日常雑記

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コシヒカリ

2015-05-29 21:14:30 | 随筆
先日「田んぼの不思議」を読んでお米のことが妙に気になったので「コメの歴史を変えたコシヒカリ 小泉光久先生著」を借りました。同じように児童書です。児童書ではありますが、日本の食糧事情の推移について多くの知識を得ました。老輩は給食についての経験が無いのでその間の事情を知りません。食べ物に対する感触は食べた経験味わったそのものの体験が何よりです。老輩年代にはカボチャや雑炊などにいわれもない拒否反応があり、今では薄れていますが、根強いものでした。初期の給食の経験ある年代には脱脂牛乳に対して激しい拒否反応があるようです。
コシヒカリの先祖の一つ「亀の尾」を阿部亀二氏が発見されその後人工勾配などが重ねられて農林一号が生まれたそうです。多くの改良が農事関係者の努力と研鑽の末にいもち病に強いササニシキを作ることに成功しました。その間には政府の生産調整が決められたり、需用者の米離れ・生産量の多寡よりも商品としての味覚を重んじる市場需要などが競合しました。反面には田植え機・コンバイン更にはフジフイルムによる葉色カラースケールにより肥料の数量計などの科学的智慧の助太刀もあってコシヒカリが生まれたのだそうです。ともすれば科学技術面にのみ眼行くのですが、多少政治の風向きが左右した面があるようです。

紅毛つれづれ草

2015-05-27 21:57:14 | 随筆
本箱の隅から河盛好藏先生の「紅毛つれづれ草」が出てきました。著者河盛先生などかなりのご年配でもご存じないかもしれません。本は昭和二十五年十月十五日第一版発行の朝日文化手帖5ですから。その中に「人の一生には焔の時と灰のときがある」という寸言がありました。読んでいるとき身体に充分に関知できる地震がありました。ラジオをつけますと国会中継放送の最中でした。地震が取り持つ縁とやらで安倍総理と志位委員長との討論を聴くことができました。どうやら首相が押され気味でした。今どちら人生の焔ときか灰ときかは贔屓筋によって分銅の上がり下がりが違うでしょうね。このような国民的関心事にはラジオの中継は聴いておくべきでしょう。しかるに熊本・筑後あたりを震源とする地震が天の助けとなって新聞などよりも迫力説得力ある討論実況を耳にすることが出来ました。
地震報道はその後ありませんでしたが。

大屋光大夫

2015-05-25 20:00:27 | 随筆
米原万里女史の「マイナス五〇度Cの世界」から始まってどうやら「おろしゃ国酔夢譚上・下」をやっと読み上げました。光太夫たちの難儀が老輩の身には酷く堪えた読書体験になりました。若かい時分で有ればさほどでもなかったかもしれません。極限の状況が痛切であり同船者と相次いでの死別はひとごとには思えません。井上靖先生の作品は以前「狼災記」を読んでいますが話は古代中国伝奇(人虎伝)を材にしたもので中島敦の「山月記」もあり身につまされるにしても幅をもつ感銘でした。光大夫たちの帰国後の思いがけない処遇はロシア女帝とのそれに引き比べなんともの感が深いものでありました。宿から星空の下蛙鳴声を耳にしながら江戸表に引渡される、護送役人二人の草履が地面をたたきその音が滲みいるように聞こえたというくだりは万感胸に迫るものがありました。

砂置き場の銅鐸

2015-05-23 20:38:52 | 随筆
先日の新聞に兵庫県南あわじ市の石材セメント製造会社の砂置き場で紀元前三~紀元前四世紀つまり弥生時代前期末から中期初頭ごろの最古の銅鐸が七個見つかったと県教育委員会などが発表した記事がありました。
そこでかって聴いた話があります。太宰府近郷のある町で炭鉱の作業所で古墳のが偶然見いだされました。事を知った有識者がすぐに盗掘のあること畏れて開らかれたところを塞じたそうです。ところが夜中に乱暴にも盗掘され翌日には見る形もなく貴重な遺物は持ち去られてしまいました。もっとも時節も悪かったと言えましょうが。
銅鐸は市内沿岸部に埋もれて居たものが砂ごと採取されたものらしいそうです。第一級の価値がある銅鐸ですから砂利採取業中も貴重に扱われたのは幸いでした。
これも伝聞ですが以前には古伊万里窯跡もよく盗掘されたそうです。

おろしゃ国酔夢譚

2015-05-22 20:46:49 | 随筆
「他諺の空似 米原万里」をブックオフで買って以来女史の著書の全てが欲しくなってに目録を持って紀伊國屋へ行きました。幸い十四冊が買えることになりました。ぼちぼち読んでいるのですが、今日は図書館から「おろしゃ国酔夢譚 井上靖先生著」を拝借しました。この本は大活字本シリーズですから、老輩にすこぶる便宜な書物です。
「マイナス五〇度Cの世界」を読み、寒がりの怠け者には到底一日も生存不能な環境下にあるヤクトークについて詳しく知りたくなり、今のところ上巻を読み終えたところです。井上先生のお話は大屋光大夫についての二百年前の遭難の詳細であり、米原女史のルポルタージュは今日の体験でもありますが(簡略過ぎる説明ですが)、重ね合わせて不足を補って充分でした。舞台となっているヤクートでは現在でも男子は肉体労働、女子は知能労働と役割が分担されているそうです。幸いにも徴兵制度もなくなり万事兵役的労苦を免れている四海に囲まれ自然環境に恵まれていることを感謝すべきだと思っています。