伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

地球と歴史の躍動感じました-遠野町の鮫川石はフィリピン海プレート由来

2014年05月25日 | 遠野町・地域
 きのうのことですが、遠野町地域づくり振興協議会の総会が開かれ、総会終了後にまちづくり講演会が行われました。講師はいわき市立植田公民館で社会指導主事をされている矢内金五さん。私が上遠野中学校でPTA役員になった年、同校で校長を務めていてお世話になり、入遠野中学校で教頭を務めたこともある遠野町にゆかりが深い先生でした。いわき地域学会の会員でもあります。



 講演の主題は「遠野魅力再発見」で、鉱物のお話を中心に興味深く、また地球の歴史のダイナミズムも感じる、楽しいお話でした。

 まず鉱物の話。遠野町を流れる鮫川は庭石などに使う鮫川石が有名な産物の一つです。この石は御斉所変成岩とよばれる緑泥片岩です。鮫川石にはもう一種類あり、鮫川上流の古殿町辺りで採れる鮫川石は、遠野の鮫川石とは違う名称の竹貫変成岩とよばれる片麻岩で、才鉢という地区辺りが両者の石の境目となっているそうです。

 この両者の違いは何かというと、石の変性具合にあるというのです。どういうことか。岩には水の流れに由来する堆積(たいせき)岩と火山活動に由来する火成岩がありますが、これらの岩が熱や圧力で変化してできたのが変成岩です。遠野と古殿ではこの変成度の違いがあり、遠野の変成度は低く、古殿の変成度は高いのだそうです。古殿はよく出来た変成岩で、遠野町は出来が良くない変成岩ということです。ところが皮肉にも、出来が良くない変成岩の方が模様やその色などの関係で人気が高く、庭石などに使われているというのです。矢内さんは、「(遠野の鮫川石は)取り引される本物の鮫川石です。石を見た時に“こんな石”などと思わずに、素晴らしい石だと自信を持って下さい」と呼びかけます。

 加えて歴史のダイナミズムです。古殿と遠野の石の違いは変成度だけでなく、もとになった岩も違うことも分かったというのです。古殿の石は、阿武隈山地などから流れ出して堆積した泥岩が変化してできた変成岩です。ところが遠野は違う。遠野町大平の清道川で採取された中生代のチャートから化石が発見されたことから、遠野町の地質はフィリピン海プレートに由来しているというのです。それを裏付けるように遠野町のある場所では、海底火山から流れだして円筒形に固まった枕状溶岩が見つかっています。

 遠野町の地面には、太古の、しかも遠い海の彼方の岩石が埋まっている。地球と歴史の躍動を感じさせ感動的な話でもありました。

 東日本大震災と1か月後の大型の余震に関わり、井戸沢断層と湯ノ岳断層が現れた写真などを紹介した後、産出した鉱物に関する質問に答ました。「石川ではウランがとれました。原爆を作るためですができなくてよかったと思います。もし出来たら、お互いが次々使用する事態になって、生きていくことも難しい状況になったでしょう。まぁー、何を使ったとしても戦争はだめですけど・・」とおっしゃったことは印象的でした。鉱物も使い方によっては、様々な負の側面を人間生活にもたらすいうことですよね。身近にこんな歴史が眠っているというのも新鮮な驚きです。

 矢内さんのお話は好評でした。子どもたちにも聞かせてやりたい、という声などもあがっていました。素晴らしいお話をありがとうございます。

 総会では祝辞の機会をいただきました。震災後減少した観光客が増加傾向にあり、しかも〝いわきに来たいから来る〟と来市の動機も変わっているようだということと、「超高速参勤交代」の封切などでいわきの名前が全国に広がる中で、いわきと遠野を結びつけるためにも、地域振興に努力する振興会の取り組みの情報発信を強め、にぎわいづくりにつなげることが大切になっていと思います、と話させていただきました。


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