伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

思想・信条、立場を乗り越えた共闘の可能性示した憲法記念日講演会

2015年05月03日 | 憲法
 5月3日は憲法記念日。いわき市文化センターではいわき九条の会が主催して学習講演会が開かれました。講師は立正佼成会の理事で外務部長の根本昌廣さんでした。

 立正佼成会が平和運動をすすめていることを知っていましたが、これまでにはなかった陣容の講演会で、そのお話の内容に期待を持っていましたが、期待以上のお話を聞けた気がします。

 ただ、残念だったのは会場の容量に比べると聴講者が少なかったこと。遅まきながらもっとたくさんの方に話を聞いて欲しかった。話しを聞き終わりつくづくと思いました。



 さて、講演会では主催者あいさつを含め、3人の宗教者のお話を聞くことになりました。宗教者九条の会呼びかけ人で真宗大谷派・明賢寺住職の藤内和光さんは、講演会冒頭に戦前の反省と日本国憲法九条にふれて主催者あいさつをしました。

 戦前に宗派が侵略戦争を下支えし信徒の命を守れなかったにとどまらず、戦争に反対する僧侶の僧籍を剥奪してしまったことを紹介し、親鸞の教えを学びながらなぜそうなったのか、と自省の弁を述べながら、「戦争で流された血の結晶が憲法九条です。これを変質させることは許されるものではない」と、安倍政権がすすめる集団的自衛権行使の法整備を批判する内容でした。
 
 戦後はマスコミも出版会も含めて、戦争に協力した反省から戦後の活動を始めました。それと同じ反省を宗教界の方から聞くのは初めてでした。同時にあの時反省をしたあらゆるものが、藤内さんのあいさつのような率直さを持って今の時代に向かうことが必要とも感じました。

 閉会では、いわき市キリスト者九条の会代表で勿来キリスト福音教会牧師の住吉英治さんがあいさつしました。

 4月19日の勿来九条の会の講演会にふれて、きょうの参加者が、来年は20人、30人増えていくことが大切だと思っているとしながら、宗教は違っても、その根底に流れているものは同じで、「連帯した行動を大切にしてくことが、日本を動かしていくものと思う。ともにがんばっていきましょう」と呼びかける内容でした。

 さてこの日のメインの根本さんの講演です。



 根本さんは、これまでに全国九条の会の会議にも参加したことがあるそうで、主張・考えはほとんど一致していると感じているそうです。

 いわき市錦町出身で、大学卒業後はクロアチア、エチオピア、ソマリア、アフガニスタン、クルド民族など、40代前半まで難民を支える活動に従事してきたといいます。

 その体験を通して根本さんが会得した考えが、国籍や信条の違いなどで差別をしてはいけないということでした。根本さんが関わったUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)では、難民を難民とは呼ばずに、「My friend(マイ・フレンド)」と言っていたそうです。そこには無条件に愛するということと、相手を理解することが大切だという考えが横たわっているというのです。

 そして理解する、英語で「understand(アンダースタンド)」は、下に(under)立つ(stand)、で理解するという意味ですが、相手を見下すのではなく、下に立って考えるということだといいました姿勢が大切だといいました。

 根本さんはいいました。
「仏になる」という教えは、仏を敬うということではなく、自らが仏になるということです。どこの国の人であろうが下に立って考えることで、全ての人が仏になることができる。これで全ての人が一つの乗り物に乗る「一乗思想」(※1)で、敵味方はなくなり、戦争や対立の歴史は無くなるのです。

 私が書いた不十分なメモですが、おおよそこんなことだったと思います。

 さらに根本さんは、人類間の相違を、対立軸ではなく、多様的な資源としてとらえることが大切で、多様性があるから人間は発展すると指摘しました。その時に大切なのが「understand」で、例えば目下の者に対しても、その者の仏を拝むという姿勢をとることが大切だと強調しました。

 その考え方に立った時に集団的自衛権行使の問題をどうとらえるのでしょうか。

 根本さんは、集団的自衛権行使の前提は「understand」ではなく、敵と味方に分けて考えるところにあるため、どうしても武力が必要になり、全てがここから議論されているところに問題があるとしました。敵・味方と分けることで緊張がおこるその前提を議論することが大切だと述べました。

