるということ。

そんな彼女が書いた歌詞の最後に、今日という一度きりの日が、重なっていくのがそれぞれの人生なんだよと伝えている。

 

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オリジナルミルクコーヒー

2019-07-26 23:28:58 | 食べることは生きること

一人勝ちだったコンビニが、営業時間と見切り販売の自制から世間で叩かれている。それでもコンビニ無しでは今の社会生活が回らないのも事実で、実際には毎日のようにその商品が入れ替わり立ち代り、消費者の嗜好に沿って選別されている。大手コンビニの定番品になるのは、大変なことだ。
ロングセラー商品でも同じことで、昔はあったが今は見かけないものも多い。
缶コーヒーの先駆けとなった、UCCオリジナルミルクコーヒー。発売は1969年というから、今年で50周年。懐かしの歴代パッケージの復刻版が販売されている。
中学の頃飲んだ記憶がある。甘くて美味しい記憶だ。
売られていたのは5代目のパッケージで販売は1993年。自分が大学生2年生の年だ。この年はまれに見る冷夏で、米が不作となり、外国産米が緊急輸入されている。当時レストランで働いていて、店ではタイ米が提供された。奇しくも今年は長い梅雨でこの年以来の日照不足と報道されている。
多くのメーカーの商品がコーヒーに香料を加えて、風味を出しているのに、このUCCオリジナルミルクコーヒーは無香料だ。しかも砂糖以外の甘味料も入っていない。
だから他のメーカーの缶コーヒーと明らかに味と風味が違う。昔の味がするのだ。今日久しぶりに飲んでみてその違いに改めて気づいた。
コーヒーは嗜好品の象徴的な商品で、味も時代とともに進化している。一品くらい昔からの変わらない味が残ってもいいだろう。
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祭りの後で

2019-07-23 22:44:19 | 日記

 令和元年皿尾久伊豆大雷神社例大祭が七月二十、二十一の二日間に渡って行われました。各地で毎週末夏祭りが賑やかに行われる時期ですが、当所も毎年七月の第三または第四土曜日が花飾りと夜祭、翌日曜日が祭典となっています。本来であれば、神社の由緒の通り二十八、二十九日に行うところでありますが、年によってその前後の週末に合わせて行います。

華飾りと言って社殿に装飾の華を飾り、一の鳥居前に風鈴を掛けていきます。その由来についての史料はありませんが、代々続く祭の仕様です。また夜祭には境内に燈篭を奉納します。故老の話によれば戦前の頃には、灯篭の列が隣の上之村雷電神社まで続いていたそうです。

燈篭は祭当日境内で装飾されるもののほかに、事前に氏子宅に配り、子供たちが奉納してくれるものがあります。軒数はかなり減っていますが、地元青年会の協力の元、参道に飾られます。

地元青年会の協力で、子供神輿も担がれます。小学生の子供7名、中学生1名が参加してくれました。地区の小学生が12名しかおりませんので、事前の協議で子供神輿をどうするか相談していましたが、大人の手を加えても担げるだけ担ごうということになり、無事に村中を担ぐことができました。昨年から私自身が青年会の会長ですので、自分で修祓(おはらい)をし神輿の馬を持ち、時には担ぎながら草履で歩きました。

神輿を置く台のことを「馬」と呼ぶようですが、途中神輿に馬が間に合わず、休憩箇所を飛ばして担いでいました。

担ぎ出しの前に玉串を奉納します。神職が私で、拝礼しているのが五年生の長男です。六年生の参加がありませんでしたので、上級生として息子に玉串を納めさせました。この神輿が奉納されたのが昭和56年。私が小学校3年生の時でした。

年に五回の祭事の内、この例大祭にだけ御神供を奉納します。砂糖の焼き菓子である紅白の落雁をこれまで地元の和菓子屋さんにお願いしていましたが、都合でできなくなってしまい、以前私自身がお世話になった深谷の老舗菓子店様に仕立てていただきました。

15年ほど前に菓子・パン・総菜などの原料の販売営業の会社に勤めていた際、たまたま担当させていただき、何もわからない営業担当だった自分に本当に良くしてもらったことを今でも覚えています。

 今回急遽お願いした際にも電話越しに奥様から『大丈夫よ青木君、うちがやるから!』とすぐにお返事いただき、本当にうれしく思いました。

これからも自分自身が得られたご縁を大事にこうした祭が続けていけたらいいなと思います。

いよいよ明日以降、長かった梅雨も明けるようです。皿尾城の夏祭りは終わりましたが、令和元年の夏はいよいよこれからです。

 

 

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板倉町 一峰神社と貝塚

2019-07-11 21:19:55 | 神社と歴史

水と緑の街群馬県板倉町。町内を流れる谷田川沿いには多くの湖沼が見られ、また渡良瀬、利根川の氾濫に備えて「水塚(みつか)」と呼ばれる防災建築の建物が残っている。町の東部、海老瀬地区は渡良瀬遊水地もほど近く、緑に囲まれながらも、東洋大学板倉キャンパスもあり、駅周辺は美しく整備されたニュータウンの様なところ。一方、東洋大学駅から1Kmも離れない場所には縄文時代の貝塚も残っている。歴史的遺構の豊かなところだ。

 今から7千から8千年前は氷河期が終わり海水の水位が上がったころで、東京湾は茨城県古河市付近まで入り込んでいたと考えられていて、この板倉周辺も、海岸線付近に生活していた縄文人の貝塚が見られる。海老瀬地区の台地の先端に権現沼があり、沼を挟んで北側が離山貝塚、南側が一峰貝塚となっている。権現沼

一峰貝塚は一峰神社の境内地となっていて、またその社叢は社寺林として自然の形で長い間伐採が行われず、自然植生された貴重な杜として市の指定天然記念物になっている神社西側は北関東では非常に珍しいリュウキュウチクが群生しているという。

天平宝宇八年(764)日光開山の勝道上人が二荒権現を勧請し、峰権現社として祀ったことを創始とする。

その後この地の領主であった藤原魚名によって藤原氏の祖先神、天津児屋根命(あめのこやねのみこと)が奉斎され一峰神社と称したという。弘仁五年(814)には弘法大師が勝道上人の遺跡を巡った際に真言同道場を設け、現在もこの石仏塔が残っている。

平安の頃になると天慶年中(964)藤原秀郷が平将門討伐の祈祷をしたとも伝わる。

古代から律令、平安に至る東国の歴史を紐解く神社が、静かな湖畔に守られるように鎮座している。

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