 敵と味方に分ける考え方の問題天を示す一つの例としてナチスをあげました。ナチスは「友と敵思想」に即して行動し、ワイマール憲法を廃止し、600万の虐殺に至ったというのです。

 もう一つが「命の無差別性」という面からも問題があるといいます。「命の無差別性」の意味は人も動物もあらゆる命はどれも大切という意味だといいます。根本さんは、命は尊いと誰もがいうものの、どんな命も無差別に大切という考えに立っているか、集団的自衛権には、その面からも問題があるというのです。

 「日本人の命だけでなく、隣国の人の命も同じように大切です。集団的自衛権の議論の前提は命の区別化です。人種としてのアイデンティティーの前に、人類としてのアイデンティティーがあります。たった一つの人類が殺し合いをする。こんな馬鹿げたことはありません」

 こう述べた根本さんは、安全保障の考え方にも言及しました。

 「安全保障は2つあります。一つは国家としての安全保障、もう一つは人間としての安全保障です。この基軸は憲法十三条(※2)です。国家の安全保障も大切ですが、人間としての安全保障もおろそかにされてはなりません。原発の問題も同じです」

 国家を言う前に、国民一人ひとりがいる。その個人の命が何よりも大切にされなければならないという指摘です。「誰かの不幸せの上に誰かの幸せはありえない」。根本さんの指摘が響きます。

 根本さんはさらに武力の弊害に話しをすすめました。
「長い目で見れば武力を使った平和は長持ちしないと思います。みんなで仲良くするために努力することが大切だと思います。

 今はあいつが強いからこちらも強くなる、と対抗しています。
 でも、恨みに恨みで返せば、恨みはより強くなります。アフガニスタンやイラクなどはいったん武力でおさまっても、再び混乱がおきました。武力を使うと恨みは強くなります。恨みは慈愛によって解消することができます。スリランカ(当時は英国統治領セイロン)のジャヤワルダナ氏(後の大統領)はこう言って(※3)、日本にいっさい戦争の賠償は求めませんでした。一番の抑止力は信頼、対話、リスペクト(尊敬)です。

 根本さんはこう強調し、集団的自衛権行使の問題など戦争と平和をテーマに演題を移しました。

 昨年7月1日の集団的自衛権行使容認の閣議決定を受け、立正佼成会は声明を発表し、7月3日に菅官房長官に提出しました。会ってくれないだろうと思っていたそうですが、15分間の面会時間が確保できたそうです。その時、あらかじめまとめておいた話を早口で伝えたと語ります。

 その内容の一つは「武力では国民の命を守れない」「武力行使では恒久平和にはつながらない」ということでした。

 相手への不信が前提になると武力は抑止力になると考えられるという根本さんは、中国の軍事費15兆円に対し、アメリカと日本の軍事費は合わせて65兆円。軍事費の面から見ると日本は中国に脅威を与えていると、不信が不毛な軍拡競争を招いていると指摘しました。

 一方、信頼に基づくと互酬(贈り物に対する「お返し」や「結」のこと)と互助が抑止力になります。根本さんは、一番いいのは話し合い、「understand」だと思っていると伝えたといいます。

 二つ目に、命の尊厳を具現化するということでした。
 それは命の差別化をしないこと。すなわち命の無差別性です。他国民、日本国民の命も大切にするということが大切だと伝えたそうです。根本さんは今は定着していない「命の無差別性」という言葉を広げたいと訴えました。

 三つ目に、集団的自衛権が国民主権と平和主義を揺るがす問題だということでした。
 憲法の三本柱は国民主権と平和主義、そして基本的人権の尊重にあります。国民主権は、国家による国民統治ではなく国民による国家統治で、これが立憲主義の内容なのに「どうも逆になっているように思う」という根本さん。

 これまでエチオピア、ソマリア、アフガン、クルド難民の支援などにかかわって実感しているのは、戦争は政治によっておきているということで、それは国民の声が届かない仕組みになって政治が暴走した結果だと紹介します。だからこそ国民の統治が必要だということを主張したようです。

 さらに根本さんは、積極的平和主義と言って武力行使を拡大しようとする安倍政権の考え方は間違っていると、こう話しました。

 「積極的平和主義の解釈が間違っているのではないでしょうか。本当の積極的平和主義は、構造的暴力も、文化的暴力も無くしていくものです。」

 四つ目にナショナリズムの問題です。
 ナショナリズム。それは国益だという根本さんは次のように話しました。

 「この国益が開かれているか、閉じられているかが大切で、いまは閉じられる傾向にあります。開かれたナショナリズムは共生につながります。閉ざされた国益ではなく、開かれたナショナリズムで人類益をめざすべきだと思います。それが理想の姿なのだと思います。」

 五つ目に死者、生者、そしてこれから将来世代とのつながりを大切にすることでした。

 「先人から現在を生きている世代、そして将来を担う世代へと続く縦のコミュニティー、特に将来世代とのコミュニティーも大切にし、共生を図っていくことが大切」と話す根本さんは、「喧嘩ばかりしていてはいけません。これから生まれてくる世代に我々は責任を持っています。将来世代に関わって考え物事を判断していくことが大切です」と指摘しました。

 さらに、1日1食も食べられないでいる人が世界で10億人まで増え、また、飢餓で多くの人が死んでいます。難民も3000万人に増えました。世界で年間213兆円(2014年)使われる軍事費を人道支援に振り向けることを訴える根本さんはこう話しました。

 「日本でも格差が大きく開いており貧困が増えています。お釈迦様が生きていたらこの状況を悲しむでしょう。」

 そして六つ目に「友と敵」思想の危険性の問題を訴えたそうです。

 「友と敵」があるから人間は発展するという考えがありますが、詭弁だと思うという根本さんは、「日本でも友と敵の思想が増えている」と危機感を語りました。
 そして、「みんな友」という考え方を「理想主義」と批判する向きに対して反論しました。

 「夢ばかりではありません。理想主義的理想主義ではない。理想主義的現実主義があります。理想主義者と切り捨てないで対話をしましょうと呼びかけました」

 こういう根本さんたちの指摘を官房長官も黙って聞いていたそうです。「当たり前のことだからこそ否定することができないのです。その通りと思うのなら、なぜ違うことをするのだろうか」。根本さんは疑問を呈しました。

 続いて改憲の動きについて根本さんは、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と審議を信頼して」と言っていることが、現在の政治状況で全然感じられなくなっていると指摘しました。

 また、恐怖からの自由、欠乏からの自由、生存の自由という人間に備わる三つの原理が全て盛り込まれた憲法前文を大切にしなければならないし、九条も、また十三条も残していかなければならない、として次のように訴えました。

 「こういう尊いものを70年間守ってきたおかげで、戦争にいくこともなく、命も守られてきました。憲法には変えてはいけない条項がいくつかあると思います。主義主張に関係なく、立場を超えて共生のために手をつなぐことは出来ると思います。」

 根本さんは聴衆の多くが宗教人との関わりが薄いと感じたいのか、こういいました。
 「立正佼成会を分からない人が多いと思いますが、言っていることはまともでしょう」
会場の聴講者はこれに大きな拍手で応えていましたが、根本さんのいう通り、平和の問題、人権の問題、そして憲法の問題で、その主張は多くが共通すると感じました。それだけに主義・主張、そして立場にこだわらずに、「憲法を守れ」あるいは「平和を守れ」という一点で手を結んでがんばりましょうという訴えはどこまでも広げることができると感じる講演会になりました。

 こういうお話を聞く機会が得られたことに感謝をしたいと思います。



※1 一乗思想
 仏陀は人間の素質や能力に応じて種々の説(三乗)を説いたが,それらは人びとを導くための方便にすぎず、実は唯一つの真実の教えがあるのみで、それによっていかなる人間もすべて平等に仏に成ることができると説く。(世界大百科事典 第2版の解説・https://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E4%B9%97-31305)

※2 日本国憲法第十三条
 日本国憲法第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする

※3 英国統治領セイロン実力者(後のスリランカ大統領)
ジャヤワルダナ氏:サンフランシスコ講和会議での発言

http://lanka.fc2web.com/50years.html

戦争は戦争として、終わった。もう過去のことである。
我々は仏教徒である。
やられたらやり返す、憎しみを憎しみで返すだけでは、
いつまでたっても戦争は終わらない。

憎しみで返せば、憎しみが日本側に生まれ、
新たな憎しみの戦いになって戦争が起きる。
戦争は憎しみとして返すのではなく、
優しさ、慈愛で返せば平和になり、
戦争が止んで、元の平和になる。

戦争は過去の歴史である。

もう憎しみは忘れて、慈愛で返していこう。


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